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日蓮大聖人・池田大作

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人生問答 現代文明への反省

「人生問答」松下幸之助(池田大作全集第8巻)

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24  自然観の変革
 池田 公害病の発生、自然破壊と汚染、地球的規模における人災の激発などを契機として、人類は今、自然観の変革を迫られています。
 西洋近代文明の自然観は、いうまでもなく自然を征服し、人間のために利用しつくそうとする思想に貫かれています。だが、そうした自然への考え方が、人類を破滅の危機におとしいれかねない状態になって、自然との共存、調和の方向へ転回を始めたようです。
 本来、東洋に流れる自然観の精華の一つとして、仏法では、次のような原理を説いています。それは「依正不二」の原理といい、依報とは環境世界をさし、正報とは主体的生命をさします。正報としての生命体は、依報という環境によってつくられ、それにささえられて初めて生存が可能となります。同時に、正報は、依報に働きかけ、自然を能動的につくりだしていきます。しかし、依報と正報は、その根源において融和し、一体であると説くのです。この関連性を「不二」として表現します。
 人類は、自然との共存を実現するため、この「依正不二論」に示されるような、生命主体と環境との、基本的視点に立ち返るべきだと考えますが、いかがでしょうか。
 松下 ご質問にありますような、仏法の考え方はきわめて妥当なものであり、大切なものだと思います。
 ただ、一般の生物というものをみてみますと、彼らは意識せずして、そのとおりやっているように思われます。そして人間の場合も、結局は大きな目でみれば、意識するとしないとにかかわらず、仏法でいう依正不二の原理にたって、人間生活を営んでいるのではないでしょうか。
 いろいろな虫が植物を食い荒らしたり、大きな動物が小さな動物をとらえて食べるといった姿は、その範囲だけでみれば、自然を破壊しているとみられないこともありません。けれども、自然界全体からすれば、そうしたことによって、動物も植物も共存し、大きな調和を生みだしているわけです。彼らのもつ本能が、自然のうちに依正不二の原理に即した行ないをなさしめているのだと思います。
 人間の場合でも、基本的には同じことだと思います。人間は、もともと環境を破壊しようと考えて、進んで破壊しようとしているのではないと思います。人間生活の向上を目指し、自然の整備といいますか、活用、開発を行なおうとするわけです。ただ、人間には他の生物にない知恵がある半面、意欲をたくましくするといった面もあり、それが行き過ぎて、他の生物とは比べものにならない大きな自然破壊を行なってしまうこともありましょう。けれども、そうした行き過ぎがあれば、そのことに気づき、それを是正していこうとする心の働きも、人間には本来与えられているのです。昨今、外国でもまた日本でも、汚染で魚がいなくなっていた川に再び魚の姿が見られるようになったことが伝えられていますが、そのように、一時の行き過ぎがあっても、それは必ず是正されていくと思います。
 ご承知のように、日本人の平均寿命は戦後非常に長くなり、近年、公害や自然破壊が騒がれるなかにあっても、年々伸びており、今日では、福祉国家として有名な北欧三国にも匹敵するほどの世界の長寿国になっております。
 いってみれば、人間にはそれほどの環境に対する順応力、適応力があるのであり、人間は基本的には絶えず進歩の過程を歩んでいると考えていいのではないでしょうか。
 自然をかりに、十なら十開発しても、それによって人間全体として、十二のものを得るということであれば、これは私はいいと思うのです。けれども、十の開発で、八のものしか得ないといったことでは、これは自然破壊に終わってしまいます。
 そういうことのないよう、好ましい開発を行なっていくうえで、仏法の考え方は、大いに参考となるものだと思います。
25  人類の危機をどう乗り切るか
 池田 現在、人類は資源の枯渇、人口増加、食糧不足等々、さまざまな難問をかかえています。こうした人類の未来の予測に関して、ローマ・クラブの委託で作成されたMITレポート(MIT〈マサチューセッツ工科大学〉がまとめた報告書。『成長の限界』と題して発表された)などをみると、事態の深刻さが、統計的にかなリショッキングなかたちで発表されています。しかし、この危機についても未来学者のなかには、依然として強気の楽観論をいだく人がいますが、こうした現代という時代が直面する危機を、どうみておられますでしょうか。また、いかなる方法によってこの危機を乗りきることができると考えておられるでしょうか。
