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日蓮大聖人・池田大作

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農業の運命  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

前後
12  そのつぎの旅(一九七四年)で私が目にしたのは、何年かの空白ののちに、この均衡が一掃されてしまっており、西洋型の工業と都市の文明が伝染病のように広がって、日本がそれを保持することを使命としているようにみえた精神的源泉を、ほとんど組織的に破壊している姿でした。その急激な改宗から期待できるものは、西洋におけるのと同じ、物質主義の台頭だけなのです。
 そういうわけで、私は、あなたが、仏教がかくも高く説き示し広めた精神的渇望への意識を日本人に目覚めさせようとされているご努力に感銘を深くしているのです。あなたがなされているお仕事はきわめて重要であると思います。そこには、病気の進行が防がれ、治癒されるかもしれない希望が宿されています。
 しかし、東洋は、たとえば毛沢東の中国の例のように、必要な場合には、この危険のもっている恐れを明らかに認めているようにみえることも再認識する必要があります。中国が将来、いかなる道を歩むかは私にはわかりませんが、確実にいえることは、毛沢東は西洋文明へのあまりにも急激な同化がもたらす危険を予感していたということです。彼はまた、工業的物質主義に傾倒しているロシアの共産主義にあまりにも盲目的に従っていくことに対しても、警戒していました。
13  この物質主義は、私的資本主義のかわりに国家の所管になっても、今日の世界を破壊に導く要因でなくなるわけではありません。毛沢東は、中国の広大さをもってすれば、一方で都市を発展させながら、それと平衡を保って、他方で農業資源を維持することも可能であると信じていたようです。
 知識人たちがある期間、強制的に田舎へ行かされ、農作業に従事させられるということが当時報道されましたが、この事実自体、あまりにも理知化され抽象化された文明のもつ危険に対する不安の、たぶん、単純で粗野な一つの表れであったようにみえます。
 知識人は都市社会で、そしてマス・メディアの発達によって、しばしば有害な役割を演じてきました。彼は、思考とはもっぱら抽象的観念を操作することであり“無償”の理念を弄ぶことだと考え、その深い基盤の欠如と、図式化と偏向性によって人間的平衡を揺さぶる知的秩序のことばと理論を広めることが自分たちの役割であると信じてきたのです。彼は、あまりにもそう信じていましたし、しかも、ますます、その傾向は強まっています。
14  十八世紀以来、知識階層は合理主義の無分別な勝利をめざしてきました。さらに近年になっては、その同じ道程においてですが、知識階層は、マルクス主義の教条主義とその物質主義にしがみついています。しかし、この脱線はこれくらいにして、毛沢東に戻りましょう。大工業の集中を避けて、分散した、したがって農村生活の段階に見合った工業でその埋め合わせをしようとした彼の努力は、どんなに強調してもしすぎることはないでしょう。
 私は中国に行ったことはないので、これがどのていど打ち立てられ、どれだけ実現されたか、知ることができません。しかし、私はそこに、西洋資本主義文明にもロシア・マルクス主義文明にも同様にあらわれている危機に対する意識の端緒が見られると思うのです。
 あらゆる点からわかることは、たぶん敵対しあっている、しかし同じ病弊を示しているこの苦境から脱出すべき時がきているということです。そしてまた、危機におちいった現代文明は、もし、政治による解決を見いだす希望がほとんどないなら、その精神自体を変革する方向へ向かうべきであるということも、私たちには明らかなことです。

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