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日蓮大聖人・池田大作

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第14回「SGIの日」記念提言 新たなるグローバリズムの曙

1989.1.26 「平和提言」「記念講演」(池田大作全集第2巻)

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1  第十四回「SCI(創価学会インタナショナル)の日」を記念し、最近の私の所感の一端を述べて新たな出発としたい。
 SGIが一九七五年に発足して、昨年で十三年が経過しました。私どもはちょうど二〇〇一年への折り返し点に立ったわけであります。この間、各国メンバーの労苦をいとわぬ日々の活動により、今や揺るぎなき平和勢力としての基盤ができあがりつつあることはまことに喜ばしいかぎりであります。
 自国の歴史や文化、風俗を大切にし、その国のよき市民としてそれぞれの社会の繁栄に貢献してきたメンバーの努力が、着々と実りつつあることを実感するきょうこのごろであります。
 昨年、ブラジル政府公認の表彰団体であるブラジル教育統一協会からブラジルSGI(BSCI)に最高栄誉の「文化・教育功労大十字章」「グラン・オフイシャル章」「コメンダドール章」の三功労章が贈られました。
 これは昨年六月に行われた日本人の移住八十周年の記念式典における″一万人の人文字″の活躍など、ブラジルSGIのこれまでのブラジル社会での教育・文化への多大な貢献を称えて授与されたものであります。
 また、アメリカ連邦議会からは「青年平和国際賞」を授与されました。これは私個人に対する表彰ではありますが、同時にアメリカ社会の健全な発展と青少年の育成に尽力してきたアメリカSGIの社会貢献の労が認められたものでもあります。これはSGIの平和・文化・教育の路線が評価されたものと受けとめております。
 また、インドでは国際平和非暴力研究所から「国際平和賞」が贈られました。
 更に昨年八月にはシンガポールの独立記念日を慶祝する国家行事の「パレード」にシンガポール創価学会(SSA)が公式招待され、五千人のメンバーが華麗な演技で晴れの盛儀を飾り、独立記念日パレードの実行委員会から感謝状をいただいております。
 ここに幾つかの例を挙げましたが、各国各地域で様々な形でSGIメンバーの社会貢献の姿が見られる。
 こうした実績が積み重なるのを見るにつけ、SGIの運動が社会から深く認識され、それが定着してきたことを実感するのであります。
 私どもはこれからも世界の恒久平和の実現と人間文化・教育の興隆を目指す活動を更に自信をもって推進していきたい。私自身、各国の友の激励とともに、民衆の側からいかにして平和の基盤を強化しうるかという年来の使命を果たすべく、本年も可能なかぎり世界を回るつもりであります。
2  建設的対話で不戦の流れを
 人類は今、新しい時代への″大いなる過渡期″を迎えている気がしてなりません。それは、文明史的に見れば、ポスト(後)産業化社会にどう備えるかということになりますが、国際政治のうえからも、ここ数年のドラスチック(急激)な動きは、戦後長きにわたって世界に君臨してきた米ソ間の冷戦構造が崩壊しはじめたことを示しております。
 また、過渡期という点からいえば、新しい軍縮の流れが始まったという明るい展望がある一方、科学技術の進歩はより破壊力の大きい兵器を生み出すことを可能にしているとの警鐘も鳴らされております。現実は軍縮と軍拡の動きが混在しており、その綱引きが行われているというのが正確な見方といえましょう。
 二十一世紀まであと十余年、私どもはこの残された期間で、二十一世紀を迎える準備を整えねばなりません。いわば二十世紀の総仕上げの時を迎えており、それだけ既成の枠組みにとらわれないダイナミックで柔軟な発想と対応が要請されております。
 何よりも現代が″大いなる過渡期″を迎えているというゆえんは、戦後四十数年以上にわたって世界の政治構造の機軸となってきた米ソの二極体制、すなわちヤルタ体制が大きく揺らぎ、世界は多極化の中で混迷の度を深めているからであります。
3  旧知のキッシンジャー米元国務長官は、十数年前、世界は、軍事面では米ソ二極体制だが、経済面では、米国、ソ連、中国、日本、西ヨーロッパの五極体制化しており、政治面で見れば、更に多極化していると指摘しました。昨年、日本でも出版された話題の書『大国の興亡』(鈴木主税訳、草思社)でも、ポール・ケネディ教授は、この五極体制論を受けて、論を展開しております。軍縮の流れが進めば、こうした多極化現象が更に加速していくことは間違いありません。
 問題は、多極化現象がはらむ善悪両面であります。すなわち、それは一方では新たな世界秩序形成への助走たりうると同時に、他方、対応を誤ると、救いようのないカオス(混沌)を招き寄せてしまうからであります。「パックス・ルッソ・アメリカーナ」(米ソによる平和)は、力によるものであり、ほころびだらけのものでしたが、それなりの一つの秩序であったという側面は否定できない。その体制が揺らぎ始めるや否や、タガの外れた桶から水があふれ出るように、多くの不安定要素が生まれてくることは道理であります。
 こうした地殻変動的な揺れをそのまま放置しておくとT・ホッブスの「万人の万人に対する戦い」ではありませんが、世界は、無政府状態のカオスになりかねません。今、必要なのは東西、南北の古い枠組みを超えた相互依存の新たな世界秩序のシステムを作り出す構想力でありましょう。そこに、人類史の直面する最重要課題があるといってよい。
4  大海のうねりのような激動する国際情勢にじっと目を凝らすと、その水底に今、一つの確かな流れのようなものが見え始めている気がいたします。それは新しい″対話の時代″の夜明けともいうべきものであります。
 昨年、モスクフで行われた米ソ首脳会談の共同声明には、こううたわれております。
 「両首脳は、二人が打ち立てた政治的対話の拡大は、相互の利害や関心にかかわる諸問題を解決する効果的な方法であると確信した。双方は米ソ関係を性格付ける両国の歴史、伝統とイデオロギーにおける現実的な相違を軽視はしない。しかし、双方は対話は続けられると信じている。なぜならば対話はリアリズムに根ざし、具体的な結果を達成することに焦点を当てているからである。これは今日の問題のみならず今後、また来世紀の問題に関しても建設的な基礎となりうるのである」
