Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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信教の自由
「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)
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このように、布教活動や、さらには宗教的な集会に対してすら加えられる制約は、特定の信仰にとっての表現を困難にしていますが、そうした制限は、さまざまな運動に対して差別的に加えられるものです。伝統的宗教の変形したものが、公権力の検閲によって軽い刺激を受けるということもあるでしょうし、まったく異質の信仰を布教していく運動だと、最初の足掛かりを得ることすら難しいと感じることもあるでしょう。このことから、象徴的な異議が凝集するための中心点として機能できるのは、それまで親しまれてきた宗教からの変形だけしかないといえるように思われます。
はたして反宗教的宣伝にどれほどの効果があるのかは、まだはっきりと答えが出ていない問題のようです。ソ連での証例によれば、年を重ねるにつれて世俗化が生じてきていることが分かりますが、この推移も攻撃的な無神論によってもたらされたというよりは、むしろソビエト社会の構造的変化の結果と見るべきで、ある面では、西欧諸国に世俗化をもたらした変化と異なるものではないようです。
もしそうであるならば、宗教それ自体(ないしは少なくとも土着の伝統と強く結びついた宗教)は、敵意をもってなされる宣伝によって衰退するものではなく、むしろそうした抑圧によって活力を呼び覚まされるのだといわなければなりません。他方、宗教の衰退が起こるのは、社会の状況が急激な変化の過程を経るとき、宗教が自ら適応性を失う場合です。
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たとえ政府の対宗教政策の効果がどのようなものであっても、いかなる社会もそれが自由社会と呼ばれるためには、何よりもまず信教の自由がその基本的要件となる、というのが私の見方です。誰もが話し合いに参加でき、さまざまな思想を探求し批評する権利があってこそ、人間は初めて自らの救いを見出すことができます。そして、そうした権利のうえにこそ、人間の他のあらゆる権利は依存しているのです。
さまざまな考え方を討議する権利も、自らが有益で正しく必要と信じるものを分かち合うことも、また他者の支持を取り付ける権利も、すべて人間が何を信じ、いかに実践するかを選ぶ権利の中に暗に含まれるのです。信教の自由と布教の権利なくしては良心も保たれず、真の民主主義もありえないとのあなたのご意見に、私も全面的に賛成です。
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(注1)エホバの証人派
一八七〇年代にアメリカで創始されたキリスト教団(セクト)。その説くところは、善の軍勢と悪の軍勢の戦争(アルマゲドンの戦い――エホバの証人派、イエス・キリスト、天使の群対教会、連合国家、悪魔等)が行われ、その後神の王国が建設されるが、その時は間近いというもの。彼らは、自分たちの聖書の解釈に従って、輸血を行うことを拒否している。約二百万人の信徒をもち、活発な布教活動を行っている。
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