Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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農業の運命  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
13  この物質主義は、私的資本主義のかわりに国家の所管になっても、今日の世界を破壊に導く要因でなくなるわけではありません。毛沢東は、中国の広大さをもってすれば、一方で都市を発展させながら、それと平衡を保って、他方で農業資源を維持することも可能であると信じていたようです。
 知識人たちがある期間、強制的に田舎へ行かされ、農作業に従事させられるということが当時報道されましたが、この事実自体、あまりにも理知化され抽象化された文明のもつ危険に対する不安の、たぶん、単純で粗野な一つの表れであったようにみえます。
 知識人は都市社会で、そしてマス・メディアの発達によって、しばしば有害な役割を演じてきました。彼は、思考とはもっぱら抽象的観念を操作することであり“無償”の理念を弄ぶことだと考え、その深い基盤の欠如と、図式化と偏向性によって人間的平衡を揺さぶる知的秩序のことばと理論を広めることが自分たちの役割であると信じてきたのです。彼は、あまりにもそう信じていましたし、しかも、ますます、その傾向は強まっています。
14  十八世紀以来、知識階層は合理主義の無分別な勝利をめざしてきました。さらに近年になっては、その同じ道程においてですが、知識階層は、マルクス主義の教条主義とその物質主義にしがみついています。しかし、この脱線はこれくらいにして、毛沢東に戻りましょう。大工業の集中を避けて、分散した、したがって農村生活の段階に見合った工業でその埋め合わせをしようとした彼の努力は、どんなに強調してもしすぎることはないでしょう。
 私は中国に行ったことはないので、これがどのていど打ち立てられ、どれだけ実現されたか、知ることができません。しかし、私はそこに、西洋資本主義文明にもロシア・マルクス主義文明にも同様にあらわれている危機に対する意識の端緒が見られると思うのです。
 あらゆる点からわかることは、たぶん敵対しあっている、しかし同じ病弊を示しているこの苦境から脱出すべき時がきているということです。そしてまた、危機におちいった現代文明は、もし、政治による解決を見いだす希望がほとんどないなら、その精神自体を変革する方向へ向かうべきであるということも、私たちには明らかなことです。

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