Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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二十一世紀への平和路線 『創大平和研究』特別寄稿

1979.2.0 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

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25  例えば、自らが所有している家であれば、だれからも出ていけといわれる心配がないはずである。出ていけといわれた時には出なければならないということは、自分が所有者でなく、借りている家だということである。思想、言論、職業、居住の自由にまつわる権利も、要求された時には捨てなければならないとすれば、それは個人の人格の尊厳性に必然的に備わったものではなく、国家から一時的に貸与されたものだということになってしまう。
 これは、個人の尊厳とか人格、生命の尊厳とかという謳い文句自体、まやかしにすぎないことを物語っている。私達は、こうした、まやかしの尊厳性に酔いしれていてはならない。まごうことのない、真実の人間の尊厳、人格、生命の尊厳性を勝ち取るべきである。この自覚と、強い意識に人間が立ち上がっていったとき、人々の生命と財産を危険にさらす戦争は、その根を断ち切られることになるはずである。
 ただ、一口に個の尊厳の回復といっても、そう簡単なことではない。むしろ難事中の難事といったほうがよい。また平和といっても、今まで触れてきたように、人々の心中深く根を下ろしたものでなければ、戦争と戦争との間の幕間のようなはかないものである。私はその意味からも、一個の人間の偉大さを徹底して解明し、確認した力ある理念が要請されてくると思う。
 近代戦争の歴史は、兵器の破壊力の強大化にともない、どれだけ多数の人間を殺傷できるかの効率を追い続けてきた。いいかえれば、生命を虫けらや瓦礫同然に扱う、人間の物化の過程であったといってよい。核戦略論争の中で語られる″メガ・デス″(百万人を殺すことのできる核物質の量の単位)などという言葉は、そうした人間蔑視、生命感覚の荒廃を如実に示すものである。
 故に、二十一世紀を望む平和観は、この失われた人間の座をどう回復していくかを第一義としなければならない。そのためにも私は、一切の社会構造の基底部に、人間の尊厳を説き切った、その名にふさわしい世界宗教を紹介する必要を痛感している。
 私自身の信仰の次元でいえば、その理念を日蓮大聖人の仏法に求めることができる、と確信している。なぜなら、例えば「一人を手本として一切衆生平等」との御文にみられるように、日蓮大聖人の仏法は、生命の根底まで掘り下げ、そこから一個の人間の尊さ、偉大さを、完壁に説き明かしているからである。平等観といっても、一個の人間の絶対的尊厳に立った平等観なのである。その偉大な東洋仏法の精髄は、必ずや二十一世紀を照らす光源になっていくであろうとの視点を、私は胸中に抱いている。
26  ともかく、少なくとも次の点だけは明らかであろう。二十一世紀の理念は、人々の心の奥に根を下ろし、不信を信頼へ、憎悪を和解へ、分裂を融合へと向かわしむる、英知を結集する源泉でなければならない。それは上へ向かっては国家やイデオロギーを超えて世界的連帯を築きゆき、下に向かっては庶民と庶民との間に揺るがぬ信義の絆を形成していくであろう。このことは、真実の平和というものが、人類的課題であるとともに、人間一人一人に課せられた使命であることを物語っている。両々相まって、人間は、主役の座を回復させていくに違いない。
 思うにそれは、第二次宗教革命ともいうべき、壮大なる転換をもたらすであろう。かつての宗教革命は、ヨーロッパ社会に限定されており、何といっても宗教の世界の枠内で行われたものであった。たしかにそれは、一切に君臨していた絶対神を、個人の内面の座へ引き下ろしはした。しかし、その後にきたものは、個人の尊厳とは裏腹の″外なる″権威の絶対化であった。進歩信仰、制度信仰、資本信仰、科学信仰、そして核信仰――。神なき時代の神々は、近代化の波に乗って多くの爪跡を残し、今、偶像の座から滑り落ちようとしている。
27  したがって、第二次宗教革命ともいうべきものの様相も、おのずから明らかであろう。人間は、制度であれ核であれ、自ら作り出したものの奴隷となってはならない。人間が主役なのである。一個の人間の内なる変革は、その必然的波動、必然的帰結として、政治、経済、文化、教育等のあらゆる側面に価値観の転換をもたらしていく。それは、人間を主役とした人類総体のトータルな発想の転換である。そこにこそ、核という″外から″の衝撃をはね返す″内から″の対応の原点がある、と私は信じている。
 変動常なき歴史の過程は、佇立ちょりつして今を見守っている。未来世紀は、静かに、確実に近づきつつある。この過去から現在、未来へわたる歴史の流れの中にあって、我々の果たすべき使命は何か――。人間以上の尊厳なる者はない、生命以上の宝はないとの不滅の原点に立って、人間の善性を信じ、触発し、啓発しゆくことをおいてほかにあるまい。もし人類史のかつてない試練を超克することに成功したならば、我々の足跡は、一国の勝利ではなく、人類の勝利として、長く歴史に記しとどめられるであろう。
 (昭和54年2月 『創大平和研究』創刊号)

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