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日蓮大聖人・池田大作

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「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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9  だが、自由主義を基本としていくかぎり、そこで採用される管理的手段は、あくまでも欠陥を補整するためという限度をもっています。ところが、マルクス主義は、少なくとも物質の生産については徹底した管理方式を貫くことを原理としています。物質の生産に関する管理は、そこに働く人間に対する管理を必要とし、やがては、社会のあらゆる分野についても、権力による管理的やり方の拡大を要求するにいたります。
 この意味で、私はマルキシズムの政策は、本質的に全体主義的統制の手段から離れることはできないと思いますし、もし、物質的な欲求が十分に満足され、人びとがさらに精神的な自由を求め、管理的統制をきらうようになり、それが人びとの大多数の要求になったとすれば、マルキシズムの政治は、根底から動揺せざるをえなくなるであろうと推測するのです。
10  あなたも指摘されているように、マルクス主義国家が、マルクス主義をドグマ化することをやめ、時代の変遷に対応し、人びとの求めるところに応じた政治を実現していけば、マルクス主義は、その人民のために歴史的にも高く評価される貢献をしたことになるでしょう。そして、それが、かりにマルクス主義と現在呼ばれているものとはまったく異なったものになったとしても、教条的なマルクス主義よりも、本来、マルクスがいだいていた理想にはるかに近づいたものといえるでしょう。

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