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日蓮大聖人・池田大作

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第一章 人類発展の三段階  

「闇は暁を求めて」ルネ・ユイグ(池田大作全集第5巻)

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1  第一章 人類発展の三段階
 池田 幾人かの思想家は、現代が直面しているのは周期的な現象の一つにすぎず、新しい出発を前にしての苦痛にすぎないと判断している一方で、他の人びと――その中には現代科学の研究者があげられますが――は、文明の一つの危機以上のもの、つまり、人類の存続がそこで問題になっている、ということを見抜いています。
 これは、歴史について総体的に見た場合に初めて明らかになることです。この点についての、あなたのご意見をうかがいたいと思います。
2  ユイグ まさにそのとおりで、私たちがいま遭遇している危機は、私の考えでは、それが関わっているものの大きさの点で、かつて前例のないものです。
 たしかに中世は、たとえば十五世紀に、戦争と流行病、とくにペストがあいついだ悲劇的な時代を経験しました。中世が達成していた安定は、このとき根底から揺さぶられたのです。さらにさかのぼると、ローマ帝国が自らの内に衰滅の原因となるものを増長するにまかせたとき、人びとは文明の一段階の崩壊と、さらにいえば古代世界全体の崩壊を目にすることとなったのです。しかし、これらの社会はすべて、このように破滅し根絶さえしましたが、西暦前三〇〇〇年紀に定着し形成されはじめた農耕生活様式という同じ一つのサイクルに属していたことを知る必要があります。したがって、私たちがここ五千年の歴史の中で参照している種々の危機というのは、一つの発展をたどってきた連続性の中での変動にすぎないわけです。
3  現代は、たんなる挿話的な偶発事件が起こっているのではなく、この連続性自体が根本から断ち切られているのです。このような変動は、過去にほとんど前例がありません。それが示している断層はあえてくらべれば、先史時代と農耕文明の出現とのあいだにみられた変化がようやく引き合いに出せるほどのものです。したがって、一つのサイクルの進行していく中に刻まれる交代の局面にくらべられるような亀裂の段差ではないのです。それは、人類の“段階(年代)”を分けた根本的変動のさいを除いては、かつて経験されなかった大きさと重みをもっているのです。
 この変動はなにによって成っているのでしょうか? 芸術はしばしば、この変動の忠実な記録者でありました。私はかつて『芸術と人間』という共同著作の中で芸術の全歴史を企図しましたが、そこでとくに力を入れて明らかにしようとしたのもこの点でした。
 そうした変動は、人間の環境世界に対する関係、つまり、世界を認識する仕方と、そこから期待するものを引き出して自らが望む組織化をそこに課すために世界に働きかける仕方を根底から変えます。しかしこうした変動は、実際は、想像されるよりずっと数的に少ないものです。
 それは、ようやく三つの主要な段階に分けられるだけです。
4  一、第一は先史時代です。
 当時、人間は世界を理解するためにも、その法則を利用するためにも、あるいは、それに対して自衛するためにさえ、ほとんど無防備です。先史時代の人間がもっている行動と防衛の手段は生来のものを延長しただけですが、この道具あるいは武器という偉大な発明によって、他のあらゆる獣たちと同じ資格を得たのです。
 先史人が世界についてもっている考え方については、芸術が今も残っている唯一の証言であるわけです。しかし、口承・記述とも伝承が欠如しており、仮説で解明する以外にないため、そのほんとうの意味を解釈することは困難です。
 しかしながら、天才的な先駆者であったブルイユ師(コレージュ・ド・フランス教授。先史学者)の研究を皮切りに、また、ルロア=グーラン(フランスの考古学者)の最近の研究によって、直面した自然のもつ力を味方にしたり、あるいは避けるために先史時代の人間が試みたのは、魔術的な力があると考えられたシンボルやシンボリックなイメージの手段によってであったこと、自然の力の本性が先史人にとって神秘的なものであったということは、まちがいなくいえます。
 それにもかかわらず、アフリカの原始そのままの種族について、フロベニウス(ドイツの民族学者)が生き生きと証明することができたのにならって、単純にそれを狩猟の呪術に関わっていたと断定することは、まだまだ困難です。これは、ブルイユ師の理論がそうだったのです。あるいは、さらに進んで、ルロア=グーランのように、そこにあるのは多産・豊饒の象徴であり、したがって、性的なものに大きい位置が与えられていたと考えることは可能でしょうか? これらの多様なもののいずれかを選ぶことは、先史時代が終わり農業文明に変わったころに消え失せた、人間の最も初期の態度をきめつけることになります。
