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日蓮大聖人・池田大作

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核軍縮及び核廃絶への提唱 国連軍縮総会に対する提言

1978.7.0 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

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1  「二十世紀の最後の二十五年は、世界にとって最も大事な時期です」――一九七四年十二月、今は亡き中国の周恩来首相が、会談の際にこう語っていた一言が、今も私の耳元にあります。
 私達は次の世代の運命について、決して無関心ではいられません。そのなかで最大の懸案が核軍縮であることは、論をまちません。
 今回、多くの人々の注目と期待のなか、国連の初の軍縮特別総会が開始されます。ここに至るまでの関係各位の多大の努力に、私は心からの敬意を捧げるものであります。と同時に、私は同時代人の一人として、この歴史的なテーブルに着く方々の、人類の未来を見つめての真摯な討議を心から願わずにはおられません。
 今、二十一世紀まで残すところ四半世紀もない地点に、私達は立っています。過去にも人類は様々な危機の時代を経験してきました。しかし現在、私達が、地球的規模でかつてない困難に直面していることは、言うまでもありません。
 今、人類の悲願である平和と、その実現のために回避できない核軍縮を討議するにあたり、私はイデオロギーや政治的意図のみに拘泥することなく、それを乗り越えて解決を模索し、一歩一歩、地道な粘り強いアプローチをされるよう期待してやみません。
2  もとより私は核の専門家ではありません。しかし、大切なことは、国連に庶民の素朴な願いを反映させることであり、私もその立場から平和を願う平凡な一庶民として意見を述べさせていただきます。これまで、種々の機会に恵まれ、私は多くの指導者に会ってきました。未来世紀へ熱い英知の視線をめぐらす多くの文化人、学者とも会談し、ともどもに人類の行く末を語り合いました。
 私がこれらの方々から得た率直な感触は、腹蔵なく本心と本心とをぶつけ合えば、みな政治的な術策やイデオロギーに基づく偏見を超えて話し合おうとする姿勢と雅量をたたえているということでした。
 アーノルド・J・トインビー博士と対談した時です。私は、この対談が人類の直面する問題へ、何らかの解決の糸口を提供できれば望外の喜びであるとの心境で臨みました。博士は決然とした表情で「やりましょう。二十一世紀の人類のために、語り継ぎましょう」と言っておられました。その時の強い語調は、博士逝去のあとも、今もって忘れられません。
 ローマクラブの代表世話人アウレリオ・ペッチェイ氏は、精力的に未来の危機を警告し、活動を続けています。ペッチェイ氏と会った際、氏が、かねてからの信念ともいえる持論を熱心に語っていたことが思い出されます。いわく――これまで人類が経験した産業、科学、テクノロジー革命の三つは、いずれも人間の″外側″の革命であった。その革命からもたらされた混乱と危機は、人間の″内側″からの革命で回避されなければならない、と。
3  今世紀を代表する多くの知性と英知の人々は、同様に″人類がいかにして生き延びるか″という一点に深い想いを込め、信念の主張を語っていました。もはや勇気ある選択がなされなければならない時がきております。
 このささやかな稿を起こすに当たって、私の脳裏から離れない一つの言葉があります。三年前の年頭、私は国連本部を訪ね、ワルトハイム事務総長と会談しました。涼やかな眼に強い決心をたたえた総長に、私は最後に、こう聞いたものです。
 「世界平和へのガンは何ですか」
 「それは、不信感です」
 総長は間髪をいれず、一言のもとに答えられました。私は、国連の最高責任者の平和への努力と呻吟のなかからくる実感のこもった一言と推察したのです。
 私は、楽観主義者でも、悲観主義者でもありません。世界を代表する人々が今、国連の軍縮総会という歴史的なテーブルに着きました。この舞台で、知性と理性の限りを尽くして徹底的な議論を続行されることを念願してやみません。
 一九四五年八月六日午前八時十五分――この時刻に、ヒロシマに初の原爆が投下されました。核に対する人類の粘り強い戦いは、どう進展していくでありましょうか。八時十五分の過ぎ去った歴史の時刻は、その時の重みを増しながら、会議の行く末を見守り続けるでありましょう。
4  現代における″プロクラテスのベッド″
 さて、核の現状に目をやるとき、私のような専門外の者からみても、まさに地球は、原水爆の″臨月″にあるとの感を深くするのであります。しかも最近では、中性子爆弾などという悪魔的兵器も、不気味な顔をのぞかせております。水爆の破壊力のなかから熱と爆風を取り除き、兵員殺傷のみを狙うこの″対人兵器″の是非が論じられた際、それが″人道的兵器″であるかどうかが、一つの焦点とされました。
 およそ兵器である限り″人道的″なものなどあるはずがありませんが、こうした悪魔的産物が、人道の名において問われること自体、恐るべき精神の荒廃である、と私は訴えざるを得ないのであります。
