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日蓮大聖人・池田大作

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宇宙と生命  

「生命を語る」(池田大作全集第9巻)

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9  川田 これは非常にこみいった問題になりますが、宇宙における生命誕生の可能性をある程度、類推するには、どうしても避けて通ることのできないところですので、かんたんな確率計算をしてみることにします。いろいろな計算方法があるのですが、もっともわかりやすいものとして、東京大学教授の野田春彦氏(現創価大学工学部生物工学科教授。理学博士)の説を引用することにします。(以下『生命の起源』日本放送出版協会、参照)
 繰り返しになりますが、地球上の生物はすべて蛋白質と核酸からつくられています。その蛋白質は、二十種類のアミノ酸によって生成されますが、原始地球に、この二十種のアミノ酸が全部そろっていたとすることは、かなり納得できます。つまり、ある種類に限定されるとすることのほうが、不自然だからです。
 池田 二十種のアミノ酸が鎖のようにつながっていて、一つの蛋白質が生まれるのだね。
 川田 先ほどの確率の話と関連してきますが、野田教授の示すところによりますと、いま、アミノ酸が百個つながってできている蛋白質を例題にとります。
 途中をはぶきますが、望みどおりの蛋白質が一個だけでもつくられるには、一のあとにゼロが百三十個つながるほどの数だけ、種々の蛋白質を試作してみる必要がある、というのです。いわば、蛋白質の試作品です。ひかえ目に計算しても、一のあとにゼロが百個つづくほどの試作品をつくってみて、やっと、私たちの生命を形成している、ただ一個の蛋白質が得られることになります。
 こうした計算では、実感がわかないかもしれませんので、重さで示してみますと、10 75トン(一のあとにゼロが七十五個つづく数)にもおよぶ試作品のなかで、一つだけ求めるものがある、というのです。この数字がどれほど莫大な量をあらわしているかといいますと、天文学的数字をもはるかに超えています。つまり、現在推測されている宇宙全体のすべての物質の重さが、なんと、10 49トン(一のあとにゼロが四十九個つづく数)にすぎないのです。
 池田 おもしろいね。たとえ、材料がすべてそろっていても、もし、でたらめにアミノ酸をつなげていったのでは、宇宙の物質が全部アミノ酸であったとしても、私たちの身体を形成している一個の蛋白質もつくることはおぼつかないことになるわけだね。
 川田 ありえないことですが、地球も太陽も、銀河系も、すべてがアミノ酸でできているとします。それでも、蛋白質が一つでも確実につくられるとはいえないのです。
 それから核酸ですが、もし、全宇宙が核酸の材料であったとしても、それが、十億年間反応しつづけて、ようやく、もっともかんたんな一個の核酸があらわれるかどうかさえもわからないという計算になるそうです。
 池田 原始生命となると、核酸とか、蛋白質とかが、さらに高次の結合を遂げないと出現してこない。だから、まったくの偶然説をとると、原始生命どころか、一個の蛋白質とか核酸が、この地球上でできることさえおぼつかない。むしろ不可能といったほうがいいかもしれない。
 北川 もちろん、そうしたきわめて稀なケースが幸運にも地球の場合は早く出てきたという考え方もできないわけではありません。しかし、そうした偶然論を押しとおすよりも、この地球そのものに、生命へと向かう傾向性がそなわっていたと考えるほうが自然に思えるわけです。いや、宇宙そのものが生命への方向をはらんでいたというべきかもしれない。
 川田 野田春彦教授も、あくまで科学者としての立場を堅持しながらも、「有り得べからざることが一度だけ、何の理由もなく起こったというならば、あとは何の議論もできない。それではどうしても気持が悪いとすると、自然界の物質には生命を作りたがるような傾向があると考えざるを得ない」(『生命の起源』日本放送出版協会)と述べています。
 池田 私は、野田教授の言葉のなかで、「自然界の物質には生命を作りたがるような傾向がある」との表現に着目したい。ふつう物質とか、物体とかいえば、生命的存在とは何の関連もないもののように考えがちです。しかし、その物質そのものに即して、生命的存在へと向かう傾向性を見いだしていられるところに、洞察の鋭さがある。
 自然が生命をつくりたがっているというのは、きわめて意味深い表現です。もう一歩進めて、その自然界に秘められた″生命を作りたがる傾向″の意味するところを熟慮すれば、かならず、宇宙存在自体に内包された生命へと向かう根源的な傾向性にいきあたるのではなかろうか。
 さらにいえば、大宇宙生命には、生命的存在を生みだし、はぐくみ、創造の道へと駆りたてる本源的な内在力がそなわっていたと推察できるように思う。こうした宇宙生命内在の根源的な力に導かれて、この地球においても、原始生命が産声をあげえたのではなかろうか。