5  二、西紀前三〇〇〇年ごろに、農耕人は新しい文明を準備します。先史時代の終わり以来、新石器時代の末期には、農耕生活の様式があらわれていました。しかし、それがほんとうの意味で成立しその独自の特徴をもつのは、まさに農耕的と呼ばれる大帝国の誕生にいたってです。たとえばエジプトがそれであり、東のほうへ行ってメソポタミア、それからインドで、これらには類似の文明の考古学的痕跡がみられます。最後に、もちろん中国があります。これは、この農耕生活様式の中にあまりにも強く定着してしまったため、今日でもその支配下にあります。
 この農業文明は、どう定義づけられるでしょうか? 農業文明によって、人間は、自然界の力に対して身を守るかわりに、同盟を結んだということができます。人間は、のちに“自然”と呼ぶようになるものと同盟を結びます。人間はこの“自然”がある恩恵をもたらしてくれることを理解し、人間はそれをうけとるべきこと、ただし、それは“自然”に順応し、それを利用する知恵を働かせることによってであることを理解します。人間は、この同じ知恵によって“自然”の盲目的で受け身的な存在ではなくなり、その潜在的可能性を見破り、それを現実化することができることに気づきます。――これが、農業の原理なのです。
6  人間は、自分の身を養ってくれる植物が大地から自然に生じ、大地によって生育していることに注目します。それによって、こんどはその種子をもって、耕作という方法で、それから新しい可能性をどのように増やし、引き出すことができるかをさぐっていきます。さらに身を入れて、大地を改良さえします。肥料をやることによって大地を豊かにし、その大地がこんどは植物を豊かにしてくれるようにするのです。
 人間は、さらに可能性を追求していきます。動物の中にも、植物の中にも、まだ眠っている能力があることを予感します。野バラからバラをつくりだして、目に見える美しさと、潜在力としてしかなかった香水を引き出したように、野生の植物の可能性を開発することを覚えただけではありません。人間は、現にあるものの中に散在している諸特性を結合させ、付加し組み合わせることに成功します。それは植物では接ぎ木であり、動物では交配です。一匹のイヌの嗅覚や強さに別のイヌの敏捷さを加えることによって、より有効な狩猟の道具を手に入れることができます。ですから、この文明の基礎にあるものは、品種改良なのです。
 このことは、エジプトの誕生以来十九世紀にいたるまで、人間の生き方はなによりも自然の再現であったこと、生き方の表現である芸術も、このやり方に従ってきたことを説明するものです。存在するものに対する崇拝から、芸術は、目に見える外形を写しとること、見分けられるものとして描くことに身を入れます。それは、写実的です。
7  しかし注意しなければならないのは、農耕技術にすでに認められるように、現にあるものを改良し、自らの好みに合うように変えようとする不断の関心を、そこにともなっていることです。この傾向は、極端にまでいきますと「完全美」の概念に達します。この「完全美」は十九世紀初めにもまだ、新古典主義ネオ・クラシシズムによってヨーロッパを支配する教条なのです。
 このアカデミックな芸術は、二十世紀の入口にいたるまで、自然崇拝を強制し、外見に従順であるよう強制する力を保持することに専念します。しかしまた、庭師や農耕者がするように、人間に固有の手段で、いうなれば、自然を耕す義務も保持することに専念します。彼は、自らがそこから出た、尊敬する自然のままの現実に、それを真っ向から反対したり、ねじまげるのでなく、自分の美の理想にしたがって一種の改良を施すのです。
 以上が、人類の歴史の第二の段階です。それは西洋では絶えまのない一つの発展を遂げてきました。それは、宗教にも深い影響を与えた一つの人間観を確立し、文明の基礎を築いたのですが、それが今や消滅しようとしているのです。
8  この文明が揺さぶられて破滅に瀕しているのは、それが本来、種子としてもっていたものでありながら、突然、荒々しく排他的な発展をしてしまった諸傾向がますます拡大していることによります。
 農耕人は、自然との協力から引き出した成果に魅惑されて、自然をよりいっそう支配したいという欲望を必然的にもつようになりました。こうして、彼は自然を変え、自らの意図に従わせようとしはじめたのです。たとえば、大きく広がっていた森林を破壊し押し返して、田園に変えたのがそれです。
 同様にして、土地に対する欲望から、人間同士のあいだに敵対関係が始まります。そこに戦争が登場したのです。武器の破片を打ち込まれたままの最初の骨は、大地の耕作が姿を見せはじめた新石器時代のものです。しかし、そうした新しい攻撃性や荒廃あるいは破壊の力も、まだ、調和の一般的原理によって支配されていました。それが放棄されるのは、科学と工業の新しい文明にともなってなのです。
 そのうえ、この科学と工業の文明は西洋のつくりだしたもので、東洋はその発祥に関わっていませんでしたが、それは一つの伝染病になって、たぶん、いまや東洋を悪化させ堕落させつつあり、やがてこんどは、アフリカもそうしていくことでしょう。この病気の伝播は、西洋におけるのと同じ悲しむべき結果をもたらそうとしています。その点については、さらにあとでふれましょう。
