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日蓮大聖人・池田大作

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科学時代  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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7  その意味で私は、あなたが「人間の欲望を満たすためになされた科学の発見は、絶えまない抑制がなければ、おそらく人類全体を破滅させる」と指摘されたことを、科学者自身が鋭く銘記して、研究すること自体にも、自らの良心による抑制を働かせる必要があると考えます。そして、そのために大事なことは、この抑制をなす良心とは、根本的には“生命をなによりも尊重する心”でなくてはならないという点が明確に認識されることです。
 これまで“国威の発揚”が最高の正義と考えられ、そのために奉仕することが“良心”とされたこともありました。たしかに、自分だけの利益や名誉を根本とすることにくらべれば、そのほうが高い理想といえました。しかし“国威の発揚”に貢献しても、幾百万の人命を奪ったならば、それは恐るべき悪であると考えなければなりません。“一人殺して罪人、百万人殺して英雄”というような矛盾は、断じて黙認されるべきではないでしょう。
8  なによりも尊いのは生命であり、生命は他のなにものにもかえられない至尊の存在であるとする思想こそ、真実の“良心”の基礎にならなければならないと私は考えます。何百万、何千万の人間の生命を奪うかもしれない巨大な力を扱う科学者は、とくにこの思想を、自己の“良心”の不動の基盤とすべきです。
 それとともに、自らの研究成果が、複雑な政治や社会の機構とその運動原理の中で、どのように使用されることになるかを、科学者自身が見抜いていくことも必要でしょう。といって、政治学や社会科学の専門的知識を科学者も身につけなければならないというのではありません。だが、少なくとも一般的な教養と、現実社会に対する感覚はもっていくべきではないでしょうか。
 そして自分の研究成果が、現実社会のメカニズムの中に取り入れられたとき、明らかに多くの人間生命を危険にさらすとわかった場合は、その研究を中止する勇気を科学者はもつべきではないかと考えます。
9  ユイグ 何人かの非常に偉大な科学者はこのことを痛いほどに感じているにしても、不幸なことに、現代に特有の実利的で実際的な考え方は“客観的探究”の考え方と相まって、たくさんの責任ある人びとに対し、細心さを窒息させる働きをしています。偉大なオッペンハイマー(アメリカの理論物理学者)さえも、人類にとって危険な結果をもたらすと思われた仕事に協力するのを断ったために裁判にかけられたことを、忘れないようにしましょう。

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