5  去る四月二十七日、ストックホルム国際平和研究所が発表したところによると、現在、世界各国が保有する核兵器の総量は、広島に投下された原爆の、約百万個分に相当するそうであります。想像を絶する、巨大な数字であります。三十三年前の八月六日、″リトル・ボーイ″という、およそその破壊力に似つかわしくない名前を与えられた人類最初の原爆は、一瞬にして二十余万の人命を奪い去りました。その百万倍であります。仮に、それらの核兵器が一挙に使用されたとすれば、単純計算でいって、二千億人もの人々を、地上から抹殺することになってしまいます。文字通り″オーバー・キル″もここに極まれり、の感を深くいたします。このうえ″第三の核兵器″と呼ばれる中性子爆弾など、断じて許してはならないと訴えたいのであります。
 たしかに、完全軍縮への道は、いばらに満ちておりましたし、これからも、険路につぐ険路が待ちうけていることはよく承知しております。とともに私は、国連を中心とする、多くの人々の、苦渋に満ちた努力を、忘れるものではありません。また「ラッセル・アインシュタイン声明」に端を発し、パグウォッシュ会議に参集した、多くの科学者の、長年にわたる善意の努力にも、深く敬意を表するものであります。
6  しかも、なおかつ核兵器は、増大の勢いを緩めようとしていないのであります。事務総長が、昨年の第三十二回国連総会で、いみじくも指摘したように「第二次世界大戦以来ほんの少しばかりの成果は上げてきたが、それは軍縮というよりは軍備の管理であり、重要な兵器システムを大幅に削減するというよりも、競争を規定し、特定の好ましくない発展を禁止するというものであった。――そのような状態のなかでは、技術面での発展が、絶えず交渉の歩調を上回っている」のが現状でありましょう。
 かつてゲーテは「強大な軍備をもち、完全な守備態勢を整え、しかも最後まで守備態勢を堅持したという国家は、遺憾ながら、まだ見たためしがない」(大山定一訳)と述べました。以来百数十年を経て、兵器の破壊力、殺傷力が比較にならぬほど長足の発展を示していることは指摘するまでもありません。それだけに、私の胸中にはゲーテの言葉が不気味な予兆をともなって響き続けているのであります。
7  一九七〇年、核拡散防止条約が発効し、我が国も、七六年にようやく批准にこぎつけましたが、私は当時、その効力に少なからぬ期待を寄せました。様々な欠陥をもつ不平等条約であることは承知しつつも、グローバルな観点からみて、核軍縮への貴重な一石となれば、との願いからであります。優れた科学者で国際的な平和運動家として知られる湯川秀樹博士はこのことを″ポジティブ・フイードバック″と巧みに表現しておりました。しかしながら、現在に至るまで、中国やフランスなどの核保有国、あるいはその他の潜在的核保有国の核防条約への参加は、日の目をみておりません。それらの国々のかたくなさもありますが、それ以上に、ほとんどの核を独占する米ソ両大国の姿勢に起因するといえましょう。
8  難航に難航を続けるSALT(戦略兵器制限交渉)は、その象徴的な事例であります。もとよりSALTは、現代における軍縮問題の″ホシ″であり、米ソ両大国が話し合い、交渉の場をもつことは極めて有益なことであります。だが、一九六九年の開始以来のSALTの遅々たる歩みと現状をみる限り、完全軍縮というはるかなる道程への、着実な一歩とは判断しにくいのであります。
 事実、SALT開始以来、米ソ両国保有の核弾頭は、増大の一途をたどり、軍拡競争はかえって過熱したとさえ言われております。また両国は、SALTそのものを骨抜きにするために″灰色領域″と呼ばれている、戦略、戦術両用にわたる新兵器システムを開発しつつあります。言うまでもなく、アメリカの巡航ミサイルや機動式ICBM、ソ連の爆撃機バックファイアーなどがそれであります。しかも最近では、スパイ衛星を破壊する、衛星破壊衛星の問題まで登場してきました。事務総長の指摘のように「技術面での発展が、絶えず交渉の歩調を上回っている」という悲しい転倒は、いまだ是正されておりません。
9  国連軍縮会議の開催される今日ほど、こうした転倒を陰から使嗾しそうしている、核抑止力信仰という魔物に、スポットを当てることの必要とされる時代はないでありましょう。言うまでもなく抑止力とは、相手による報復の恐ろしさを考えて、自らの戦争への衝動を抑えるという、いわば恐怖心の産物であります。この恐怖の均衡こそ、際限なき軍拡競争の悪循環を生み、いまだに使嗾し続ける人間の魔性であります。恐怖という、本来的に計測不可能な人間心理は、それが核兵器という有形な形をとって立ち現れたとき、ゆうに全人類を抹消し、地球を破壊しかねない怪物へと肥大化してしまったのであります。
 私は、古代ギリシャの故事「プロクラテスのベッド」を思い浮かべております。この伝説的強盗は、旅人を自分のすみかに呼び寄せ、特殊なベッドに横たえて、背丈の短いときは引き伸ばし、長いときは足や頭を切って殺すという、残忍な方法を常用していました。マルクスは、ヘーゲルの観念論批判にこの故事を用い、ヘーゲルは理念という超越的基準を絶対として、現実を引き伸ばしたり裁断すると批判しました。
10  マルクスのヘーゲル批判の是非はともかく、私は、抑止力信仰という魔物こそ、現代における″プロクラテスのベッド″ではないかと思うのであります。核の第一次攻撃によって何千万人殺されても、生き残った者が報復攻撃によって敵方の何千万人を殺せるから、核兵器は戦争の抑止力になりうる――こうした思考は、人間精神の悪魔的産物といわざるを得ないのであります。
