Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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行動の原理――直観と理性  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
17  では、欲望を正しく支配できる力は、どのようにすれば、人間の心の中に確立できるでしょうか。大乗仏教の経典は、さまざまな実践法を提示していますが、結論的にいえば、個としての自己の生命の中核となる“小我”を超えて、あらゆる他者と一体になっている“大我”を開きあらわし、この“大我”の支配権を確立することにあったといえます。
 もとより、あらゆる人間社会には、制度化された禁忌タブーや道徳律があり、それらが人間の欲望を規制してきました。大乗仏教も、これを無用とするわけではありません。しかし、それだけでは不十分であって、生命の内から自らを規制できる力の根源を樹立しなければならないと考えているのです。
 そして、まさしく現代は、野放しになった欲望と、高度に発達した理性の所産である科学とが結びついて、巨大な物質文明を形成している時代であり、他方、欲望を規制し、正しく導くべき伝統的な道徳や禁忌は、いちじるしく無力化しています。
 とくに、その底流にある個人主義への志向性を考慮に入れなければなりません。制度的道徳の否定と、欲望の解放、そして科学探求のいずれも、この個人主義の志向性と相互に補い合いながら発展した現象といえましょう。
18  しかも、個人主義志向は、人間の尊厳という理念と密接に結びついて発展したもので、これを否定するような制度的道徳の復活は、人間の尊厳性そのものを否定することになりかねません。もちろん、人間の尊厳は個人の孤立化によっては成り立ちませんが、自立は不可欠の条件です。したがって、個人主義――いい意味での個人主義をあくまでも根本としながら、他者との正しい共存関係を実現する方向を求めなければなりません。個人の自立性と他者との共存をどう調整するかは、各個人の判断にゆだねるのが根本となるでしょう。
 そのためには、制度的な道徳の復活ではなく、一人ひとりの心の中に、自らの欲望を規制できる力を確立しなければならないということが明らかであり、大乗仏教の行き方は、この要請に最もよく応えるものであると私は信じております。
 現代文明の危機という問題は、単純にこれだけに帰するものではありませんが、まずこの人間自身のあり方、生き方から立て直さないかぎり、他のいかなる努力も、けっして実を結ばないでありましょう。
19  ユイグ しかし、人間はそれを達成できるでしょうか。

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