Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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自律の喪失  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
11  ユイグ そうした若者たちは、現代において一つの反動が必要になっていることを表明しているのです。しかし、彼らはあまりにも初歩的な段階にとどまっています。今日の全般的危機の時代にあっては、その実現をめざさなければならない社会のさまざまな部面で必要な調和のとれた均衡は、もっともっと大きな規模の問題です。そうした調和ある均衡を達成することは、人間の精神的変革によってでなければ、期待できません。
 この変革において第一に求められることは、人間が自らの身体組織(心理現象をも含んでの)に均衡を再建することです。人間は、その本能的な手段と理性的能力とを、あらためて協力して働かせなければなりません。
 本能的手段は、私たちの感受性と身体組織との深い直観から生ずるものであるとともに、伝承によって少しずつ、非常に古い経験として伝えられたこれらの直観から生じます。他方、理性的能力は、合理的な尺度を創り出すまでになることによって古い経験を明確化しながら、行動をより迅速に起こすことを可能にします。人は、ただ盲目的な伝統によっているだけでも、または反対に、管理的な合理主義によるだけでも、社会生活を樹立することはできません。そのどちらも極端化すると、組織体の死をまねく以外にないのです。
12  私が恐れるのは、不幸なことに、現代の文明は、これらの部分的で偏った解決法の後者のほうに没入しているため、その平衡を取り戻して、逆戻りしないで補整しながら進むということが困難になっていくのではないかということです。現代文明のように進んでしまっている場合は、これまでやってきたことを元へ戻すことは不可能で、その行きつくところまで、ということはたぶん、破局に到達するまで行かざるをえないのではないかということです。
 人類が危機を前にして、必要なことに気づき、これまでの行き過ぎを修正しながら、新しい型の文明を再発足させるためには、ときとして、こうした破局も必要です。この恐れは無視できません。なぜなら、現代の文明は、自らを修正しようとするどころか、冷酷にも全世界に拡大しようとしていることがはっきりしているからです。そこでは、道がみつからないうちは一つの本能的で暴力的な危機が、たくさんの苦悩をひきおこしているのですが、だからこそ、ただ一つの出口がこの危機の中に見いだされるということが可能です。

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