 ベッドの上の旅人を眺めながら、身丈の寸尺を計算しているプロクラテスの奇怪な姿は、決して過ぎ去った故事ではありません。人類幾十億の生命を″核″というベッドの上に横たえ、物でも扱うように引き伸ばしたり裁断したりしようとする思考は、人間と人類の名において、許容することはできないのであります。
 プロクラテスは、最後には、英雄テセウスの手で、自らのベッドの上で命を絶たれました。と同様に我々は、人類の滅亡という最悪の事態を招来しないためにも、現状の核兵器過飽和状態に、手をこまねいていることはできないのであります。
11  軍縮が進展しない四つの要因
 これまで概観してきましたように、人類は今、核軍備拡大の際限ない悪循環に呪縛されているかにみえます。何らかの有効な歯止め策が講じられない限り、歴史は、人類絶滅という悲惨なカタストロフィー(結末)に向かって、押し流されていくでありましょう。核兵器廃絶への道程は、はるかに遠いかもしれません。しかし、勇敢に一歩を踏み出さずして、千里の踏破はなく、それには、いかに困難なものであろうとも、その現実を凝視しなくてはならないと思います。あらゆる国の核兵器の製造、実験、貯蔵、使用を禁止し、最終的には地上から、すべての核兵器を絶滅するという理想――、この人類史の絶対的な要請に向かって、英知のたゆみない結集が図られなければ、我々は二十一世紀を待たずして、核戦争の業火にさらされることにもなりかねないのであります。
 そうさせないためにも、ここで、なぜこのような核兵器の増大、拡散を招き、軍縮が一向に進展しないのか、その要因を探ってみたいと思います。
12  一番目に挙げられることは、事務総長の指摘のように、国家間、特に核大国間の根強い、相互不信感でありましょう。米ソ二大国間に横たわる深い溝は、その典型的事例といえます。
 戦後、冷戦の時期にあっては、米ソ両国は、不信感と恐怖感に煽られて、軍備の拡張につぐ拡張を重ねてきました。その後″雪解け″を経て、現代では″デタント″(緊張緩和)の時代に入り、両陣営の平和共存の原則が、一応、支配的のようにみえます。しかし、一歩掘り下げてみると、それは不信から信頼への転換というには程遠く、むしろ不信の根は、根本的には、ほとんど絶たれていないといっても過言ではありません。
 なぜなら、デタントは、相互の信頼に因を発するというよりも、核兵器の強大化にともなう恐怖感と、それに基づく自己防衛本能に起因しているからであります。デタントが、両大国による世界支配であるとして、その他の諸国の強い反発を招いているのも、理由のないことではありません。従って、核拡散防止条約にしても、非核保有国に強い規制を加え、いわゆる「ヨコの拡散」を防ぐ一方、核保有国自身の核開発――いわゆる「タテの拡散」――防止については、抜け穴だらけであるという矛盾を有しているのであります。
 相互不信感の溝は、現在では、米ソ間から、両大国とその他の国々との間へと、流れを変えているともいえましょう。
13  私は、デタントを否定しているのではありません。それ自体、冷戦に比べれば、何といっても一歩前進であります。私が申し上げたいのは、そこに潜む不信の根を鋭く凝視しない限り、デタントにしても、世界平和への真実の結合の力とはなりえないということであります。個人同士であっても、国家間にあっても、不信は、相互の分裂と分離をもたらします。分離し、孤立した国家の歩む道は、ひたすら他国に猜疑の目を向け、自ら身にまとう鎧の強化、拡大に努める以外にないでありましょう。頼るは力であり、軍事力であります。その結果は「共存・互恵」の論理ではなく、「対立・支配」の論理でありましょう。
 フランスの哲学者ベルクソンは、人間社会を、大きく「閉じた社会」と「開いた社会」の二大類型に分けましたが、さしずめ現代の国家は、この「閉じた社会」の代表的な事例となってしまっているようであります。そうした閉ざされた精神が、不信と猜疑のまなざしを交わし合っているなかで軍縮を進めることは、実に至難の業であると思うのであります。
14  従って二番目の要因は、国家エゴの問題を、クローズアップさせます。特に、潜在的核保有国への核拡散を制限しつつ、自らは人類を何十回となく殲滅せんめつさせうる核の刃に、磨きをかけることをやめようとしない核大国のエゴイズムは、軍縮問題の宿痾しゅくあともいうべきものであります。
 エゴイズムは悪であります。そして、悪を悪で抑制しようとすれば、必然的に悪循環に陥らざるをえません。ある国の指導者は、自国が核実験に成功したというニュースに接して「万歳! きょうから偉大な国になった」と、快哉の電報を実験場に送ったというエピソードも伝えられております。
 しかも、このほかにも″核クラブ″入りを意図している国は多数あるのであり、核の傘はもはや破れ傘であることは、だれの目にも明らかでありましょう。周知のごとく、既に核ジャックの危険性や、民間人でも日常的に核を作り出すことのできる可能性が生まれつつあるという現状は、もはや国家の威信や国家エゴにすがりついている時代ではなくなっていることを、物語っているのであります。それでもなおかつ核保有国が、「力と威信」という名の国家エゴイズムを、核兵器の威力に託し続けようとするならば、軍縮のモラルを破壊した責任は、挙げて、それらの国にかかっていくであろうと叫ばざるを得ません。
15  たしかにこうしたことは、ある意味では何回も言われてきたことでありましょう。しかし、悪を前にしての沈黙は、半ば悪への加担でさえあります。不信感が無力感へと転じ、人々の心に蔓延していったならば、その間隙をついて、悪魔的なものが跳梁ちょうりょうしていくことは必定であります。
