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日蓮大聖人・池田大作

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死の恐怖とどう戦うか  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

前後
5  池田 死に対して人間を強くする要因として、卓越した自己訓練、まじめな目的観、自身の生命への責任感等を養うことにあるという教授のご意見に、私も同感です。
 仏教では、日々の修行を通して自己を訓練し、苦しみと対決し、それを克服し、また死と対面する強靭なる力を養うべきことを教えています。仏教は死を最大の問題として取り上げ、“良き死”と、その前提としての“良き生”のために、個人の生命の内奥から仏性を開示し、顕在化することを修行の目的にしています。
 仏道修行の目的は、結局、個人の生命の内奥に脈打つ仏性という大生命――宇宙それ自体としての生命――に帰り、そこから慈愛と英知に輝く尊厳なる力を湧き出だすことにあります。信仰者は、生と死の究極的基盤に流れる永劫なる大生命に帰り、そこから再び現象界に戻ってくるのです。すなわち、日常的生の中に死があり、その死が生を充実させ、生を推進していくのです。
 と同時に、仏教では、慈悲の行為による他者の幸せへの貢献を通してこそ、自らの完成もありうると教えています。
 そのような信仰者にとって、死は生の敗北ではなく、死もまた自己実現の巨大な契機であり、生命飛翔のための重要な要因となるのです。
6  ウィルソン おっしゃる通り、充実した信仰生活は充実した死を可能にします。私はさらに敷衍して、こう言うことができると思います。それは――もちろん私は、だからといって宗教的信仰が臨終の者に対して(また、同様に遺族に対しても)しばしば与える利益を過小評価する気は毛頭ありませんが――たとえ特定の宗教的信仰によってもたらされたものであろうとなかろうと、高潔さとまじめな目的観を抱いて一生を送るならば、暮らし向きにおいて長い間の困窮を経てきた人であっても、威厳と満足をもって死ぬことができるのではないかということです。
7  (注1)キューブラー・ロス(エリザベス)女史(一九二六年―)
 スイス生まれ。チューリヒ大学に学び、一九五七年学位(医学博士)を取得。元シカゴ大学精神医学部教授。死の問題の世界的権威。世界各地に講演旅行をして、死に対するいわれなき偏見と恐怖を取り除こうと努力している。著書に『死ぬ瞬間』『続・死ぬ瞬間』『死ぬ瞬間の対話』(いずれも川口正吉訳、読売新聞社)等がある。
 (注2)不可知論者
 認識は経験的事実のみに限られ、事物の本質や実在の真の姿は認識できないとする哲学者。英国のスペンサーがその代表。

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