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日蓮大聖人・池田大作

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普遍的生命と個別性  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

前後
7  ウィルソン 西洋では、各個人の死後の生命への考え方が、道徳の遵守という社会的要請の強力な支えになっていました。しかし、死後の生命への確信がひとたび衰退すると、それまで道徳的行為の支えであったものが、今度はかえって厄介な重荷となってしまったようです。つまり、死後の利益ということが、人々が善良であろうとする主たる理由であったとすれば、人々が、人生はたった一度しかないと信ずるようになったとき、今度は、その一度限りの人生の間に最大限の楽しみを――何を楽しみと考えるかは別にしても――追求してはいけない理由が、あまりなくなってしまったわけです。
 西洋諸国において道徳への思考様式が変わってきていることを、天国と地獄に関する信念が衰退したせいだけにするのは、軽率なことになるでしょう。天国と地獄への信念は、道徳の一つの支えにすぎなかったからです。しかし、道徳の遵守は、死後の世界での損益勘定という、宗教的に規定された考え方と密接に結びついていましたから、死後の世界への信念の衰退が、道徳の退廃を助長したということはいえますし、また、仕事・意欲・奉仕・共同責任・個人的節制といった道徳的価値に取って代わって、快楽主義や浪費主義といった、まったく異種の価値が横行する一助となっていった、ということもいえるでしょう。
8  今日、多くの人々が、非道徳的な行為を犯しても、(そのことで罰せられないかぎりは)たいしたことではないというふうに感じており、したがって快楽主義的な風潮が、着実に広まっています。テクノロジーを基盤とする現代の社会体制の運営にとって、消費はまことに重要な要素ですから、人々はみな“良いもの”をできるだけ多く消費するよう奨励されています。
 今日の社会はみな、広告産業という手の込んだ産業を維持していますが、この産業の唯一の狙いは消費を奨励することです。おそらく広告こそは、今日、徹底した快楽主義という社会的価値の、最も強力な伝播者なのであり、広告はそれを巧妙かつ露骨に、系統的かつ性急に、朝な夕な、生まれてから死ぬまで人々に押しつけています。
 そして、同じそれらの諸価値が娯楽産業を養う主食ともいうべきものになっているのですが、皮肉なことに、そうした諸価値が、こうした娯楽産業によって、商業的な思惑を抜きにして、まさに現代生活における“価値そのもの”とされているのです。数年前に流行したポップ・ソングには、このことが、端的にうまく表現されていました。「人生楽しく生きようよ。思っているほど時間はない」――。そこに表れているのは、人生はまさしく墓場で終わりだという思想なのです。
9  (注1)輪廻転生
 迷いの衆生が苦悩の世界を生死生死と流転すること。輪廻転生は同じ意味。
 (注2)業力
 業は身口意の所作。身口意の所作が因となって果報を引き起こす。この働きに善悪がある。
 (注3)涅槃(ニルヴァーナ)
 滅度・寂滅・不生・安楽・解脱等と訳す。一切の煩悩や苦しみを永遠に断じ尽くした境地をいう。
 (注4)阿弥陀仏
 西方極楽世界の教主の名。普通、浄土三部経に説かれる仏。日本では平安中期に源信の『往生要集』が出てから阿弥陀仏信仰が盛んになった。その後、平安末期に法然が出て浄土宗として日本全国に広まった。

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