 かつて大国エゴが吹き荒れた第十七回パグウォッシュ会議では、「悪魔が栄えるために必要なことは、善良な人々が何もしないということだけだ」という言葉が黒板に記され、終始″無言″の抗議をしていたそうであります。私は、この核兵器絶滅への挑戦の精神こそ、核兵器が地上から姿を消すまで、断じて放棄してはならないと信ずるものであります。
16  三番目に、核軍縮がままならぬ原因として、核不感症ともいうべき傾向が挙げられるのではないでしょうか。よく日本に対して″核アレルギー″という批判が投げかけられることがありますが、私は、特に核に関しては、アレルギー症状こそ正常であるとさえ思っております。核の脅威に対する無関心は、平和への最大の敵であり″核アレルギー″との非難は、核への関心を薄めていこうとする悪意の宣伝であるとさえ考えるのであります。
 もとより私は、日本が日米安保条約によって、どんな傘であれ、アメリカの核の傘のもとに甘んじているという事実、そして、そうした状況下で核アレルギーを言うことの論理的矛盾を知らないわけではありません。その点、我が国政府に対しても、強い不満を表明してはばからないのであります。
17  しかし、私が知っていただきたいのは、日本の民衆の核アレルギー心理は、もっと深い経験から発しているということであります。それは何といっても、幾十万の同胞の命を原爆に奪われ、今なお多くの人々が、原爆症に悩まされている事実であります。「三度許すまじ原爆を」の声は、唯一の被爆国としての原点より発した、いわば血の叫びにも似た心情の発露なのであります。
 むしろ人類は、今まで、一部の人々を除いては、核に対して、余りに鈍感すぎたのではないでしょうか。核に関しては、アレルギー症状にも匹敵するシビアな認識が、世界的な規模で広められ、浸透されるべきだと、私は訴えたいのであります。
 その意味からも私は、核兵器は絶対悪であるとの思想の確立が、急務であると思うのであります。私の恩師である戸田城聖創価学会第二代会長は、亡くなる少し前の一九五七年九月「原水爆に関する宣言」と題して、青年に託しました。その趣旨は「いかなる大義名分、威信のためにも核兵器を使用してはならない。核兵器に価値を見いだす考え方自体が誤りである。核兵器は悪魔の産物であり絶対悪である」というものでありました。東洋の精神である仏法への信仰を基調として、平和、文化を推進する創価学会が、悪魔の産物・核に対して強い関心を持つのは当然ですし、私もまた、この思想を、力の限り叫び抜いていくことを、深く決意しているものであります。
18  四番目の要因として、軍部を除いても、核超大国内の原子力資本や研究陣、官僚機構などが、容易に引き返すことのできないほどにまで巨大化してしまったという事実を見逃すことはできません。
 多数の労働力と研究員を持つ軍事産業が、軍部と手を携えて、新兵器の開発に血道をあげるという現象は、特に自由主義国における、大方の軍拡パターンでありました。これに関して、現在では″原子力商戦″と呼ばれる商取引が、大きな問題となっております。いうまでもなく発電炉、再処理施設、濃縮工場つきのプラント輸出が、核″先進国″から売り込まれようとしているわけであります。これなど、一応、原子力発電という平和利用を名目としつつも、実際には、核兵器開発能力を持つ国を増やす恐れが十分にあり、商取引のバランスシートには還元できない、重大な問題をはらんでいるといえましょう。
 ともかく″死の商人″ともいうべき経済構造上の問題は、各国の国情や社会体制とも深く絡み合っているのであります。軍縮を進めるにはこのネックを、何としても解決していかなければなりません。何ものをもってしても代えがたい人間の生命が、黄金の魔力に翻弄されている姿ほど、悲劇的なものはないからであります。
19  歴史創出の主役は人間
 以上、大略四点にわたって、軍縮への阻害要因を洗ってきましたが、現在の国際世論のなかには、すさまじい核軍拡競争を前にして、抗しがたいとの無力感、脱力感も漂っているようであります。たしかに軍縮交渉の経過は、事務総長も指摘のように、労多くして、得るところのあまりに少ない歴史でありました。巨大な核兵器体系は、あたかも人間の手を離れて、勝手に自己増殖しつつ、独り歩きしているかの観さえあります。
 しかし私は、現状が厳しければ厳しいほど、人類数千年の悠久の歴史に思いをはせ、その貴重な遺産を守り抜くためにも、勇気と自信をもって立ち上がらなければならないと思うのであります。原点は、意外に単純なところにあるのではないでしょうか。
 「ソロモンの栄華も、一本の野の花に若かず」といわれております。彼の栄燿栄華を極めたソロモン王朝の人工的繁栄の大をもってしても、ついに一本の野の花を愛でる人々の心を凌駕することはできないという意味です。それと同じように、どんなに肥大化した核兵器システムといえども、しょせんは、善悪両面にわたる人間の知恵の生み出したものであり、核兵器を操る政治力学とても、人間精神の、跛行的発現にほかなりません。人智をもって、制御できないはずはないのであります。
 歴史創出の主役は、あくまで人間である――、要はこの一点を凝視し、困難な道に一歩一歩、確実なる希望の足跡を刻んでいく以外にないでありましょう。それには、過去にこだわらず、未来への人類史的展望に立った勇気をもって、事に当たるしかないと思うのであります。
20  思えば人類の歴史は、今日まで、絶えざる統一と分裂の繰り返しでありました。統一のなかに分裂への契機をはらみ、分裂してはまた統一を模索しつつ、幾千年の星霜を経てまいりました。しかし、核兵器の出現は、この様相を一変させ、分裂は即破滅へと進まざるを得ない状況を作り出したといってよいでありましょう。