10  北川 これと似た考え方をテイヤール・ド・シャルダン(フランスの古生物学者、哲学者。一八八一年〜一九五五年)も述べています。この人のユニークな進化論には、うなずけない部分もあるのですが、次の主張には、首肯できるものがあります。たとえば、「生命というものはもはや宇宙における皮相的な偶然とみなされるものではなく、宇宙の中のどんな小さな裂けめからでも噴出しようとする圧縮された蒸気のようなものである」(「自然における人間の位置」日高敏隆・高橋三義共訳、『テイヤール・ド・シャルダン著作集2』所収、みすず書房)というのです。
 池田 譬喩的な表現だが、参考になる思索の結晶が含まれている。
 私たちの地球についていえば、ほぼ五十億年前に形成されたときから、三十億年前に原始生命が生まれるまでの、二十億年の間、徐々にではあるが、地球そのものに内在する生命への傾向性が高まっていた。シャルダン流の表現をすれば、生命誕生をひきおこす内在力が、少しずつ充満し、地球の内部に高まっていたといえよう。
 北川 まったくの無生の世界であった原始地球は、地球型生命を生みだすために、二十億年もの年月をかけたのですね。
 池田 原始生命を生みだすまでの、この惑星の営みは、決して無為に過ごされたのではない。火山の爆発も、原始の海の形成も、また、大気のなかでの一つ一つの化学反応が、すべて、生命発生のための長い長いプロローグであったと思う。こうした原始地球自体の営みがなければ、オパーリンの主張する、無機物から有機物へ、さらには、原始生命への過程も、決して起こりえなかったのではなかろうか。
 北川 地球そのものが、あたかも生命ある実在のごとく、やがては、自己の体内から生みだす地球型生物の生きるべき、すべての条件をととのえていったともいえますね。
 池田 そう。ここは、非常に重大なところだと私は思う。シャルダンは、物質はわれわれの目には″死んだもの″に見えるが、ある一定の境界を超えると、生命の赤い輝きをおび始める、という意味のことを述べている。
 先ほどの野田教授の発言とも通じるものがあるが、表面的にみれば、無機物も有機物も、たしかに″死んだもの″と映る。だが、メタンやアンモニアなどから、アミノ酸とか、蛋白質とか、核酸などの複雑な有機物が合成されていくにつれて、物質自体が、死から生への輝きをおび始める。そして、原始生命にいたっては、赤々と燃える生命の火が、この地球上にあらわれるのです。
 このように論を進めてくれば、生命の発生以前の原始地球そのものが、地球型生命を生みだす母胎としての、巨大な生命的存在であると考えざるをえないのではなかろうか。
11  川田 地球もまた、たとえ表面的には、たんなる物質的存在と映っても、そのあまりにも巧妙な働きに焦点をあてれば、一個の生命体であるといわざるをえないというわけですね。
 池田 いま、科学者たちは、原始地球には、地球型生命を発生させるべき、あらゆる材料と条件がととのっていたと力説している。この事実を認めたうえで、私は、次のように主張したいのです。
 原始生命をその誕生に導いたものも宇宙内在の生命へと向かう傾向性であれば、地球型生命を発生させるに十分な条件をととのえたものも、同じ根源的な力であったのではなかろうか――と。
 原始地球に見いだされる生命発生への条件は、たんなる偶然によって、つくられていたのではない。それは、ととのっていたのではなく、原始地球の、二十億年にもおよぶ、営々とした活動が、ととのえたのである。
 さらにいえば、地球を、そして、物質を、生命的に染めあげた主体的存在は、当の原始地球であり、その内部に、はちきれんばかりに高まりつつあった生命への傾向性ではなかったであろうか。
 北川 これを宇宙的視野にまで広げると、地球型生命ばかりでなく、他の予想される生命的存在の素材が宇宙のあらゆる天体にありうるという事実は、宇宙そのものの働きによるととれますね。
 池田 少なくとも、生物形成の素材というか、原料があり、生命発生をうながすにたりる条件がそなわっているところでは、それは宇宙内在の生命への傾向力による、というふうにいうことはできるでしよう。
 しかし、だからといって、そうした環境を発見できるところに、かならず、予想しうる生命体が誕生しうるか、といえば、そうは断定できない。たとえば、高まりつつあった内在力が、種々の外的作用によって、どうしても、その壁を打ち破れず、やがて弱まってしまうこともあろう。そこに、偶然の働く余地が残されているし、具体的な生命発生の場所とか、時間などになれば、偶然に起きるさまざまな事件が大きく介入してくるにちがいあるまい。それにもかかわらず、宇宙生命の営みを、時間空間にわたって視野を広げて考察すると、偶然の介入を許しながらも、生命化への傾向性を断ちきられることは決してないであろう。
 ゆえに、宇宙生命の内在力が、あらゆる種類の生命体の誕生を準備している領域では、やはり、その環境に適合した生命的存在が生まれでる可能性は、決して低くはないのではないかと思う。いや、無限の空間領域に広がり、永遠の流転を織りなしていく宇宙の全体像に思いを馳せるときには、宇宙は、生命の素材にあふれているばかりではなく、各種の存在形態を示す生物にも満たされていると推定できるのではなかろうか。
 川田 そう考えますと、私たちの生命の生死流転は、宇宙を舞台に、永劫につづいていくといえそうですね。
 池田 「本有の生死」は永遠の時を刻む。もし知的生物を含めて、生命的存在の生きる場が、空間的には宇宙大に、時間的には永劫の未来にわたって保証されているとすれば、仏法の根源的な哲理である「本有の生死」が成立することになるのです。

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