 イデオロギーや体制の違いを超えて、また固定観念にとりつかれることなく、まず最高首脳同士が会い、胸襟を開いて話し合う――そこに二十一世紀への問題を解決し建設的な平和の基礎を築くカギがある――。これは私どもの年来の主張でもあります。
 本年もゴルバチョフ・ソ連共産党書記長とブッシュ米大統領との米ソ首脳会談が期待されております。加えて本年前半には全世界注目のうちに三十年ぶりの中ソ首脳会談も予定されております。かねてから世界の最高首脳の会談の重要性を強調してきた者として、こうした一連の首脳会談によリグローバル(世界的)な緊張緩和の流れが更に加速することを心から願うものであります。
5  私が、なぜ対話を重視するかといえば、対話や言論というものは、人間が人間であることの誇るべき証であると信ずるからです。より端的にいえば、言葉の″海″の中で、人間は人間になるのであります。プラトンが『パイドン』の中で、いみじくも述べているように「言論嫌い(ミソロゴス)」は「人間嫌い(ミサントローポス)」に通じており、対話や言論を放棄することは、人間であることの放棄に通じていってしまいます。人間であることを放棄すれば、そのとたんに人間は歴史の主役の座からすべり落ち、もっと下位の例えば獣性に、その座を譲ってしまうでしょう。その獣性が、イデオロギーや大義名分、ドグマの仮面をかぶって、文字どおり″問答無用″の武力や暴力で人間を蹂躙している惨状を、私どもは、歴史のうえでいやというほど目にしてきました。
 逆に「反乱の目的は解放であるのにたいして、革命の目的は自由の創設である」(H・アレント『革命について』志水速雄訳、合同出版)という観点からのアメリカ革命の評価にしても、「意図をもって計画され遂行された歴史上最初の大革命」(E・H・カー『ロシア革命の考察』南塚信五口訳、みすず書房)という観点からのロシア革命の評価にしても、通底しているのは、そこに、言論や対話を機軸にした人間性による獣性の支配を見る″眼″であるといってよい。両革命が、当初の意図をどれだけ実現したかは、もとより別問題にしても――であります。
 それゆえに、″対話の時代″は″人間の時代″といってもよく、首脳レベルにおいても、民衆レベルにおいても、対話の活性化のもつ意義は、どんなに強調してもしすぎることはないのであります。
6  現在の地殻変動的な激動によってもたらされるのは、単に米ソ体制の崩壊という現実だけではありません。それは歴史的な視点でいえば、十七世紀中葉にヨーロッパに端を発し、今日に至るまで続いてきた「国民国家」システム、すなわち国家を国際的に最重要の行為主体と見なす在り方が、根本的に問い直されているからであります。
 この「国家」が、一朝一夕に消え去ることは、まずあり得ないでしょう。しかし、だからといって、あまり既成の観念にとらわれるのも考えものであります。日本の江戸時代末期、あれほどの堅牢を誇った徳川幕藩体制のあっけない解体を、どれほどの人が予想したでありましょうか。「国家」といっても、それが勢威を振るったのは、十九世紀がピークであり、二十世紀の第一次世界大戦ごろからは、揺らぎ始めております。更に核兵器の出現によって、今まで自明のこととされてきた国家の戦争遂行能力が問われ始めるなど、もはや「国家」という統合体の中だけでは何事も処しえない時代を迎えております。国家の名のもとにのみ国民が一元的にまとまって進んでいける状況にはありません。
 核兵器や環境汚染に代表されるような人類的課題を解決するには、国家の枠組みを超えた発想と取り組みが必要なことが、世界的に認識されるようになってきました。主権国家の狭い枠組みにとらわれているかぎり、人類の未来を考えることはできず、そうであっては、人類存続の基盤すら根本から揺さぶられるというのが、私どもの置かれている時代の位置なのであります。
 そこからグローバルな発想に立った新たな思考法が要請されております。国際的な″対話の時代″が生まれている背景には、経済問題等様々な誘因がありますが、こうした新しい変化の芽が生じていることに注目したい。
7  解体しゆく「冷戦」構造
 本年、米ソ両首脳が交換した新年のメッセージの中でも、ゴルバチョフ書記長は「本質的に、私たちは一つの家族だ。全人類のために力を合わせ、真に平和な時代をつくり上げるために、我々が十分な理性と善意をもっていると私は信じている」と強調しています。同じくレーガン大統領もメッセージで、米ソ間に「共通の基盤を見いだすことができた」と両国の関係改善を称え、エールを送っております。
 こうしたグローバルな発想は、私ども民衆にとって、常識といえばいえましょう。しかし、そうした常識が通用しなかったのが、今までの国際政治の舞台だったわけであります。従って、このような発言が、政治家しかも膨大な核戦力を握って対峙している超大国の首脳によってなされたところに実に重い意味があります。自らを「世界共同体の一員」と規定するという発想は、東西対立という冷戦思想を超えた新しい志向性を示すものといえましょう。
 戦後世界を律してきた米ソという二つの超大国のイデオロギー的対立に、今、巨大な変化の波が押し寄せていることを否定する人は、もはやだれもいないにちがいない。しかもこうした変化は、「パックス・ルッソ・アメリカーナ」の網が世界のすみずみにまで張りめぐらされていたがゆえに、単に米ソ両国間の関係にとどまらず、国際社会に与える影響は極めて甚大なものがあります。
8  ダニエル・ベルによって″イデオロギーの終焉″が叫ばれて三十年近くになりますが、ようやく私は、戦後初めてイデオロギーや体制の差異を超えて、全体として世界共同体的な方向を目指す萌芽が生まれているとみたい。米ソ首脳会談を通して両首脳とも、イデオロギーよりも重要な共通の利益があることを認識したといってよい。それは共に生き残り、平和的に繁栄の道を探す以外ないという結論であります。