 たしかに、我々の直面する問題は、ほかにも数多くあります。環境、資源、人口、食糧問題など、どれ一つ取り上げてみても、世界的観点から、総合的に解決していかなければならない難題ばかりであります。しかし、なかでも核兵器の問題こそ、私は、早急に解決の糸口を探し出さねばならぬ緊要の課題であると考えるのであります。なぜなら、この現代のプロメテウスによって点じられた″第三の火″は、その巨大な焔をもって、一挙に全地球を覆い尽くすほどの威力を秘めているからであります。故アインシュタイン博士は「全体的破滅を避けるという目標は、他のあらゆる目標に優位せねばならぬ」と訴えましたが、こうした警告が発せられたことは、有史以来、かつてなかったということに深く留意しなければならないのであります。
 それだけに、核の問題でコンセンサスが得られたならば、その波及効果の大きいことは必定であります。
 おそらく、人類史のアポリアを切り開く、巨大な突破口となっていくと思われます。その方向は、もはや、従来のような、分裂の後に訪れる表層だけの統一ではありません。話し合いのなかに融合が生まれ、融合のなかで、新たな創造の道が開かれてゆく――、それは、人類史の鉄鎖を断ち切る、壮大なる逆転劇であるといっても過言ではありません。私はそこにしか、人間が今後、歴史の主役の座に躍り出る道はないと思うのであります。
21  そこでは、国連というものの存在意義も、現状とは、かなり異なったものとなってくるでありましょう。現在の国連において、主役を演じているのは、何といっても国家であり国家利益であります。事務総長をはじめ、国連首脳部、代表部の方々は、それらの国々の相互安全、利害の調整に、多大な努力を払ってこられました。私はその労を、心より多とするとともに、今後の国連の果たす役割は、もう一歩広く、大きいものになっていかなければならないと思うのであります。それは、言うまでもなく国家に代わって人間が主役を演ずる広大な舞台だからであります。
 一国の外交ルート一つ取り上げてみても、その国を代表する政府(外務省)と、各国出先機関とを通ずる狭義のルートは、徐々に比重を減じているように思われます。ニクソン訪中にみられたような、各国首脳の直接的接触あるいは各種民間人、民間団体同士の交流は、交通機関の発達にともない、日を追って頻繁になりつつあります。そこには、ともすれば意思の疎通を欠きがちな旧来のルートに比べて、人間と人間とが肌で接し合い、国家を超えた次元で、意見を確認し合う可能性が大きく開けております。
 私も、一民間人としての立場で、世界各国を訪問し、痛感してやまないところですが、そうした人間的交流のなかからは″国家主義″の呪縛から解放された、新しい時代の″世界市民″ともいうべき人々の連帯の輪が、静かではあるが、着実に浸透しつつあります。久しく脇役に甘んじてきた人間が、いよいよ主役として登場しようとする、歴史の足音であります。
22  どうか国連は、その趨勢を更に増進させ、持てる機関と権限をフルに活用しつつ、多くの人々に、交流の場を提供していただきたいというのが、私の念願なのであります。その思いを込めて、今回の軍縮総会を機に、幾つかの提案を申し上げてみたいと思うのであります。
23  「核兵器絶滅への道」――十の提案
 私はこれまで何回となく核兵器の全面廃棄と、それに連なる通常兵器の軍縮問題について、様々な提案をなし、また微力ではありますが、そのための実践行動を一宗教者としての立場から行ってまいりました。ここにそのすべてを網羅することはできませんし、またその余裕もありません。今はひとまず一九七五年一月十日に国連本部を訪れ、ワルトハイム事務総長に書面をもって提案した内容を踏まえ、より一層それを具体化して、今度の軍縮総会に対し、以下の提案を試みるものであります。
 先に私は、国連のあるべき方向について若千の希望を述べ、その取り組むべき問題として、核兵器・食糧・人口問題を挙げ、それぞれについて二、三の提案を行いました。また付随して、教育問題、わけても国連大学への期待を表明し、それらを実効あらしめるために「国連を守る世界市民の会」(仮称)の設置を提唱いたしました。
 そのうち、核の問題については「核兵器絶滅への道」として、次のような提案を行っております。これは私の年来の主張でもあり、宗教者としての変わらざる信念ともなっておりますので、ここに再提案し、更に具体化した構想のもとに、幾つかの新たな提案も付加していきたいと存じます。
24  私の提案したい第一は、現在、核兵器を所有する国、所有しない国を問わず、全世界の各国の最高責任者が一堂に会して、首脳会議を早急に開催すべきであるということであります。もちろん、これに至る道程においては、幾つかのステップを踏まなければならないとは思いますが、最終的に落ち着くべき会議の場は、この全世界首脳会議に求めるべきものと考えるのであります。しかも、この会議は、あくまで国連がイニシアチブをとって開催すべきであり、核兵器管理から廃棄に至るまで、すべてにわたって国連が強い発言権と指導権を持つべきであると訴えたいのであります。