9  三、こうして、工業の時代が始まります。これ以後、人間はさらに推し進め自然を屈服させ侵す力を得ようと望みます。人間と自然との協力関係は断ちきられ、人間の側からの攻撃がそれに取って代わります。自然が約束として自ら提供してくれるものの最良の部分を手に入れ、また、自然がその約束を果たしてくれるよう助けるのにとどまらなくなって、人間は自然に襲いかかり、傷つけ、無理やりに搾取します。
 大地の中に人間は石炭資源を発見し、一世紀でそれを使い果たそうとしています。まだそれは目に見える事態にはなっていません。しかし、露天の採掘場が開かれると、風景は傷つけられ、丘は削られ、風光は破壊されるのです。
 人間にとって、以前のように風車や水車による自然的なエネルギーの開発では、もはや十分でありません。人間は新しい神となったエネルギーの核心に進もうとします。もっとも、エネルギーの概念が“物質”の伝統的な概念と入れ替わってくるのは、十九世紀の半ばごろです。物質は、私たちが現実に考えているようなものでなく、もはや多様の中の一つの姿にすぎず、いうなれば、エネルギーの一つの化身にほかならなくなります。人間は、こうして、物質がそれに与えているかたちの中に含まれたこのエネルギーから、新しい可能性、とくに電気的可能性を引き出していきます。
10  さらに、いつか、人間はその根源に、その原理に、可能性を求めていきます。そして、原子に到達してそれに近づきます。この原子は、その“アトム”という名が示すように、分割できないものとみなされていたのですが、人間は、そこに隠されおおわれるべく定められていたその力を解放し、核分裂を起こさせます。自然をこれ以上屈服させ、その最も秘められた資源をさらに解放するよう強いることは不可能です。その反動として生ずる巨大な衝撃の危険性はどれほどでしょうか!
 戦前、ジョリオ・キュリー(フランスの物理学者)がその研究をつづけていたとき、彼が大きな関心を払ったのはこの連鎖として起こる反動による破局を回避することであったのを私は覚えています。ひとたび、一つの原子からエネルギーが解き放たれた場合、その爆発が原子から原子へつぎつぎと広がるのを、どのようにさえぎるか? 一つの破壊がつぎつぎと広がっていって、地球の全物質に拡大し、この惑星の消滅をもたらしかねないことが予見されえたのです。
11  そこで突きつけられた問題は、その後、何年間かにわたって、原子爆弾をつくるうえでの土台になった大問題でしたが、それは、人間がつくりだしたこの爆発が、つくりだした者にはねかえってこないように防ぐことのできる制御手段を発見することだったのです(それが戦争の初めの幾年か一つの大きな役割を演じた“重水”の問題だったのです。しかし、これは、別の話になります)。人間は、自然に対して絶えまなく傷を押しつけながら、その代償によって、自然的条件を克服することに取り組んでいるのです。そのひどい侵略のしっぺがえしを、人間はたぶん、すでに種々うけています。人間は、工業の発達によるこうした結果について、よく考えるべきではないでしょうか? 人間は新しいエネルギー資源を引き出すことを必要としています。
 かつて、風車は風の力を利用しました。水車とタービンは、液体の流力を利用しました。自然の資源でそれらには十分だったのです。その後、工業はエネルギー資源の絶えまない拡大を必要とするようになり、それらを枯渇させるにいたります。こうして、石炭がなくなり、石油も、同じ運命にあるのです。
12  これはまだ、問題の一断面にすぎません。この資源消費によって生み出される製造工場の製品は、つねに増大する販路を見いださなければなりません。その代償として生ずるのが人間の堕落です。なぜなら、消費を増大するには、宣伝に頼って、人間の自然の好みを堕落させても、パブロフ(ソ連の生理学者)がすでに動物においてその効きめを示してみせた条件反射のシステムを応用することによって人工的な欲求をつくりだすのです。こうして、人間に欲求不満の状態をつくりだし、宣伝の、いらだたせ興奮させる効果によって、人びとが有害性の極限に達するまで消費するよう、人工的欲望をつくりだすわけです。これは、アルコールとタバコの場合がそれです。これら二つの自己破壊の手段に加えて、目まいのするような蔓延を示している麻薬があります。
 しかし、これですべてではありません。生産のために、工場はエネルギーを変形することを余儀なくされますが、この変形は二重になっています。一つは意志によって積極的になされるもので、製造のためです。もう一つは、不本意ながら不可避的に生ずる廃棄物です。それは自然界の中へ無差別に捨てられ、自然を毒しています。そして、これが私たちの直面している公害であり、現代はその恐るべき結果をうけはじめているのです。

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