 ヤルタ会談に臨んだF・D・ルーズベルト大統領は「友人をつくろうとするならば、ただ一つの方法はすすんで自分自身が友人になることだ」とのエマーソンの言葉を信条としていたそうです。それは、その後の歴史を見れば、シニカル(皮肉)な冷笑の標的でしかなかったかもしれません。しかし、ヤルタ体制四十数年――長いといえば長く、短いといえば短かった歳月を経て、ルーズベルト大統領の理想主義は、ようやく絵空事ではなくなりつつあるといっては、感傷的に、あるいは楽観的にすぎるでしょうか。少なくとも私は、エマーソンのごとき豊かな詩心がなければ、政治の世界は「巨獣」(プラトン)の宰領する世界に堕す以外にないと信じております。
9  とはいえ、米ソ首脳の共同声明に「対話はリアリズムに根ざし……」とあるごとく、リアルな認識も失ってはならない。つまり、こうした米ソの協調体制だけを見て、世界の今後の行方を楽観視ばかりしていては、現実を行く舵をとり誤ってしまうでしょう。新しい歴史の潮流はその緒についたばかりであり、世界には今なお厳しい課題が山積しております。
 だからこそ、大切なことは、だれもがそれぞれの立場で力を尽くし、この潮流を広く大きくしていく主体的な努力でありましょう。要は、″外野席″からの冷たい評論ではなく、実践による関わりであり苦闘であります。
 そうした観点に立てば、昨年、米ノの緊張緩和の流れを反映し、世界各地で地域紛争に和平の動きが活発化したことが注目されます。
 アフガニスタンからのソ連軍の撤退、イラン・イラク戦争の停戦、更にはアフリカの西サハラ紛争やアンゴラ内戦も和平へ動いた。パレステナ解放機構(PLO)がイスラエルの生存権を認め、PLOとアメリカとの間で会談がもたれたことは、中東問題に一筋の明るい展望をもたらしました。
10  国連を中心に世界平和維持
 こうした世界の和平の流れをつくるうえで、昨年、国連の果たした役割は極めて大きなものがあります。なかでもアフガニスタン和平、イラン・イラク戦争の停戦を実現するまでには、デクエヤル国連事務総長をはじめ国連を軸にした調停工作が実質的な効果を収めたことは周知のとおりであります。
 そして昨年度のノーベル平和賞が国連平和維持軍に与えられ、国連の平和維持活動への評価が高まったことは大変意義深い。様々な機会をとらえて″人類の議会″としての国連への支援を訴えてきた者として、これはまことに喜ばしいことでありました。
 いうまでもなく国連は、人類が再び戦争の惨禍を受けないために、戦争の再発を防ぐ目的で設立されたものであります。それは主権国家の自発的な協力を基盤に、恒久的な平和秩序を作り上げようという考え方に立っておりました。
 しかし、戦後、国連憲章にうたわれた集団安全保障の構想は、厳しい東西対立によって脆くも挫折し、その後の国連の歴史は平和維持機能の発揮を著しく欠いた苦闘と挫折と模索の軌跡であったといえましょう。
 そのため安全保障理事会や総会に提訴された国際紛争の多くが解決の実をあげることができませんでした。
 一方で国連は、経済開発機能、人権擁護機能、人道援助機能等の面においてはそれなりの実績をあげ、評価されております。今日、そうした四十数年にわたる国連史を振り返ると、平和の問題にしろ開発の問題にしろ、国連を構成している主権国家の問題解決能力に大きな限界があったという事実に突き当たらざるを得ません。
11  本来、国連は人類の平和と福祉を現実のものにするための″媒介″として存在するものであります。だが、その国連の可能性を国連加盟の各国が現在まで十分利用しえなかったというのが現実であります。
 ようやく昨年、地域紛争の解決に果たす国連の役割が改めてクローズアップされました。この過程で確認されたのが、国連のもつ外交調停の能力であり、国連平和維持軍の活用であります。今、世界は改めて国連が世界平和維持に必要不可欠な国際機構だという認識に到達したといってよい。
 国連の専門家の見方では、本年から世界的に国連を通じての平和と安全の追求と探求が制度化されながら強まっていくだろうといわれております。
 事実、昨年十二月の国連総会演説でゴルバチョフ書記長は「今や、国連を抜きに世界政治を考えることはできない。最近の平和維持活動は、我々の課題を処理する能力が国連にあることを示した。国連は二国間、地域的、包括的な努力をまとめることのできる唯一の機構である」と述べ、国連の役割を高く評価しております。
 また中国の銭其琛せんきしん外相も、昨年末、中国の外交目標として国際政治と経済面での新しい秩序を定着させる国連中心の「新国際秩序の確立」を強調しております。
12  私どもはかねてより新たな世界秩序への統合化のシステム作りのために、国連を中心とし、その権限を強化すべきことを主張してきました。いまだ楽観は許されませんが、国連を世界平和確保のための中心的機構として位置づけ、世界の軍事的な対立構造を解消し、戦争を未然に防止する平和的体制が形成されていくならば、二十一世紀への明るい展望が開けてくるでありましょう。
 国際的な多極化の流れの中で、新しい政治的、経済的秩序を作り上げるために、国連を中心にしていくことは、最も現実に即した行き方であると思います。
 もともと国連の出発点は、大国主導型の世界秩序の形成にあったわけではない。大国、小国の別なく、国が協調しあって世界平和のために前進しあうことに、国連の初心ともいうべきものがありました。
 国連創設に至る経緯を振り返ってみると、戦後の平和機構をどう性格づけるかという点で米国、英国、連の間で様々な思惑が絡み合ったことはよく知られております。英国のチャーチル首相は、世界平和について大国主導型で勢力均衡政策を追求することに執心した。ソ連のスターリン首相もまた米国、英国、ソ連を中心とした大国のリーダーシップを強く主張したといわれます。
13  これに対し、米国のコーデル・ハル国務長官が決定的な役割を担う。彼は、戦後の平和機構に国の大小にかかわらず、すべての国を加入させるという普遍主義に立脚した考え方をもっていました。
 一九四三年十月、ハルが出席した米英ソ外相会議で出されたモスクワ宣言では、すべての平和愛好国の主権平等の原則に基づく世界的国際機構の設立の必要性がうたわれ、小国が戦後の国際機構に参加できることを初めて大国が公式的に認めるものとなりました。
 このハルの普遍主義はグローバリズム(世界主義)に裏打ちされていました。すなわち世界が地域主義のもとにブロック化する方向に行く危険性を排除しようとの意図が込められていた。ハルの熱意が、大国中心的、地域主義的な考え方をもっていたルーズベルト米大統領を大きく動かし、最終的に普遍主義に基づく国連創設へとつながっていったといわれております。