 もちろん今度の国連軍縮特別総会は、これまで私が提唱してきた首脳会議開催への、一つの重要な契機ともなるでありましょう。しかし、現に核兵器を所有する国、あるいは今後保有しようと準備している国を含めて、現実の核政策を推進し、今なお軍備増強に励んでいるのは、各国の為政者であります。その各国の最高責任者に対して、核廃棄と通常兵器の軍縮を迫るには、国連の事務総長が呼びかけ人となって首脳会議の開催を準備し、そこで結論を得るまで徹底討議させる必要がありましょう。核兵器の問題は、現下の最重要課題であります。従って、いわゆる最高首脳陣が本国にとどまり、国連の場に臨んだ人達が、本国の指示を待って討議を進めるという形では、どうしても腹蔵なき最高首脳の発言の場とはなりにくく、国家の意向、国家エゴの衝突が表面に立ちがちであります。問題が問題だけに、どうしてもトップ会談によらなくてはならないと思うのであります。
25  第二に提案したいことは、核兵器の全面廃棄と通常兵器の削減に向かう前段階として、同じく国連がイニシアチブをとって、まず当面、核エネルギーの安全な管理が可能となる道を模索していただきたいということであります。
 既に、核軍備の現状に関する部分でも述べましたように、米ソをはじめとする核保有大国の貯蔵量は途方もない膨大な量に上っており、偶発、誤算、狂気による核戦争の危険は、一触即発の状況にあります。また、原子力発電による核廃棄物の蓄積も各国で管理不能な状態に近づきつつあり、地震等の天災や核ジャック等による惨事も憂慮されています。そこで緊急な措置として、各国が個々に核エネルギーを管理している状態から一歩を進め、まず第一段階として核エネルギーを国連の監視下におき、その安全な管理にゆだねるよう働きかけるべきであると思います。
 更に第二段階としては、今度は核兵器の貯蔵分を各国から段階的に国連へ提出させ、やがて世界中のすべての核兵器を国連が安全に管理できる方向が望ましいと思います。
26  そして第三段階として、すべての核兵器を国連の管理下においたうえで、平和と安全を求める全世界の民衆の総意のもとに、核兵器の解体、廃棄へと向かうべきであると考えますが、いかがでありましょうか。
 むろん、このような私の提案は一見、理想論のようにみえるかもしれません。だが、核兵器の際限のない増大につれて、刻々と忍びよる人類滅亡の危機を回避するためには、一刻も早く核全面廃棄の目標に向けて、何らかの確かな第一歩を踏み出さねばならないと私は信ずるからであります。そこで私は、今まで述べた「核兵器絶滅への道」の提案のうえに、更に細かく具体的な提案を試みるものであります。それは当然、核兵器のみならず通常兵器の軍縮をも含むものとなりましょう。
 私の第二の提案は、これも国連のイニシアチブによって、核保有国と非核保有国たるとを問わず、すべての国に核兵器不使用の宣言を義務づける協定を結ばせることであります。この協定は、核保有国と保有を意図する国家の開発競争に対して速効性をもちえない欠陥はありますが、全面禁止への足がかりとして非核保有国の意思を結集し、核不使用の可能性を追求するものとなりましょう。なぜなら、この協定の調印国が増えれば増えるほど、核使用への道義的な歯止めは強化されるからであります。なお、この協定の内容については先に提案した「核に関する首脳会議」の重要議題として討議されるでしょうが、最低限、核保有国は最初に自ら核兵器を使用しないことの誓約と、威嚇の禁止が盛り込まれるべきものと考えます。
27  なお、今回の総会では軍縮に関する宣言がなされると聞いております。私は、この宣言が人類の名のもとに行われるべきであり、その確証として、全世界の首脳の調印に努力が払われるならば、重要な意義を刻むことができると思うのであります。いかなる宣言も、時として一片の反古となってしまう場合も多々あります。その宣言を実効あらしめるためには、不断の努力が必要であり、首脳の調印は、そのシンボルとしての役割を果たしていくでありましょう。
28  上述のプランと関連して私の第四の提案は、非核平和ゾーンの設置と、その領域の拡大とを国連が推進すべきであるということであります。この具体的な進め方としては、まず右の「核不使用協定」に調印した国のなかで、自ら希望する国または数カ国のグループが、それぞれ話し合いによって「非核平和ゾーン」を設定し、その領域内に核兵器を持ち込まないことは当然として、既に核兵器が保有されている場合には速やかに撤去し、それによって他国から核攻撃を受けない安全を保障すべきでありましょう。これが現実化するならば、国連は「非核平和ゾーン」の拡大に努め、やがては地球上のすべての地域が平和ゾーンとなるよう、私は切望するものであります。
29  核軍縮に関する私の四項目の提案に対しては、予想される反論として、これまでのフランスや中華人民共和国の主張からすれば、この両国の協力が得られないであろうとする危惧が投げかけられるかもしれません。しかし私は、次に第五の提案をなすことにより、フランスや中国、更には今後、核兵器を保有しようとして準備中の諸国を含めて、実現可能なプロセスを提示したいと思います。
 それは、一九七七年の第三十二回国連総会において、アメリカのカーター大統領が行った演説に示唆をうけたものであります。すなわち、カーター大統領はその演説のなかで、アメリカは平和的であると軍事的であるとを問わず、すべての核装置を終わらせるべき時がきているものと判断し、まず核兵器を一〇%、二〇%、否五〇%さえも削減する用意がある旨を述べておりました。