 松下 数年前に、西欧の有識者の人びとによってローマ・クラブというものが結成され、国際的に協力して、よりよき未来をつくるためにいろいろ研究し、提案していくということで盛んに活動しています。とくに一昨年発表された、いわゆるMITレポートでは、ご質問にあるような、人口や食糧、資源などについてのショッキングな警告と、そういう事態に対処していくための提言が盛り込まれ、世界的に話題を呼びました。
 そういう活動はローマ・クラブだけでなく、その他いろいろな個人や団体によってもなされています。私は、そういったことがなされること自体が、人間の人間たるゆえんではないかと思うのです。イヌやサルであれば、前途にどんな事態が待ち構えていようと、相寄ってそれを研究したり、それに対処する道を考えたりしません。
 人間だけが、そういうことを予測して、事態の深刻さについて世の中に警告したり、なんらかの方策を提唱したりするわけです。それによって、今まで気がつかなかった人も、これは大変だと気がつき、学者は学者なりにそれぞれの分野でそういうことを考慮に入れて研究を進めるでしょうし、一般の人は一般の人で、「これは今までのようにやっていてはいけないな、まあ先のことはどうなるか自分にはわからないが、いま現在から、一片の鉄、一枚の紙でも節約していこう」といった好ましい生活態度を生みだすことにもなりましょう。ですから、ローマ・クラブなどの警告はこれをありがたく受け入れ、それぞれに自分の生活態度をどう規制していくかということを考えなくてはならないと思います。
 しかし、繰り返して申しますが、そういうことを考えるところに、人間の英知の英知たるところがあるわけです。過去、何十万年、何百万年にわたって人間が生きつづけ、人口が増加していながら、今日これまでで一番豊かな生活をしているということは、何を教えているでしょうか。それは、人間はけっして愚かではないということだと思います。
 これまでにも、人類のうえにいろいろ危機と思われるようなことはあったでしょうが、そういうものに直面して、誰かが警告をし、それにもとづいて、お互いにいろいろ知恵才覚を働かせ、協力しあって道を見いだしてきたと思うのです。そういうものが、人間本来の姿だと思います。
 ですから、努力はするが、そう心配はしない、心配はしても苦悩はしない、人間は必ず好ましいかたちに進歩していくだろうというのが私の考えです。
26  終末観流行の原因
 池田 六〇年代のバラ色の未来論に代わって、七〇年代に入ると一転して終末論が流行しました。これは、公害によって環境破壊が進行し、西洋近代の文明原理が行き詰まりを露呈した結果、人びとが新しい文明転換の原理を模索している姿とも思われますが、なぜ急速に終末観が横行するようになったとお考えですか。また、このような終末論を乗り越えて、輝ける二十一世紀を迎えるための方途を、どこにお求めですか。
 松下 今日、いろいろなかたちで、終末論が論じられておりますが、私はそういうものには、あまり重きをおいておりません。終末論は、過去においても時々あらわれているようですし、今後も時に応じて出てくるだろうと思います。
 今、世界的にほとんど軌を同じくして混乱の姿にあります。ですから、世界全体、人類全体として一つの転換期を迎えているとも考えられ、そういうところから終末論というようなことがいわれるようになったのではないかと思います。しかし、私は学問的に研究したわけではありませんが、そういう考えはあまりとりたくないのです。
 私は、人間の世界を含めて、この宇宙は絶えず生成発展していると考えています。人間の死ということも、大きな観点からすれば、これも生成発展の一つの姿だと思います。そういうことからして、終末論というものにはこだわらないほうがいいと思いますし、終末論を乗り越えるということも、あまり大そうに考えず、自然な姿で人間の歩みを進めていっていいのではないかと思うのです。
 つまり、この宇宙の生成発展、世の中の生成発展というものを素直に考えて、そこからおのずと生まれてくる道を求め、その日その日に素直に対処していけばいいのではないでしょうか。そうすれば、輝けるか輝けないかはともかくとして、二十一世紀は今世紀よりいろいろな意味においてよくなるだろうと思います。
 人間の知恵というものは、そういうことを求めて成果を上げることが十分できると思うのです。
 ご質問にあるように、西洋近代の文明原理といいますか、科学技術を中心とした物質文明的な物の考え方は、一つの行き詰まりを示しているともいえましよう。しかし、一つの文明原理が行き詰まれば、また、より時代にふさわしい新しい文明原理がおのずと生まれてくるというのが、これまでの歴史の姿であり、それが生成発展に即した人間本来の姿だと思います。
 ですから、そういう″生成発展″ということをお互いが認識し、そこに基本的な安心感をもって歩んでいくならば、個々にはいろいろ問題はあっても、総じていえば二十一世紀には二十世紀よりも好ましい姿が生まれてくるでしょう。私はそう考え、あまり心配はしていないのです。

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