 大国の様々な思惑が複雑に絡み合いながら、ともかくも国連が誕生しえた背景には、二度と戦争を繰り返すまいとする恒久平和への強い希求と、そのための国際機構を創設しようとの熱い願いがあったからにほかなりません。
 東西の冷戦構造が崩壊しはじめた現在、新しい歴史の潮流の中で、国連の初心に立ち返り、グローバルな平和秩序をどう形成していくかを追求していくことは不可避であり、かつ計り知れぬ意味があるといえましよう。もともと国連を中心としたグローバルな規模の多角外交は、二国間外交を補完し、国際的な平和秩序を形成するうえで不可欠のものであります。その本来の役割を更に強化する方向性が、世界の英知を結集して考えられねばなりません。
14  「紛争防止センター」を設置
 ところで、私は六年前の第八回「SGIの日」記念提言(本全集第1巻収録)で、米ソ間に「核戦争防止センター」の設置が必要なことを主張いたしました。その後、米ソ間の話し合いを経て、偶発的な核戦争を防止する「危機軽減センター」を設けるという合意が成ったことは、私の念願とも符合しており、喜ばしいことであります。
 これは、米ソ間のことですが、国連への評価が高まっている今、国連においてもその本来の機能ともいうべき紛争を未然に防止する働きを何らかの形で強化する道を探ってほしい。
 既に国連は一昨年三月、事務総長直属機関として「調査・情報収集室」を発足させております。世界の紛争の兆しをキャッチするため、常時、情報を収集分析し、それに基づいて事務総長が先手を打つための仕組みだといわれております。この「調査・情報収集室」の機能を更に拡大強化する目的で、新たに「紛争防止センター」を国連内に設けてはどうでしょうか。
 時代の大きな要請として今、世界の各地域において軍縮を実現する方向が模索されております。国連でもアジアのネパール、アフリカのトーゴ、ラテンアメリカのペルーのそれぞれに国連地域軍縮センターが設置され、地域の平和と軍縮を推進しようとしております。
 一つのアイデアとしては、こうした各地域のセンターとも密接な連携をとりつつ、国連本部の「紛争防止センター」が機能していく方向が考えられましょう。
 また、繰り返し訴えてきたことですが、国連を中心にした世界秩序システムを構想するに際し、忘れてならないのはNGO(非政府組織)の存在であります。
 国連総会は、しばしば″人類の議会″と称されます。しかし、主権国家同士が国益を最優先させ角逐かくちくしあう場に、加えて大国のエゴイズムがまかり通る場になってしまっては″人類の議会″の名に値しません。
 国連憲章の前文冒頭には「われら連合国の人民は」とあることを改めて想起したい。国連が平和維持機関であるとともに、民主的な機関たろうとするならば、国連を構成する主権国家の市民の支持こそが必要不可欠であります。
 近年、国家を機軸にして地球を捉えるのではなく、国境を越えた人類共同体としての意思をまとめ、地球が生き残るための方策を考えることが、国連の重要な役割となっております。この場合、利害が複雑に絡んだ主権国家だけに任せておいては問題の解決はなかなか困難であります。そこで、何よりも今日要請されるのは″国家の顔″よりも″人間の顔″――すなわち、国連が真実″人類の議会″を目指すならば、従来、あまりにも目立ちすぎた″国家の顔″ではなく″人間の顔″を立てるよう努めてこそ、よりよき機能を発揮できるでありましょう。
15  「戦争と平和展」の国際的開催ヘ
 こうした背景もあってNGOの活動が注目され、その役割の重要性が強調されてまいりました。SGIとしても、これまで国連と協力しつつ、「核兵器―現代世界の脅威」展を世界各地で開催してまいりました。六年間にわたった開催は、十六カ国二十五都市に達しております。
 私どもがこの展示開催に力を入れたのは、何よりもここ数年、核兵器の脅威が全人類の頭上に重くのしかかっていたからにほかなりません。現在もこうした脅威が消えたわけではない。しかし、二十一世紀を指呼の間にした今、核の脅威に限定せず、技術革新によって急速に進歩する現代兵器を含め、よリトータルな形で二十世紀の戦争と兵器の歴史を振り返りつつ、新たな不戦の時代へとつなげる視座が要請されております。
 そこで、これまでの展示を発展的に解消し、新たに環境、人権問題等、二十一世紀の人類的課題も含んだ総合的展示の開催を図ってまいりたい。こうした企画に賛同する世界のNGOとも協力しつつ、新しい「戦争と平和展」を国際的に開催する方向を考えていってはどうかと思っております。
16  いうまでもなく国連中心の新たな世界秩序を確立するためには、国際的な世論のバックアップが不可欠であります。そこにNGOの知恵と力の結集が必要であります。そこで、新しい世界秩序のシステムを多角的に構想する民間の力を結集する方途を考えてみたい。例えば、世界のNGO、平和研究者、平和運動家等の代表が参加する国際会議を″NGO平和サミット″のような形で開いてはどうか。世界のNGOと協議しつつ、SGIもこうした方向に協力を惜しむものではありません。
 さて、歴史を一直線の進歩と見るのは、いうまでもなく楽観のそしりを免れませんが、最近の世界の動向は、もはやイデオロギーや体制上の相違が引き金になって世界戦争が発生するような時代ではないことを示してはいないでしょうか。また、例えば歴史的にフランスとドイツはしばしば武力衝突の悲劇を繰り返してきました。しかしEC(欧州共同体)の一員となった今、両国が再び砲火を交える可能性は極めて少なくなっております。その意味では不戦関係が確立しつつあるといってよい。
 一九九二年には「欧州共同体」十二カ国の市場統合がスタートします。戦後、西ヨーロッパはEEC(欧州経済共同体)を結成し、国家主権の一部を互いに制限しあいつつ、お互いに発展を目指してきました。こうした国家主権の枠組みを乗り越えて、一つにまとまって繁栄を目指そうという欧州共同体の実験が着実に成果を上げている今、その歴史的経験は更にグローバルな形で生かされてよい。
 本年は更にアメリカとカナダ両国が、関税など貿易の障害を互いにすべて取り払うことを約束した自由貿易協定をスタートさせました。