30  そこで国連としては、この演説が神聖にして権威ある総会の本会議場でなされたものである点に留意され、その具体的な削減計画の提出を求めるのです。それを得たならば、もう一方の核保有大国たるソ連からも核装置削減に関する計画を提出させ、両国の折り合いがついたところから段階的に一〇%、二〇%、更には五〇%の削減を実現することが可能となりましょう。その実績を踏まえたうえで、国連が仲介の労を惜しまなければ、フランスや中国も核軍縮のための首脳会議のテーブルに着くことは間違いありません。更に上記の核保有四カ国が、核軍縮に対して真剣に取り組むならば、イギリス、インド等の核保有国は当然として、日本や西独、イタリア、カナダ等の潜在核保有国も、安心して核装置の削減計画を日程に上らせるでしよう。
31  私の第六の提案は、右の第五項と関連して、中性子爆弾や巡航ミサイル等の新型兵器開発を停止させ、更には禁止する国際協定を国連のイニシアチブのもとに成立させることであります。核軍縮を達成するだけでも容易ならぬことは当然としても、それだけでは全般的な世界の軍縮は実現しないでありましょう。むしろその間に、不信感に立つ国際社会の権力政治構造は、ますます肥大化し、それにともなって軍備も幾何級数的に増大化している現状であります。フランスや中国以下の諸国も、米ソ両大国による新型兵器開発競争に歯止めをかけなければ、いやでも核兵器開発や通常兵器の増強に拍車がかからざるを得ません。
 従って国連としても、全般的な世界の軍縮を追求するためには、まず米ソに新型兵器の開発を中止するよう勧告する状況を作り出していただきたいと念願いたします。
32  第七の提案も、右の第五、第六項に密接な関連をもち、かつ前二項を補完するものと理解いただきたい。それは、今年、軍縮特別総会の開かれる一九七八年を第一年度として、毎年一回、国連に対して各国が兵器、兵力及び軍事施設等の軍備状況を報告する義務を負わせるようにしてはどうか、ということであります。ただし、報告書は厳重に密封されるが、各国は国連によって任意の一地域に対する査察をうけ、虚偽の報告を行った場合には公表されることを拒むことはできないものとする。また、核軍備の増強や新型兵器の開発が行われている場合には、国連によって警告され、全世界に公表されることもやむを得ないものとするわけであります。
 こうした構想を具体化するために私は、国連の中に「国連軍縮機関」(仮称)が設置され、専門の委員によって常時、各国の軍備状況がパトロール(査察)されるのが望ましいと思います。そして、これまで述べてきた諸提案の実現化にともなって、この機関が中心となって各国の軍備削減計画を実施させ、その状況を査察して、更には全面的な完全軍縮の実現へと運んでいくべきものと考えます。また後述するように、この機関は、核の恐ろしさと軍縮の必要性とを全世界に啓蒙し、教えていくべきセンターともなりましょう。そうした機関が設置されるならば、私もまた一民間人として大いに協力させていただくことにやぶさかではありません。
33  さて、次に私の第八の提案は、全面的かつ完全軍縮に向けての研究、討議、広報、出版等を、国連の呼びかけによって、広く民間レベルで行わせていくということであります。右の第七項で提唱した「国連軍縮機関」が、そのために作動すべきですが、それが設置されるまでは「国連大学」等の既存の機関の活用も一考に値すると思います。すなわち、国連大学に付属する機関として「軍縮研究情報センター」(仮称)ともいうべき研究所を設置し、そこで各国の軍縮のための民間レベルの研究等を集約して、集めた情報をもとに今度は全世界に核の脅威を知らしめ、完全軍縮の必要性を訴えていくようにしてはどうか、という案であります。国連大学本部が東京にありますので、この研究情報センターを、広島または長崎に設置することは、極めて実現の可能性の高い現実的提案となりましょう。
34  右と関連して第九の提案は、戦争の残虐性、核兵器の恐ろしさを、より広範な民衆に啓蒙し、その実態を知らしめていくためのものであります。それによって、戦争の防止、核兵器などの大量破壊兵器の廃絶への国際世論を、民衆次元から、より大きく高めていくことができるでしょう。
 その一つは、国連に「平和のための資料館」(または仮称「国際平和館」)を開設することであります。すなわち、世界平和のためのセンターともいうべき国連の内部に、戦争の悲惨、残酷さ、核兵器の破壊力、ヒロシマ、ナガサキの被爆の実態、現在の核兵器の状況などを示す文書、写真、映画、ビデオ、絵画、その他の資料を収集、展覧し、国連を訪れる人々に公開する。また、それらの資料が世界各地で活用されていくよう推進し、その要望に対応できるセンターにしていくことであります。
35  その二は、戦争に反対し、核兵器等の軍備増強を阻止するために、世界各地で展覧会を開催するよう国連が推進していくことであります。この提案は、日本において創価学会青年平和会議が中心となって日本列島縦断「反戦・反核展」を開催し、特に若い世代に多大な反響を起こした事例を踏まえて行うものであります。これによって日本では、かつての戦争体験を風化させることなく、戦争反対の意思を若い世代が継承し、崩れることのない平和を築くための教育に、いささかなりとも寄与したと思います。そこで、こうした試みを世界的規模に拡大し、長期的なプログラムのもとに国連が各地で展覧会を開催していくことは、軍縮への国際世論を盛り上げるためにも、極めて有益といえましょう。そして、更には各国に世界平和のための常設館(あるいは常設のセンター)を開いていく端緒ともなりましょう。
