Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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序 文  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

前後
10  上座部仏教の彼岸志向性のみを知り、キリスト教といえばその典礼や救済論、またその超越主義的な、そしてときには神話的な傾向を思い起こす西洋の読者諸氏は、これほどまでに宗教の社会的役割にのみ焦点を当てたこの宗教論議を、社会学独特の視点への明らかな譲歩ではないかと、あるいは誤って想像するかもしれない。しかし、実際には、まったくその反対である。日蓮大聖人の仏法には、本来、現世を重視する傾向があり、そのため宗教を社会的現象と捉えていくことが、私たち対談者の共通の基盤として直ちに合意されたのである。日蓮大聖人の仏法のまさにそうした特徴そのものが、社会学者との対話を容易にさせているのである。このため、両者の見解が食い違っている場合でも、私たちの心を占めているものは、近似のものである。私たちは、信仰に対する狭量な正当化には関心をもっていないし、宗教ないし諸宗教に関する最終的な評価を結論づけようとも思っていない。私たちの一方にとっては、そうした事柄はすでに解決ずみであり、もう一方にとっても、それは主たる関心事ではない。
 私たちは本書で、宗教のもつ影響力という視点から、急速かつ徹底的に変貌しつつある世界における、人類の状況に焦点を当てている。したがって、私たちがここで論じているのは、宗教的感情の本質、奇跡の特性、死後の生命観の意義、神秘主義、合理性の限界とその宗教への関わり等々である。また、両者のやりとりの中では、いくつかの、いくぶん些細な性質の話題もかなりの部分を占めたため、以下の本文中で、それらは予想以上に多くのスペースをとっている。その反面、いくつかの基本的な問題の多くは、むしろ当然の問題として、大きく扱われてはいない。しかし、こうしたあり方こそが純粋な意見交換の特質なのであり、抽象的・一般的な類いの問題から必然的に呼び起こされる思考よりも、いくつかの特定の主題のほうが、より活発な思考を触発するものである。私たちは、そうした展開を、ほぼそれらが生じるままにまかせておいたことに、満足している。
11  私たちはまた、分類のはっきりしている話題を項目ごとにまとめ、見出しを付けることによって、この対話を秩序立てようと試みた。しかし、いかなる一連の対話でも、一つの項目から次の項目へと連続する場合もあるし、ときには急に途切れる場合もあることは、当然のことであろう。私たちは、会話のやりとりに現れるそうしたまったく当然の展開を、すべて取り除こうとはしなかった。読者諸氏もまた、両者の、たがいの影響の与え合いがどう進展していったかを、知りたく思うに違いないと信じたからである。
 当初、私たちの意見交換を記録に残すことを初めて決めたとき、両者の見解がどの程度まで分かれるのか、ともに疑問に思わざるをえなかった。しかし、そうした可能性に対して、私たちは何らの抑制も修正も加えなかったし、興味深そうな話題を差し止めたり避けたりすることも、一切しなかった。実際、こうした精神に立ってのやりとりのお陰で、私たちはたがいに、いくつかの論点を切り開くことができたのである。それらを巡っての私たちの異なる観点が、真実の意見交換に見られるあの知的興奮を生み出しうることを、私たちは願っている。
 池田大作
 ブライアン・ウィルソン

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