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日蓮大聖人・池田大作

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人生問答 現代文明への反省

「人生問答」松下幸之助(池田大作全集第8巻)

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25  人類の危機をどう乗り切るか
 池田 現在、人類は資源の枯渇、人口増加、食糧不足等々、さまざまな難問をかかえています。こうした人類の未来の予測に関して、ローマ・クラブの委託で作成されたMITレポート(MIT〈マサチューセッツ工科大学〉がまとめた報告書。『成長の限界』と題して発表された)などをみると、事態の深刻さが、統計的にかなリショッキングなかたちで発表されています。しかし、この危機についても未来学者のなかには、依然として強気の楽観論をいだく人がいますが、こうした現代という時代が直面する危機を、どうみておられますでしょうか。また、いかなる方法によってこの危機を乗りきることができると考えておられるでしょうか。
 松下 数年前に、西欧の有識者の人びとによってローマ・クラブというものが結成され、国際的に協力して、よりよき未来をつくるためにいろいろ研究し、提案していくということで盛んに活動しています。とくに一昨年発表された、いわゆるMITレポートでは、ご質問にあるような、人口や食糧、資源などについてのショッキングな警告と、そういう事態に対処していくための提言が盛り込まれ、世界的に話題を呼びました。
 そういう活動はローマ・クラブだけでなく、その他いろいろな個人や団体によってもなされています。私は、そういったことがなされること自体が、人間の人間たるゆえんではないかと思うのです。イヌやサルであれば、前途にどんな事態が待ち構えていようと、相寄ってそれを研究したり、それに対処する道を考えたりしません。
 人間だけが、そういうことを予測して、事態の深刻さについて世の中に警告したり、なんらかの方策を提唱したりするわけです。それによって、今まで気がつかなかった人も、これは大変だと気がつき、学者は学者なりにそれぞれの分野でそういうことを考慮に入れて研究を進めるでしょうし、一般の人は一般の人で、「これは今までのようにやっていてはいけないな、まあ先のことはどうなるか自分にはわからないが、いま現在から、一片の鉄、一枚の紙でも節約していこう」といった好ましい生活態度を生みだすことにもなりましょう。ですから、ローマ・クラブなどの警告はこれをありがたく受け入れ、それぞれに自分の生活態度をどう規制していくかということを考えなくてはならないと思います。
 しかし、繰り返して申しますが、そういうことを考えるところに、人間の英知の英知たるところがあるわけです。過去、何十万年、何百万年にわたって人間が生きつづけ、人口が増加していながら、今日これまでで一番豊かな生活をしているということは、何を教えているでしょうか。それは、人間はけっして愚かではないということだと思います。
 これまでにも、人類のうえにいろいろ危機と思われるようなことはあったでしょうが、そういうものに直面して、誰かが警告をし、それにもとづいて、お互いにいろいろ知恵才覚を働かせ、協力しあって道を見いだしてきたと思うのです。そういうものが、人間本来の姿だと思います。
 ですから、努力はするが、そう心配はしない、心配はしても苦悩はしない、人間は必ず好ましいかたちに進歩していくだろうというのが私の考えです。
26  終末観流行の原因
 池田 六〇年代のバラ色の未来論に代わって、七〇年代に入ると一転して終末論が流行しました。これは、公害によって環境破壊が進行し、西洋近代の文明原理が行き詰まりを露呈した結果、人びとが新しい文明転換の原理を模索している姿とも思われますが、なぜ急速に終末観が横行するようになったとお考えですか。また、このような終末論を乗り越えて、輝ける二十一世紀を迎えるための方途を、どこにお求めですか。
 松下 今日、いろいろなかたちで、終末論が論じられておりますが、私はそういうものには、あまり重きをおいておりません。終末論は、過去においても時々あらわれているようですし、今後も時に応じて出てくるだろうと思います。
 今、世界的にほとんど軌を同じくして混乱の姿にあります。ですから、世界全体、人類全体として一つの転換期を迎えているとも考えられ、そういうところから終末論というようなことがいわれるようになったのではないかと思います。しかし、私は学問的に研究したわけではありませんが、そういう考えはあまりとりたくないのです。
 私は、人間の世界を含めて、この宇宙は絶えず生成発展していると考えています。人間の死ということも、大きな観点からすれば、これも生成発展の一つの姿だと思います。そういうことからして、終末論というものにはこだわらないほうがいいと思いますし、終末論を乗り越えるということも、あまり大そうに考えず、自然な姿で人間の歩みを進めていっていいのではないかと思うのです。
 つまり、この宇宙の生成発展、世の中の生成発展というものを素直に考えて、そこからおのずと生まれてくる道を求め、その日その日に素直に対処していけばいいのではないでしょうか。そうすれば、輝けるか輝けないかはともかくとして、二十一世紀は今世紀よりいろいろな意味においてよくなるだろうと思います。
 人間の知恵というものは、そういうことを求めて成果を上げることが十分できると思うのです。
 ご質問にあるように、西洋近代の文明原理といいますか、科学技術を中心とした物質文明的な物の考え方は、一つの行き詰まりを示しているともいえましよう。しかし、一つの文明原理が行き詰まれば、また、より時代にふさわしい新しい文明原理がおのずと生まれてくるというのが、これまでの歴史の姿であり、それが生成発展に即した人間本来の姿だと思います。
 ですから、そういう″生成発展″ということをお互いが認識し、そこに基本的な安心感をもって歩んでいくならば、個々にはいろいろ問題はあっても、総じていえば二十一世紀には二十世紀よりも好ましい姿が生まれてくるでしょう。私はそう考え、あまり心配はしていないのです。

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