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日蓮大聖人・池田大作

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平和への王道――私の一考察 北京大学記念講演

1984.6.5 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

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16  この″動″のイメージに関して、魯迅の作品『非攻』に言及させていただきます。ご存じのようにこの作品は、戦国時代の行動する平和主義者として有名な墨子を扱ったもので、日本のある訳者は「戦争をやめさせる話」と翻訳しております。
 魯の人・墨子は、ある時、大国である楚の国が小国である宋の国を攻め滅ぼそうとしているのを耳にする。しかも、そのきっかけは墨子の同郷人である公輸般こうしゅはんという人が、雲梯うんていという城攻めの武器を作って楚王に献じたため、王がその気になったのだという。
 そこで墨子は、戦争をやめさせるために、とるものもとりあえず急ぎ楚の国へ向かった。道々、眺めてみると、宋の国はあまりに貧しく、楚の国は豊かだ。何のために攻めるのか……。まず墨子は公輸般に会って戦争の愚を説く。だが、もう既に楚王に説いてしまったあとだからだめだ、と。そこで墨子は、公輸般をとおして楚王に面会する。墨子の述べる道理に楚王も納得するが、それでもなお、公輸般が自分のために雲梯を作ってくれた、攻めんわけにはいかん、と楚王は言う。そこで墨子は、楚王の前で、公輸般と図上戦術を行い、ことごとく打ち破った。ついに公輸般は墨子の殺害をほのめかすが、墨子は更に知恵をめぐらし、楚王に言う。″自分の助言で宋城は鉄壁の守りを固めている。たとえ自分を殺しても三百人の弟子達が待ち構えている″――と。ついに楚王は、攻撃を思いとどまった、という。
17  要約して言えば、このような筋です。魯迅は、数ある諸子百家の中で墨子を最も尊敬していたといわれますが、たしかに、ほのぼのとしたなかにも風刺のきいた、印象深い作品であります。特に楚王が、″自分のために雲梯を作ってくれた、攻めんわけにはいかん″というくだりは、現代の軍拡論者のひな型を見るようであります。
 私が、なぜ『非攻』に言及したかといえば、墨子のこの平和行動主義こそ、今もなお、平和への突破口を切り開くカギであると思うからであります。ともかく平和のために動き、語る――そうした″動″の触発作業は、たとえ遠回りのようにみえたとしても、不信と憎悪と恐怖を、信頼と愛と友情に変えゆく「平和への王道」であり、ここから必ずや心と心を開きゆく回路を見いだしていけることを、私は信じてやまないからであります。
18  果敢な行動と勇気の対話を
 先月、東京で開かれた国際ペン大会に、中国ペンセンター会長の巴金ぱきん氏が参加され、私も、それに先立ってお会いしました。巴金氏はそのあいさつを「文を以て友を会す」という、誠に″尚文″の国の人らしい言葉をもって始められ、次のように訴えられました。
 「水滴は石をも穿つと申しますが、文学作品も長い歳月にわたる伝播によって、人々の心に根を下ろすことができます。ペンを武器にして、真理を堅持し、邪悪を糾弾し、暗黒勢力に打撃を与え、正義の力を結集することができるのです。平和を愛し、正義を主張する世界諸国の人たちが、しっかりと手をとり、自分の運命をその手に握っていきさえすれば、世界大戦も核戦争も、かならず避けることができるでしょう」と。
 私も、そう思います。一人一人の努力が、たとえ水滴のように微力に思えても、やがて石をも穿つ、否、岩をも押し流す大河となっていくでありましょう。それには、果敢なる行動と勇気ある対話を積み重ねていく以外にありません。
 微力ながら私もそうしていくつもりでありますし、中国の未来を双肩に担っておられる皆さま方もともどもに、その平和への大道を歩みゆかれんことを念願し、私の話とさせていただきます。
 (昭和59年6月5日 北京大学)

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