36  この第八、第九の提案は、軍縮への具体的手続きには直接関係しませんが、新しい時代の国連の役割を考える際、とりわけ重要になってくるでありましょう。我が国でも一昨年、第二次世界大戦以後に生まれた、いわゆる″戦争を知らない世代″が人口の過半数を超えました。もとより第二次大戦後も、世界の各地では多くの戦火がみられましたが、次の世代へ戦争の恐ろしさを語り継いでいくという課題は、多かれ少なかれ、どこの国にも共通のものであると思います。事実や体験にまさる説得力はありません。戦争を経験した民衆は、だれでも戦争はいやだと痛感しているに違いない。要は、その民衆の素朴な感情を、共有のものとして結び、どう後代へと受け継いでいくかであります。
37  ヨーロッパなどでは、ナチスの残虐を描いた映画が数多く作られております。その点、原爆の脅威は、まだまだよく知られておりません。加害者、被害者という色分けに重点をおくのではなく、核兵器そのものの脅威の浸透であります。ドキュメンタリーでもSFでもよい、それが広く世界の人々に知られるならば、軍縮への世論形成に多大の貢献をなしうると信ずるものであります。また核兵器の実験や使用、開発等に関する、広範な署名運動を推進していくことも、有効な教育、宣伝活動となっていくはずであります。そうした活動は、同時に民意の国連の場への反映につながり、国連が、より開かれた国際討議の場へと脱皮していく契機ともなっていくでありましょう。
38  最後に私は第十の提案として、以上の提案をすべて実効あらしめるためにも、軍縮のための経済的側面の裏付けを示したいと思います。なぜなら、人類が本格的な完全軍縮への巨歩を踏み出すには、従来の戦争経済の仕組みを改め、平和維持の経済構造へと転換していかなければならないからであります。また、それによって、今まで核開発をはじめとする軍備増強のための膨大なる軍事費を、今後は人類の平和と繁栄のために振り向けていくことが強く要請されること、になりましょう。
39  そこで私の提案ですが、今度の軍縮特別総会において、国連内に仮称「軍縮のための経済転換計画委員会」を組織化する方向で討議され、やがてそのような委員会の設置がなされるならば、そこでは軍縮にともなう新国際経済秩序の形成への構想が研究され、その具体的な実現へのプログラムが討議されるべきでしょう。
 例えば、軍縮への過程において、軍縮実現に必要な各国経済の諸関係調整への方向を示す新プログラムの作成も、そこに含まれるでしょう。また、軍縮の実現、なかんずく核軍縮の実現をみた場合の、軍事的用途から解放される諸資源、労働力及び技術の平和的利用に関する助言と勧告なども、そこでなされるでありましょう。これは、核エネルギーの平和的利用の裏にある様々な経済的な含みを明示する作業、あるいは核に代わるエネルギー、いわゆる代替エネルギーの開発に関する経済的計画の準備等々も含まれましょう。
40  ともあれ現状は、世界の科学者の二五%、すべての研究開発費の四〇%が軍事目的であるという恐るべき状態であります。国連の賢明な指導下に一刻も早く軍縮への道が切り開かれ、軍事目的のための研究が無意味となるような世界を現出しなければなりません。そして、今まで軍備拡大のために投資されてきた巨額の費用を、今度は平和維持のための経済構造の創出に振り向けるよう努力していきたいものであります。更には、その費用によって、世界の科学者達が英知を結集し、人類の生存のためのプログラムを作成できるよう、切に望む次第であります。
41  無視することのできない課題
 以上は、すべて軍縮問題への国連のイニシアチブの強化への期待であります。そのためには、無視することのできない課題が二つ考えられると思います。
 第一に、国連そのものの経済的基盤の強化ということであります。これは、国連の長年の課題でありますが、私は素朴な発想として申し上げるのですが、軍事費に要するあの膨大な資金の一部でも、国連に向けることができないものかということであります。報道によると、フランスからは既に一定限度を超えた過剰軍備に対する課税というアイデアが出されているとのことであります。その金を、軍縮管理の運営費や開発途上国援助に回そうというもので、これなど、十分検討に値するものではないでしょうか。もちろん、その課税金が、軍備増強への免罪符となってはならず、そこには何らかのチェックが必要とされましょう。
 私が訴えたいのは、国のために金を使うのは当然としても、より以上に、人類の平和のために醵金きょきんするという、発想の転換であります。時代は既に、その時期にきているということであります。その英断がなければ、我が国の諺でいう″角を矯めて牛を殺す″結果をもたらすに違いありません。
42  第二に、国連の機能の強化にともない、必然的に要請されるのは、政治的不偏性であります。国連は、大国の主導権争いや裏取引の場であってはならず、また、醵出金の多寡によって、その国の比重が測られるようなことがあってもならないと思います。
 安保理の構成の問題など、複雑な要因が絡んでおりますが、私は、まずそのための第一歩として、事務総長及び国連首脳部の方々の″完全なる政治的非同盟宣言″なども、一考に値するのではないかと思うのであります。それにともない、事務局のメンバー構成などにも十分留意し、公平なイニシアチブを、今後とももってくださるようお願いいたします。
 以上、私のささやかなる提案が、今回の軍縮特別総会を契機に、何らかの参考にしていただければ、望外の喜びであります。また、一民間人が、この総会での討議に期待を寄せている微志を汲み取っていただければ、誠に幸いであります。

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