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日蓮大聖人・池田大作

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平和への王道――私の一考察 北京大学記念講演

1984.6.5 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

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17  要約して言えば、このような筋です。魯迅は、数ある諸子百家の中で墨子を最も尊敬していたといわれますが、たしかに、ほのぼのとしたなかにも風刺のきいた、印象深い作品であります。特に楚王が、″自分のために雲梯を作ってくれた、攻めんわけにはいかん″というくだりは、現代の軍拡論者のひな型を見るようであります。
 私が、なぜ『非攻』に言及したかといえば、墨子のこの平和行動主義こそ、今もなお、平和への突破口を切り開くカギであると思うからであります。ともかく平和のために動き、語る――そうした″動″の触発作業は、たとえ遠回りのようにみえたとしても、不信と憎悪と恐怖を、信頼と愛と友情に変えゆく「平和への王道」であり、ここから必ずや心と心を開きゆく回路を見いだしていけることを、私は信じてやまないからであります。
18  果敢な行動と勇気の対話を
 先月、東京で開かれた国際ペン大会に、中国ペンセンター会長の巴金ぱきん氏が参加され、私も、それに先立ってお会いしました。巴金氏はそのあいさつを「文を以て友を会す」という、誠に″尚文″の国の人らしい言葉をもって始められ、次のように訴えられました。
 「水滴は石をも穿つと申しますが、文学作品も長い歳月にわたる伝播によって、人々の心に根を下ろすことができます。ペンを武器にして、真理を堅持し、邪悪を糾弾し、暗黒勢力に打撃を与え、正義の力を結集することができるのです。平和を愛し、正義を主張する世界諸国の人たちが、しっかりと手をとり、自分の運命をその手に握っていきさえすれば、世界大戦も核戦争も、かならず避けることができるでしょう」と。
 私も、そう思います。一人一人の努力が、たとえ水滴のように微力に思えても、やがて石をも穿つ、否、岩をも押し流す大河となっていくでありましょう。それには、果敢なる行動と勇気ある対話を積み重ねていく以外にありません。
 微力ながら私もそうしていくつもりでありますし、中国の未来を双肩に担っておられる皆さま方もともどもに、その平和への大道を歩みゆかれんことを念願し、私の話とさせていただきます。
 (昭和59年6月5日 北京大学)

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