Nichiren・Ikeda
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10 北川 これと似た考え方をテイヤール・ド・シャルダン(フランスの古生物学者、哲学者。一八八一年〜一九五五年)も述べています。この人のユニークな進化論には、うなずけない部分もあるのですが、次の主張には、首肯できるものがあります。たとえば、「生命というものはもはや宇宙における皮相的な偶然とみなされるものではなく、宇宙の中のどんな小さな裂けめからでも噴出しようとする圧縮された蒸気のようなものである」(「自然における人間の位置」日高敏隆・高橋三義共訳、『テイヤール・ド・シャルダン著作集2』所収、みすず書房)というのです。
池田 譬喩的な表現だが、参考になる思索の結晶が含まれている。
私たちの地球についていえば、ほぼ五十億年前に形成されたときから、三十億年前に原始生命が生まれるまでの、二十億年の間、徐々にではあるが、地球そのものに内在する生命への傾向性が高まっていた。シャルダン流の表現をすれば、生命誕生をひきおこす内在力が、少しずつ充満し、地球の内部に高まっていたといえよう。
北川 まったくの無生の世界であった原始地球は、地球型生命を生みだすために、二十億年もの年月をかけたのですね。
池田 原始生命を生みだすまでの、この惑星の営みは、決して無為に過ごされたのではない。火山の爆発も、原始の海の形成も、また、大気のなかでの一つ一つの化学反応が、すべて、生命発生のための長い長いプロローグであったと思う。こうした原始地球自体の営みがなければ、オパーリンの主張する、無機物から有機物へ、さらには、原始生命への過程も、決して起こりえなかったのではなかろうか。
北川 地球そのものが、あたかも生命ある実在のごとく、やがては、自己の体内から生みだす地球型生物の生きるべき、すべての条件をととのえていったともいえますね。
池田 そう。ここは、非常に重大なところだと私は思う。シャルダンは、物質はわれわれの目には″死んだもの″に見えるが、ある一定の境界を超えると、生命の赤い輝きをおび始める、という意味のことを述べている。
先ほどの野田教授の発言とも通じるものがあるが、表面的にみれば、無機物も有機物も、たしかに″死んだもの″と映る。だが、メタンやアンモニアなどから、アミノ酸とか、蛋白質とか、核酸などの複雑な有機物が合成されていくにつれて、物質自体が、死から生への輝きをおび始める。そして、原始生命にいたっては、赤々と燃える生命の火が、この地球上にあらわれるのです。
このように論を進めてくれば、生命の発生以前の原始地球そのものが、地球型生命を生みだす母胎としての、巨大な生命的存在であると考えざるをえないのではなかろうか。
11 川田 地球もまた、たとえ表面的には、たんなる物質的存在と映っても、そのあまりにも巧妙な働きに焦点をあてれば、一個の生命体であるといわざるをえないというわけですね。
池田 いま、科学者たちは、原始地球には、地球型生命を発生させるべき、あらゆる材料と条件がととのっていたと力説している。この事実を認めたうえで、私は、次のように主張したいのです。
原始生命をその誕生に導いたものも宇宙内在の生命へと向かう傾向性であれば、地球型生命を発生させるに十分な条件をととのえたものも、同じ根源的な力であったのではなかろうか――と。
原始地球に見いだされる生命発生への条件は、たんなる偶然によって、つくられていたのではない。それは、ととのっていたのではなく、原始地球の、二十億年にもおよぶ、営々とした活動が、ととのえたのである。
さらにいえば、地球を、そして、物質を、生命的に染めあげた主体的存在は、当の原始地球であり、その内部に、はちきれんばかりに高まりつつあった生命への傾向性ではなかったであろうか。
北川 これを宇宙的視野にまで広げると、地球型生命ばかりでなく、他の予想される生命的存在の素材が宇宙のあらゆる天体にありうるという事実は、宇宙そのものの働きによるととれますね。
池田 少なくとも、生物形成の素材というか、原料があり、生命発生をうながすにたりる条件がそなわっているところでは、それは宇宙内在の生命への傾向力による、というふうにいうことはできるでしよう。
しかし、だからといって、そうした環境を発見できるところに、かならず、予想しうる生命体が誕生しうるか、といえば、そうは断定できない。たとえば、高まりつつあった内在力が、種々の外的作用によって、どうしても、その壁を打ち破れず、やがて弱まってしまうこともあろう。そこに、偶然の働く余地が残されているし、具体的な生命発生の場所とか、時間などになれば、偶然に起きるさまざまな事件が大きく介入してくるにちがいあるまい。それにもかかわらず、宇宙生命の営みを、時間空間にわたって視野を広げて考察すると、偶然の介入を許しながらも、生命化への傾向性を断ちきられることは決してないであろう。
ゆえに、宇宙生命の内在力が、あらゆる種類の生命体の誕生を準備している領域では、やはり、その環境に適合した生命的存在が生まれでる可能性は、決して低くはないのではないかと思う。いや、無限の空間領域に広がり、永遠の流転を織りなしていく宇宙の全体像に思いを馳せるときには、宇宙は、生命の素材にあふれているばかりではなく、各種の存在形態を示す生物にも満たされていると推定できるのではなかろうか。
川田 そう考えますと、私たちの生命の生死流転は、宇宙を舞台に、永劫につづいていくといえそうですね。
池田 「本有の生死」は永遠の時を刻む。もし知的生物を含めて、生命的存在の生きる場が、空間的には宇宙大に、時間的には永劫の未来にわたって保証されているとすれば、仏法の根源的な哲理である「本有の生死」が成立することになるのです。