Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

カリスマ性について  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

前後
9  私の信じるところでは、人々は、自分たちを率いてくれる者に、栄誉を与えたがるものです。指導されているという認識は、感謝と尊敬の念を呼び起こすものです。たしかに、それが行きすぎることもありえます。釈迦牟尼が、後世の信奉者によって神格化されがちであるのは、まさにその一例でありましょう。他の宗教においても、ほぼ同様のことが生じました。キリスト教でもイスラム教でも、その創始者たちが決して提唱しなかった“聖者”の概念によって、超自然的な力を個人に付与することが、事実上、制度化されてしまいました。
 人間の才能、適応力、情緒的安定、根気強さなどは、多くの属性の中でも、特にその差異が保たれるものです。このため、たぶん私たちは、リーダーシップは、人間事象においては不可避なものであるということを、認めなければならないでしょう。また、それだけではなく、人間の常として、自分よりも成功している人や進歩している人に対しては、自分にそうした能力がなくとも、あるいは自分が精神的な旅立ちをより遅い時点で始めたとしても、競争意識が起きるものだ、ということも認めなければならないでしょう。
 競争意識とか、尊敬の念、そして手本を探し求めることなどは、たしかに、これから学びたいと思っている者にふさわしい事柄です。これに対して、指導者としては、自分が達成した目標は、他の人々にも達成可能であることが認識されうるよう、常に留意すべきでしょう。そうすれば、リーダーシップは、依然として人間的なもの、近づきやすいもの、人を奮い立たせるものであり続け、カリスマの概念に含まれる呪術的な要素が生じるのを防止することになります。また、これによって、指導者に対する信奉者たちの尊敬の念も、それにふさわしいものとなるとともに、彼らの追求を前進させるうえで、その効力を発揮することになるのです。
10  (注1)カリスマ性カリスマとは元来カトリックの用語で特能、霊能、聖賜物などと訳されるが、社会学者マックス・ウェーバーによって学術用語化された。ウェーバーによれば、カリスマの資質をもつ者は、身体あるいは精神に超自然的・非日常的な特殊能力をもつ者である。ウェーバーは、社会における支配形態の一つとして、カリスマをもつ者と、それに帰依する者との関係をカリスマ的支配形態と名付けた。カリスマ的人格の例には、ペリクレスやナポレオンのような政治的指導者なども含まれるとされる。

1
9