 こうした方向を経済のブロック化に向かう動きだと単純に速断してはならない。むしろ経済活動はもはや国境をはるかに越えており、相互依存の時代を迎えていることをよく認識すべきであります。そうした国境を越えた経済の潮流を世界の政治的「不戦」の流れに結びつけていく方向が求められております。日本の古人は、瞥幣を「お足」と名付けました。売買の手段として、長い距離を渡り歩くからであります。今、交通通信がこのように発達しているのに、いつまでも人間の「足」がその後塵を拝しているようでは、情けないかぎりであります。
 いまだ不安定な要素があるといえ、今年は不戦の流れがヨーロッパからアジア・太平洋にも広がることを期待したい。残念なことですが、第三世界には依然として紛争や内戦が後を絶ちませんが、グローバルなスケールで見れば、状況はかつてない「不戦」の時代が生まれる可能性をはらんでおります。
 本年は核兵器のみならず通常兵器の分野でも東西間の軍縮が前進すると予測されております。中ソ首脳会談によリアジア・太平洋地域に画期的な緊張緩和の流れが生まれれば、カンボジア問題の解決、更には韓・朝鮮半島の南北対話にも大きな進展が期待されましょう。
17  韓国・北朝鮮最高首脳の対話を期待
 大韓民国(韓国)の慮泰愚大統領は新年の辞の中で、一九八九年について「韓国の民族史の願いである民主繁栄と統一を成し遂げるかどうかを決める分水嶺になる」と述べ、「南北を遮断する対決の壁を崩し、平和統一の転機をつくるのに決定的な時期になるだろう」と、その意義を強調しております。
 更に同大統領は「同族間の厳しい戦争を経験し、冷戦体制の最後の遺産として残った南北間に和解と突破口がつくられ、往来と貿易が始まれば、統一は二十世紀が終わる前にわれわれの前に近づいてくるだろう」と述べております。
 これまで私は南北の対話促進の機運を歓迎し、南北最高責任者の会談が一日も早く実現することを希望してまいりました。その実現のためには、まだ二山も三山も越えねばならないでしょう。そこには粘り強い努力が要請されます。何よりもそこに住む民衆のために、本年がその首脳会談への突破口を開く年であってほしいと願わずにはおれません。
 こう見てくれば、今年はヨーロッパからアジア、アメリカヘかけて「不戦」の流れともいうべきものが生まれる可能性が十分にあることがわかります。問題は、こうした不戦の″点″をどう″線″に結び、更にそれを広大な不戦の大地という″面″へと発展させるかにかかっております。
 そうした「不戦」への流れの中にあって、私どもが最も部意すべきは「民族」の問題の帰趨であろうと思います。これは「国家」と重なる部分もありますが、「国家」よりも根が深く、日本のように、ほぼ単一民族に近い社会ではなかなか理解しにくいのですが、ソ連やアメリカに代表されるような多民族国家にあっては、「国家」を内から揺るがす動因となっております。
 「パックス・ルッソ・アメリカーナ」とは、何よりも核兵器を頂点とする両超大国の圧倒的に強力な軍事力に支えられたものでありますが、同時に、それぞれが「グローバリズム」(世界主義)、「ユニバーサリズム」(普遍主義)を掲げていた点にも、特徴があります。そうした点に、むき出しの武力による支配を正当化しにくくなったという時代の″進歩″が読み取れなくもありません。
18  それはともかく、「グローバリズム」や「ユニバーサリズム」は、アメリカの場合、″冷戦宣言″ともいうべきトルーマン・ドクトリンに典型的に見られる反共主義的イデオロギーとして機能しました。私は、一昨年の第十二回「SGIの日」記念提言「『民衆の世紀』へ平和の光彩」(本全集第1巻収録)でも、アメリカ的な「ユニバーサリズム」の明暗両面に触れましたが、ヤルタ会談を主導したF・D・ルーズベルト大統領のヒューマニティーにあふれた理想主義は、その後に続いたトルーマン大統領の時代にあって、ソ連の出方も手伝って、にわかに対決色を強めていきました。「自由な人々が、全体主義政権を押しつけようとする外圧に逆らって、自分たちの制度とその本来の姿を維持する手助けをする」ことを唱えた対決イデオロギーは、普遍主義の暗転と言わざるを得ないでしょう。
19  アメリカ革命の際、T・ペインが「アメリカの主張は、その大部分が、全人類の主張」(『コモン・センス』小松春雄訳、岩波文庫)と謳い上げた普遍主義は、良い意味でも悪い意味でも″一国″をきえる遠心作用を内在させているのですが、第二次世界大戦後の経過を見ると、善意に発してはいてもそのメシア(救済)的使命感は裏目に出る場合が多かった。「民族」を超えた普遍的な結合へのシステム作りに貢献したとはいえず、ベトナム戦争やイラン革命に象徴されるように「民族主義」的な土着のエネルギーとの対決色を強めていった事例が多いのであります。
 しかし「民族」に対する「グローバリズム」や「ユニバーサリズム」の至難さという点においては、社会主義イデオロギーもより重大な原理的問題をはらんできました。第一次世界大戦の際、国際主義と国民主義との間を揺れ動くK・カウツキーを、レーニンが「背教者」と位置づけたように、マルクス・レーニン主義というものが、プロレタリア国際主義の旗のもと、当初から「民族」現象と対極に位置し、それを乗り越えるものとして構想されていたからであります。
20  『共産党宣言』は「労働者は祖国をもたない」という、あまりにも有名なテーゼ(命題)を掲げて、階級対階級の対立や搾取がなくなれば、国家対国家、民族対民族の対立や搾取も、自然に消滅していくとしております。すなわち、プロレタリア国際主義という「グローバリズム」「ユニバーサリズム」を実現しゆく動因としては、「民族」は「階級」の下位に位置づけられてきました。
 しかし、そうした展望は、ロシア革命がやがて世界革命を引き起こす口火になるであろうとのレーニン等の予測が裏切られて以来、時を追って困難になってきたことは、改めて述べるまでもありません。戦後、東欧諸国で起きた一連の自由化の動きへの武力制圧の歴史、例えばチェコスロバキアヘの武力介入の際、「階級」の名のもとに「民族」を強圧する「制限主権論」――いわゆる″ブレジネフ・ドクトリン″が出されたのも、記憶に新しいところでしょう。
21  その点、ペレストロイカ(改革・再建)を推進するゴルバチョフ書記長が、内外において、諸民族間の自主、自決、平等を訴えていることを、大いに歓迎するものであります。加えて、ペレストロイカの進行と軌を一にして、多民族国家ソ連の国内での民族問題の噴出ぽ――アルメニア、アゼルバイジャン、バルト海三共和国等――について、敏腕な同書記長の対処が期待されるところであります。
