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日蓮大聖人・池田大作

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21世紀文明と大乗仏教 ハーバード大学記念講演

1993.9.24 「平和提言」「記念講演」(池田大作全集第2巻)

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20  さて、関係性や相互依存性を強調すると、ともすれば主体性が埋没してしまうのではないかと思われがちでありますが、そこには一つの誤解があるようです。
 仏典には、「己こそ己の主である。他の誰がまさに主であろうか。己がよく抑制されたならば、人は得難い主を得る」「まさに自らを熾燃しねん(=ともしび)とし、法を熾燃とすべし。他を熾燃とすることなかれ。自らに帰依し、法に帰依せよ。他に帰依することなかれ」(宮坂宥勝『真理の花たば 法句経』筑摩書房)等とあります。
 いずれも、他に紛動されず、自己に忠実に主体的に生きよと強く促しているのであります。ただ、ここに「己」「自ら」というのは、エゴイズムに囚われた小さな自分、すなわち「小我」ではなく、時間的にも空間的にも無限に因果の綾なす宇宙生命に融合している大きな自分、すなわち「大我」を指しております。
 そうした「大我」こそ、ユングが「自我(エゴとの奥にある大文字の「自己(セルフ)」と呼び、エマーソンが「あらゆる部分や分子が平等に結びつく普遍的な美、永遠の『一なる者』」(『エマソン論文集』酒本雅之訳、岩波書店)と呼んだ次元と強く共鳴し、共振し合いながら、来るべき世紀へ「万物共生の大地」を成していくであろうことを、私は信じて疑いません。
21  それはまた、ホイットマンの大らかな魂の讃歌の一節を想起させるのであります。
  わたしは ふり向いて
  あなたに呼びかける、
  おお、魂よ、あなたこそ本当の「わたし」、
  するとあなたは、何とまあ、
  いとも優しげに
  一切の天球を配下におさめ、
  あなたは「時間」の伴侶となり、
  「死」に向かっては
  満足の微笑を投げかけ、
  そして「空間」の広大な広がりを
  くまなく満たし、
  たっぶりと膨脹させてみせる(『草の葉』鍋島能弘・酒井雅之訳、岩波文庫)
22  大乗仏教で説くこの「大我」とは、一切衆生の苦を我が苦となしゆく「開かれた人格」の異名であり、常に現実社会の人間群に向かって、抜苦与楽の行動を繰り広げるのであります。
 こうした大いなる人間性の連帯にこそ、いわゆる「近代的自我」の閉塞を突き抜けて、新たな文明が志向すべき地平があるといえないでしょうか。そしてまた、「生も歓喜であり、死も歓喜である」という生死観は、このダイナミックな大我の脈動のなかに、確立されゆくことでありましょう。
 日蓮大聖人の「御義口伝」には、「四相を以て我等が一身の塔を荘厳するなり」とあります。
 二十一世紀の人類が、一人一人の「生命の宝塔」を輝かせゆくことを、私は心から祈りたい。
 そして、「開かれた対話」の壮大な交響に、この青き地球を包みながら、「第三の千年」へ、新生の一歩を踏み出しゆくことを、私は願うものであります。その光彩陸離たる「人間と平和の世紀」の夜明けを見つめながら、私のスピーチとさせていただきます。ご清聴、ありがとうございました。
 (平成5年9月24日 アメリカ、ハーバード大学)

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