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世界平和のために  

「人生問答」松下幸之助(池田大作全集第8巻)

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22  アジアは共通の基盤にたてるか
 池田 かつて岡倉天心は、「アジアは一つ」と訴えましたが、現実には、さまざまな風俗・習慣、物の考え方が混在して、アジアは一つとは考えられない状況です。考え方によっては、ヨーロッパやアフリカなどのほうが一つにまとまりやすい傾向をもっています。アジアを共通の基盤にたたせることは可能だとお思いでしょうか。またそれにはどのような理念が必要であるとお考えでしょうか。
 松下 一口にアジアといっても、そのなかにいろいろの国家、民族があり、それぞれに異なった伝統や風俗、宗教などをもっています。ですから、そうした国の成り立ち、伝統、習慣、宗教などの違いという点からみれば、アジアは一つではないともいえます。とくに、ヨーロッパではそれぞれの国がおおむね陸続きであるうえに、富の程度、知識、文化の水準もほぼ同じようなものであり、さらに宗教もおおむねキリスト教です。ですから、ECのように一つにまとまりやすいでしょうが、アジアは、島国が多いうえに、富や知識の水準、さらには宗教もまちまちです。開発の進んだ国もあれば、非常に遅れているところもあって、一つにまとまることはなかなかむずかしいといえましょう。
 けれども、世界全体からみれば、皮膚の色といった人類学的な面でアジア人同士は相似ていますし、気候風土から生まれてくる物の考え方という面でも、西洋とは異なったアジアとしての共通性があるように思われます。そういう面を重視すれば、アジアは一つということになりましょう。
 ですから、アジアの共通の発展ということを考えれば、一つとしてやっていくということがむずかしいなら、相似ているという点を強調したほうがいいのではないかと思います。
 通俗的な言い方をすれば、西洋を友人とすれば、アジアの国々はお互いに血のつながった兄弟だというわけです。友人である以上、仲良く友好的に交際していかなくてはならないことは当然です。しかし「血は水よりも濃い」という言葉もあるように、やはり兄弟同士であれば、それ以上に親密にし、共通の繁栄のために、相互に援助し、協力しあっていこうということになると思います。ですから、伝統や風俗、習慣、宗教などに異なる点があっても、それすらも包含し、アジアとしての相似ている点を強調し、その共通点を抽出し、それを発展させていくことが大切だと思います。そういうことが、共通の発展に結びつくと思うのです。
 ですから、少々一方的な国があったり、あるいは誤解しているような国があっても、そうした国々も同じ兄弟の一員なのだという考えにたてば、互いに許し合い、導き合っていくということもできやすいと思います。また、発展の途上にある国に対しても、兄弟として協力、援助の手をさしのべるということにもなりましょう。
 ですから、お互いにそういう兄弟意識に徹していくことが大事だと思います。今日では全体にいささかそういう意識が薄いようにも感じられますし、とくに日本については、他のアジアの諸国から、欧米を重視してアジアを軽視しているようにみられている面もあるということです。ですから、率先してそういう意識を強調し、それに徹していかなくてはならないと思います。
23  アジアに共同体は可能か
 池田 現在、ヨーロッパにはECがあり、善きにつけ、悪しきにつけ、強い結東と影響力をもっております。コーロッパは共同体を実現することにより、アメリカとともに自由主義圏の一大文柱となることができたわけですが、アジアにECのような共同体を形成することは可能でしょうか。また日本はそのなかでどのような役割を果たすべきだとお考えですか。
 松下 ECのような共同体をアジアにつくることは、ヨーロッパの場合に比べて、はるかにむずかしいと思います。コーロッパの場合は、なんといっても、おおむね一つの大陸にあるうえに、各国の知識の程度、富の程度がほぼ接近していますし、意識も同じくしています。
 しかしアジアはそうではありません。地理的にも島国が多いうえに、各国民の間の知識の差、富の差というものが大きく、開発の非常に遅れた国、あるていど進んだ国、日本のような欧米先進国上肩を並べる国など、いろいろな様相を呈しています。
 ですから、アジアに共同体をつくることについては、ECの場合の十倍あるいはそれ以上の困難がともない、努力が要求されるでしょう。したがって、今ただちに実現することはできないと思います。
 しかし、永遠に不可能かというと、けっしてそうではないでしょう。努力をしていけば必ずできると思います。また、そうした共同体の結成がアジアの国々の共通の発展にプラスするところも大きいと思うのです。
 そういうことを考えますと、たとえむずかしくても、アジア共同体の結成という可能性に挑戦していくことは、非常に意義があると考えられます。非常にむずかしいといっても、世界連邦を結成するのに比べれば、はるかに楽でしょう。その世界連邦でも結成していこうと今日多くの人が考えているのですから、アジア共同体も、その可能性を信じ、またそのことが共通の平和と幸せをもたらすことを信じて、実現に取り組んでいったらいいと思います。
 ただ、こういう大きな仕事をするについては目標をはっきりさせておくことが大切です。そこで私は、今から約三十年後の紀元二千年に共同体の結成を目指して準備を進めていってはどうかと思うのです。それぐらいの年月をかけ、各国の合意のもとにやっていけば十分可能ではないかと思います。
 そういうことをいくつかの国が提唱し、世話役となっていくことが、アジア全体の発展のために望ましいと思います。その場合、日本は重要なる世話役の一員を務めるべきでしょう。
24  平和を守る義務
 松下 お互い国民として果たすべき、責任とか義務というものについては、憲法その他の法律に定められているものもあれば、成文化されていなくても、いわば無言のうちにお互いが承認しあっているような倫理的道徳的なものもあると思います。そこで、そのような有形無形の国民としての義務のなかで、これはとくに大切だというょうな、三大義務あるいは五大義務といったものをかりに考えるとすれば、それはどういう項目になるでしょうか。
 池田 私は平凡な一庶民であって、国民の三大義務とか五大義務を示す立場ではありません。また義務は本来的に、誰かが示すというものでもないと思います。時代に生きる民衆が自然のうちに生みだし、定めていくものかと思います。
 ただ、あえて一点あげれば「平和を守る義務」ということです。今後の日本の進路を考えると、ここに日本の人びと全体のコンセンサスを高め、人類の平和のリーダーシップをとっていくことの必要性を痛感いたします。平和は、人間が願う最も基本的な欲求ではありますが、今日まで、この欲求を満たしえてきたとはけっしていえません。平和を脅かす要因は、人間社会のなかに常に深く宿っているようです。
 ユネスコ憲章の前文に「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」という指導精神がうたわれていますが、私は、平和を守るという、この一点を国民的義務として訴えておきたいと思います。

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