 武力をもってしても、イデオロギーをもってしても消滅させることができず、間欠泉のように噴き出し、ついには抑圧者を逆に放逐してしまう「民族」というエネルギー。ナショナリズムのもつ土着の力は、伝統的な風俗や文化、宗教とも混じり合い融け合って根強い存在であります。
 これは、当然といえば当然の流れなのであります。これまでの歴史を振り返ってみても異民族同士が対等・平等に付き合うということは、言うは易く、行うになかなか困難なことであります。民族間においても、多民族国家の内部においても、おおむね、異民族同士の差別、抑圧、支配の関係が大勢を占めてきました。しかし、そうはいっても差別、抑圧、支配の対象となった少数民族の感情をいつまでも力で抑えようとするのは錯誤であります。植民地主義や戦後の「パックス・ルッソ・アメリカーナ」の解体過程とは、そうした少数民族、被抑圧民族の声なき声を顕在化させる過程であったといってよいかもしれません。
 私は、この流れを決して逆流させてはならず、それらの民族の権利は、例えばアジア・アフリカ諸国の良心の結晶ともいうべき″バンドン精神″″平和五原則″にのっとって、徹底して擁護されていかなければならないと訴えたい。その点、今までの実績からみても、国連の果たす役割に期待するところ大であります。
22  民族問題解決への正しい道
 さて「民族」という問題は、なぜこのように根強く、人間や社会にとりついているのか。私は端的にいって、やはりそこに、アイデンテイティー(主体性、自己同一性)の問題が絡んでいるからだと思います。アイデンティティーという言葉は、様々に論じられて、やや手垢のついた感がありますが、その中身――自分が本当の自分であるということの確実性の感触、つまり生きることの根拠の問題――に片がついたとはとうてい思えない。むしろ、均質で画一的な産業文明から脱産業文明への時代を迎えてアイデンティティー・クライシス(主体性の危機)の問題は、一層切実さを増しているといっても過言ではありません。そこに、「民族」の問題がクローズアップされてくるゆえんがあるわけであります。
 「民族」とアイデンティティーの問題を考えるとき、すぐ思い起こされるのは、オーストリアの作家S・ツヴアイクの痛ましい晩年であります。周知のようにツヴァイクは、世界的名声を博した作家でしたが、ナチス・ドイツのオーストリア占領によって故国を追われ、失意のうちに亡命先のブラジルで自殺しております。
 その回想録『昨日の世界』は、ロマン・ロラン等と並んで、稀有なコスモポリタン(国際人)的資質の持ち主であり、生涯、ヨーロッパの精神的結合という理想を追い続けたツヴァイクが、ひとたび故国を追われるや、どのような精神状態に落ち込んでいくか――哀切感に満ちみちた運筆は、その委曲を伝えて、息苦しく痛ましいかぎりであります。
23  旅券を失ったときの心情を、彼はこう述べています。やや長文になりますが――。
 「あらゆる形の亡命というものは、それ自体すでに不可避的に一種の平衡の乱れの原因となるものである。人は――このことも、理解されるためにはどうしても経験されなくてはならないが――自分自身の大地を足下に踏まえていないと、直載な態度を失うし、自信がなくなり、自分自身に対して不信の念を抱くようになるのだ。そして私は告白することを躊躇しないが、本来は私にとって外国のものである書類や旅券を持って生活しなければならなくなったその日から、私はもはや私自身と同じものではない、という感じを受けたのであった。私の根源的な、本来の自我との自然な一致の何ものかが、永久に混乱した状態を続けるようになったのである」「私がほとんど半世紀を通じて、コスモポリタン的に『世界の市民』として鼓動するように私の心臓をしつけたことも、その甲斐はなかったのである」(『ツヴァイク全集』20、原田義人訳、みすず書房)と。
 アイデンテイテイー・クライシスが、赤裸々にして劇的に綴られており、「民族」や「故国」とはかくも根の深いものかと、思われるのであります。
24  以前、加藤周一氏は、ファシズム現象の淵源を探るには、トーマス・マンのような亡命作家では足りず、ゴットフリート・ベンのような、初めは積極的でのちに消極的なナテスの協力者の思想をたどらねばならぬとして、次のベンの言葉を引いていました。
 「たとえうまく行かないとしても、それが私の民族であることに変りはない。民族という言葉の意味は大きい! 私の精神的、経済的存在、言葉、人生、人間関係、頭脳の全体のすべてを、私は何よりもこの民族に負うている」(『加藤周一著作集』2、平凡社)と。
 ツヴアイクやベンが語り残していることは、人間が生きるということにおける「民族」というものの重さであり根強さであります。ファシズムやナチズムに限らず、日本の軍国主義下の時代を考えれば、事情は共通しております。
 とはいえ、国際化時代を迎えて「民族」の根深さや独自性のみを強調するだけでは生産的とはいえない。そうであっては地球はカオスになってしまう。先にも触れましたが、強力な軍事力に支えられたものであったけれども、一応秩序といえばいえなくもなかった「パックス・ルッソ・アメリカーナ」の解体後の世界で、一番憂慮さるべきは、その点であります。ツヴアイクにしても、ベンに言及する加藤周一氏にしても、立論の意図は「民族」の枠組みなどにとどまってはいません。「民族」問題の重さは、そのまま「民族」をどう乗り越えるかという課題の重大さと困難さとを浮かび上がらせているのであります。とともに、どんなに困難ではあっても、何らかの形でのグローバルかつユニバーサルな理念の設定ということは、二十一世紀へ向けて、避けて通れぬ課題であります。昨年、私はソ連の著名な文学者チンギス・アイトマートフ氏にお会いしましたが、氏がしきりに強調していたのも、その点でした。氏のキー・ワードを私なりに要約すると「全人類的イデア」「全人類的な理念」「世界宗教」「分断と調和」等々があります。唯物論を国是とする国の人にしてこの言ありと、私は、新しい時代のひたひたと近づいてくる足音を感ぜざるを得ませんでした。
25  「内在的普遍」の指標を提示
 そうした課題を前にして、私自身の宗教的信条とは別に、ここでは、グローバルかつユニバーサルな理念を探っていくうえでの方法論ともいうべきものを、私なりに試論的に提起しておきたい。それは「内在的普遍」というメルクマール(指標)であります。
 「内在的普遍」とは、まず、人間観に適用されます。日蓮大聖人は「一人を手本として一切衆生平等」(「三世諸仏総勘文教相廃立」)と仰せですが、それは、一人の人間の生命を、内在的に徹底して掘り下げていったところに立ち現れる透徹した平等観であり、尊厳観なのであります。内在的であるがゆえに、そこからは民族や人種等、一切の差別は取り払われております。
 また、かつて私は、北京大学での講演で、中国の伝統的な思考方法を「個別を通して普遍を見る」「具体を通して普遍を見る」という言葉で特徴づけましたが、これなども、方法論的に「内在的普遍」と相通じているのであります。ジョセフ・ニーダムが『中国の科学と文明』(東畑精一・藪内清監修、思索社)の序文で「ひとつの新しい普遍主義(Universalisz)の夜明けにいる」と述べたのも、そうした伝統的な思考方法と、決して無縁ではないと思っております。
26  戦後の「パックス・ルッソ・アメリカーナ」を貫く対決イデオロギーというグローバリズム、ユニバーサリズムは、それとは逆に「外在的普遍」もしくは「超越的普遍」であります。自由主義にしても共産主義にしても、優れて制度的な概念であり、人間それ自体にとっては「外在的」「超越的」な要因であります。確かに「民族」や「国家」の枠は超えているかもしれないが、その超え方そのものが「外在的」「超越的」なのであります。
 そこから、どのような弊事が生じてくるのか――。一番の欠陥は、人間という共通項に目をやらず、イデオロギーを第一義とするため、いとも簡単に、人間社会を″善玉″″悪玉″に色分けしてしまう。加えて、大国としての自負から、そこにはメシアニズム(救済主義)的臭味――「文明」が「未開」を、「知」が「無知」を、「兄」が「弟」を教えさとすといった臭味が、濃厚に漂い出します。メシアニズムというものは、良い意味では創造や開拓の推力になりますが、度を過ぎると独善と表裏のものとなり「普遍主義という名の傲慢さ」(J・D・モンゴメリー・ハーバード大学教授)に化しはじめます。
 アメリカの思潮に、独立革命以来、メシアニズム的色彩が根強く存在したことは、多くの論者の指摘するところですが、W・ウィルソン大統領やF・D・ルーズベルト大統領のように開放的ヒューマニズムに裏打ちされている間と違い、トルーマン・ドクトリンのような対決イデオロギーと結びつくと、その指摘が現実味を帯びていくのであります。
27  ソ連にあっては、メシアニズムは、より直裁な形をとってきたようです。前掲『昨日の世界』の中で、ツヴアイクは、一九二八年、モスクフでのトルストイ生誕百年祭に招かれたときの様子を活写しております。印象的なのは、善意にあふれ、全人類的意義をもつ巨大な事業に参加しているのだという使命感に燃えた初々しいまでの民衆の姿であります。まだスターリニズムの黒い影が、さして顕在化してこない時期であったからでしょうが、そのような民衆の献身的な姿を前にすると、その背景にある民族的使命感――例えば、プーシキン記念祭におけるドストエフスキーの講演の反響を、文豪は「わたしが結びの言葉として人間の全世界的結合のことを声を張り上げて提唱すると、場内はさながらヒステリーの発作でも起こしたような狂乱状態になってしまった。講演が終わると――いや聴衆の怒号、歓喜の号泣のことなどについてはなにも言わないことにする。お互いにそれまで見ず知らずの聴衆が涙を流し、声を上げて泣き、互いに抱き合ってこれからは互いによりよい人間になろう、これからは憎むことをやめて互いに愛し合うようにしようと誓い合っていた」(『ドストエフキー全集』17〈書簡集3〉小沼文彦訳、筑摩書房)と描写しています――を想起せざるを得ません。
 そしてロシアの共産主義をそうした民族的願望の脈絡のうえで捉え「それは二つのメシア主義、口シア民族のメシア主義とプロレタリアートのメシア主義との一種の合体」とするN・ベルジャーエフの言葉が、にわかに精彩を帯びてくるのであります。
 しかし、こうした普遍的メシアニズムは、戦後のスターリニズムのなかでは、プロレタリア国際主義という名のもとでの、あからさまな大ロシア的ショービニズム(排外的愛国主義)へと変質していきました。そこにあっては「兄弟党」などといっても「兄」の「弟」に対する一方的、強圧的な君臨にほかならなかったのであります。
28  要請される漸進主義の駆動力
 「内在的普遍」ということで、もう一つ忘れてならないのは、その運動論、実践論的側面であります。目指すべき普遍的価値というものは、万人に「内在」しており、なおかつ「内在的」に探求されねばならないわけですから、例えば武力や暴力などの「外」からの力によって強制されるようなことは、原理的に許されないはずです。
 そこから、必然的に導き出されてくる運動論は、漸進主義ともいうべきものです。漸進主義とは、いうまでもなく急進主義と対極にあり、急進主義が″力″を主たる駆動力にしていれば、漸進主義の駆動力は、″対話″であります。″力″が不信を背景にしているとすれば″対話″の基盤は信頼にあります。
 中世の「神」であれ、近代の「プロレタリアート」であれ、普遍的価値が「外在的」に「超越的」に設定されていれば、定められた目的に到達するのは、早ければ早いほどよい。そのためには、場合によっては″力″の行使もやむを得ない。分からず屋には″力″で強制し、妨害する者は″力″で排除していかなければならない――粗々ながら、そこに浮かび上がってくるのは、典型的な急進主義の原理的構図であります。中世のキリスト教社会や、近代の共産主義の歴史が、そうした方向に走っていったのも、決してゆえなしとしないのであります。
29  フランス革命にともなった独裁とテロル(テロ。組織的暴力)に対するゲーテの嫌悪は、そうした急進主義の悪の面を″反面教師″として、漸進主義の本質を見事に言い当てております。
 「真の自由主義者は(中略)自分に許された限りの手段をもって、できるだけ多くの善事を実現しようと努める。しかしながら、時に避けがたい欠陥があっても、立ち所に炎と剣を用いて、これを剿滅そうめつしようとするのを慎しむ。公けの欠陥を思慮ある前進によって、徐々に除去して行こうと努める。暴力的手段は同時に多くの善きものを滅ぼすものであるから採らない。この世界はつねに不完全なるものである。それで、時と事情とが幸いして、より善きものに到達できるまでは現在ある善をもって満足する」(エッカーマン『ゲーテとの対話』神保光太郎訳、角川文庫)と。
 ただし、私が、このゲーテの言葉を漸進主義の本質というのは、歴史的脈絡を離れて、超歴史的に捉えた場合であります。それをフランス革命という脈絡のなかで捉えれば、反面の真実かもしれない。ゲーテの発言が、ジャコビニズム(山岳党の過激主義)が恐怖政治へと堕した革命の側面が、だれの目にも明らかになった時代になされたとはいえ、フランス革命、特にその初期においては、かのS・ヴェイユが「フランス人でなかった人たちの多くが、フランス人になることをのぞんだ。なぜなら、この(=革命の)時代にフランス人であることは、主権者たる国民であることにほかならなかったからである」(「根をもつこと」山崎庸一郎訳、『シモーヌ・ヴエーユ著作集』V所収、春秋社)と述べているように、フランス人であることが主権者すなわち真実、人間であるという普遍的価値が、光彩を放っていたからであります。
 ともあれ、革命の堕落はあまりにも早く、また、フランス革命二百年を迎える今日、武器の破壊力、殺傷力の考え及ばぬような増大を考えれば、ゲーテの言葉に表徴される漸進主義は、いやまして緊急の度を増していると、私は信じております。
30  日本は「文化立国」の選択を
 以上、民族を超える普遍的価値を求めるための「内在的普遍」という方法論について、少々触れてみました。民族問題の解決には、不信を信頼へ、憎悪を友愛へ、分断を調和へと向かわしめる視座が不可欠だからであります。SGIは、こうした新しい波をグローバルなスケールで拡大させるために貢献していきたい。そのための文化交流、人間交流の重要性についても、ここで触れておきたいと思います。
 昨年の十月、私はインドのアスラニ駐日大使とお会いしました。この際、同大使から両国の相互理解のために、もっと多くの日本人がインドを訪れてほしいという要望が出されました。私もその趣旨に賛同し、有志による文化親善交流団を発足させ交流を図っていきたい、と提案いたしました。
 SGIでは既に昨年、インドを含めてアジア方面への文化交流団の派遣を検討する特別委員会を発足させました。時あたかも本年、アジアヘの関心と期待が一段と高まっております。経団連でもこの一月、東南アジアに「文化訪問団」を派遣し、経済活動だけでなく文化交流の促進に乗り出しております。SGIとしても、将来は交流の輪を更に地球的規模で広げゆくことが期待されましょう。
 文化の独自性は、決して普遍性と相いれないものではないというのが、私の信念であります。個性豊かな独自の文化は、あらゆる人々の心を触発し、胸を打つ普遍性をはらんでおります。なればこそ歴史上、文化は国家と民族の壁を超えて広範に伝播していったわけであります。現在、交通手段の目覚ましい発達もあり、世界的なスケールで人と人との交流がひんぱんになっております。平和的にこれほど多くの人々が国境を越え、交流の輪を広げていることはかつてなかったことであります。
31  昨年、モスクワで開かれた米ソ首脳会談で両国の文化交流の推進が話し合われ、両国とも千人から千五百人規模の高校生の交換留学を決定、併せて米国がソ連国内に文化センターをつくることになりました。
 平和のためには当然、政治家同士の話し合いが重要であります。しかし、同時に草の根の文化、教育交流こそ、現代にあっては良質の安全保障になるということを改めて確認しておきたい。民衆同士の連帯を欠いた平和の取り決めがどんなに脆いものであったかは、歴史のよく示すところであります。
 SGIは本年五、六月、カナダのモントリオール市とトロント市で「世界の少年少女絵画展」を開催いたします。私どもはこの展示を、少年少女の絵を通して健全な青少年の育成を図る″平和教育″の一環と位置づけております。今後も、様々な創造的試みを通して、人間と人間との心をつなぐ交流を進めてまいりたい。
 昨年の十一月、私は日英協会のサー・ヒュー・コータッツィ会長と日英の文化交流をテーマに語り合いました。同氏は駐日英国大使を務めたこともある″日本通″であります。この際、二年後の一九九一年にイギリスのロンドンを中心に広く地方都市でも開催される「ジャパン・フェスティバル」が話題になり、民主音楽協会、東京富士美術館を中心にできるかぎりの協力をお約束しました。
 会談では、経済成長に傲り、世界の一部から厳しい目を向けられている日本の現状に触れて、日本がより謙虚に「文化立国」の道を歩むべきである、との私の感想の一端を述べました。現在の経済大国日本も、それが文化の力によって裏打ちされないかぎり、その基盤は脆弱であり、魅力のないものになってしまうからであります。
32  今日、経済大国の地位を築いた日本は、否応なく世界に対して責任分担、貢献の道を明らかにするよう迫られております。今、日本人一人一人が国際化の急速な進行のなかで、世界とともにいかに生きるべきかを模索しているといってよい。モノ、カネ、情報の往来も確かに重要であります。しかし、「文化」という根っこのない拝金主義、物質万能主義がいかに人間精神を堕落させるかは、昨今の日本の風潮を見れば明らかでありましょう。文化の力によって自らを″魅力ある日本人″に磨きあげるとともに、「相互性・対等性」「漸進性」の原則に立った開かれた姿勢で、文化交流を一段と活発化させていくことこそ、今後、日本が第一に力を入れるべきものといえましょう。
33  私は昨年の第三回国連軍縮特別総会へ向けた提言の中で、従来のような陸軍省や海軍省、国防省ではなく、平和に専念できる省庁として「平和省」といったものをつくる運動を世界的に広げていってはどうか、というアメリカの一識者からの提案を紹介し、私自身、賛意を示しました。
 このアイデアにならっていえば、私は日本に「文化省」があってもおかしくないと思う。その中身の検討は今後に任せるにしても、これからの世界における日本の重要な役割を考えると、それくらいの思い切った発想があってもよいでありましょう。
 ともあれ、SGIは今後、相互理解と世界平和のために文化と教育の交流を更に力強く推進してまいります。私自身、その最高責任者の立場から先頭に立って、生涯、世界を走り抜くことをお約束し、新しい年の出発としたい。
 (平成元年1月26日「聖教新聞」掲載)

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