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日蓮大聖人・池田大作

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如来神力品(第二十一章) 「凡夫こそ本…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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14  仏は衆生の「恋慕」に応じて出現
 須田 「ジャータカ」と言えば、インドに行ったとき、仏塔にも、そういう物語をもとにした彫刻やレリーフ(浮き彫り)が、たくさんありました。
 池田 その「仏塔(ストゥーパ)」も、「仏因の探求」と深い関係があるね。
 遠藤 はい。釈尊の死後、在家者によって釈尊の遺体の火葬がなされます。「出家者は葬儀などしてはならない.そんなひまがあるなら自分の修行をしなさい」という遺言があったからです。遺骨(舎利)が分けられて、それを中心に「塔」が建てられました。その後、「仏塔」信仰は大きく広がっていきます。その経緯や実態は不明ですが、大乗仏教の興隆と密接な関係があったことは定説になっています。
 斉藤 「仏塔」を中心にした人々の信仰は何であったか。
 確実なことは言えませんが、亡くなった釈尊を「心懐恋幕」(心に恋慕を懐き=寿量品)する思いが、そこに脈打っていたと思われます。
 池田 寿量品には「其の(=衆生の)心の恋慕するに因って、すなわち出でて為に法を説く」(因其心恋慕乃出為説法)(法華経四九一ページ)とある。
 「永遠の仏」が、衆生の「心懐恋慕」の一念に応じて、出現して法を説くと言うのです。
 釈尊の滅後、人々は釈尊の「不死の本質」というか、入滅しても滅していない「真実の釈尊」を求めたのではないだろうか。それは「仏身論」にも表れているでしょう.
 斉藤 はい.竜樹なども紹介しているように、はじめは、「生身」の釈尊と「法身」の仏との二身が立てられたようです。
 八十歳で亡くなった肉身の釈迦仏を「生身」とします。一方、生身の釈尊を仏たらしめた悟りの境涯そのものは永遠であるとして、それを「法身の仏陀」と呼びました。
 池田 「法身」の仏陀は、後に「法身(境)」と「報身(智)」の二身が説かれるようになり、法・報・応(応身)の三身説になっていく。しかし、「肉身の人間・釈尊」の奥底に「永遠の仏」を見ている点では同じです。
 須田 「仏塔」信仰も、肉身の釈尊を超えた「永遠の仏」を「一心欲見仏(一心に仏を見たてまつらんと欲して=寿量品)」(法華経四九〇ページ)する人々の思いに支えられていたと思います。
 遠藤 法華経にも、「仏塔」信仰は大きく反映しています。
 ″諸仏の入滅後に人々が仏舎利を供養して成仏した″とか、″幼児が戯れに砂を集めて仏塔を作ってさえ、仏道を成ずる″とか、説かれています。(方便品〈第二章〉)
 斉藤 多宝如来の「宝塔」が出現するというのも、「仏塔」の反映でしょうね。
 遠藤 多宝如来は「過去仏」です。釈尊は「現在の仏」、そして上行菩薩は「未来の仏」──こういう意味があるのかもしれません。
 池田 いずれにしても、三世にわたる「永遠性の仏」への思いが、仏の「塔」にこめられている。その実相は、じつは凡夫の生命そのものが「宝塔」なのです。妙法を持つ凡夫こそが宝塔であり、「永遠の仏」と一体になる。
 「阿仏房あぶつぼうさながら宝塔・宝塔さながら阿仏房」です。
 須田 こうして、たどってみますと、大乗仏教で、さまざまな「永遠性の仏」を説くのは、必然性がありますね。
 よく「亡くなった宗祖・釈尊を神格化したのが大乗仏教」だというような意見がありますが、そういう一面もあったかもしれませんが、それは本筋ではない。大乗仏教の原動力は、釈尊を仏にした「仏因」の探求であり、それが「永遠の仏」の探究となっていったのではないでしょうか。
 池田 「永遠の仏」そのものが「仏因」だということです。「南無妙法蓮華経如来」から一切の諸仏は生まれたのです。もちろん、「仏因」であると同時に「仏果」なのだが。
 斉藤 先ほどの「生身」と「法身」の二身説でも、「法身から生身は生まれた」とされます。
 池田 こうも言えるでしょう。
 仏法者は皆、自分が「ダンマ(正法=永遠の生命=如来)」に目覚めようと努力した。
 ところが、目覚めたとたん、わかったのは、ほかならぬ自分が「ダンマ」から生まれた「如来の子(菩薩)」であったという事実なのです。少しむずかしい表現になるが。
 遠藤 その転換は、もしかすると、「小乗」仏教から「大乗」仏教への転換という歴史の流れと重なっているかもしれませんね。「法」を探究の「対境」としていた小乗仏教(部派仏教)から、「菩薩(仏子)」の運動である大乗への変化です。
15  渾身の「弟子の言葉」に「師の真実」が
 池田 まあ、そう言うためには、もっと、しっかりした実証的研究が必要です。ただ、大乗仏教は決して、釈尊と無関係の「非仏説」ではないということです。むしろ、釈尊の真意に追った結果なのです。
 もちろん、だれが説こうと、その教えが優れていればよいのです。
 釈尊が説いたから法華経が偉大なのではなく、法華経を説いたから釈尊は仏なのです。それがだれであれ、法華経を説いた人が仏なのです。「釈尊が説いたから偉大なのだ」というのでは、一種の権威主義であり、肩書主義でしょう。
 須田 プラトンが書き残した膨大な「対話篇」も、ソクラテスが主人公になっていますが、実際に、その通り、師・ソクラテスがしゃべったわけではないでしょう。
 では、「うそ」なのか、「非ソクラテス説」なのかというと、そうは言いきれない。弟子プラトンがつかんだ「師の真意」の表現だったと思います。
 池田 そうだね。私は、大乗仏典は、「釈尊の真意」に追った人々が、より多くの人々にそれを伝えるために、さまざまな工夫をして説いたものだと思う。
 遠藤 金庸さんは、こう言っています。「ついにわかったのです。すなわち本来、大乗経典がいいたかったことはみな、この『妙法』だったということを。大乗経典は、知力の劣った、のみこみの悪い人々にも理解させ、帰依させるために、巧妙な方法を用いて仏法を宣揚し、説き明かしたものだったのです」(前掲『旭日の世紀を求めて』)
 斉藤 たしかに「大乗非仏説」の弱点は、「これほどの偉大な法を説いた経典編集者が、『自分の勝手な自説を、釈尊の名前で発表する』ような破廉恥なことをするのか」ということです。「如是我聞(是の如きを、我聞きき)」(法華経七〇ページ)とある通り、その教えを文字にまとめた人々は、「自分はたしかに釈尊からこの教えを聞いたのだ」と信じていた──自覚していたと考えたはうが、すっきりします。
 池田 それでは、その「如是我聞」申し上げた相手は、だれなのか。「たしかに聞いた」──だれから聞いたのか。それこそ、「常住此説法(常に此〈=娑婆世界〉に住して法を説)」(寿量品、法華経四八九ページ)の「永遠の仏」から聞いたのではないだろうか。その「説法」を、たしかに聞いた。その宗教体験を「如是我聞」と言ったと考えられる。
 須田 大乗仏教の研究者にも、そういう立場を取る人がいます。
 池田 もちろん、「生身の釈尊」の説法が伝承されていて、それが「核」になったことも当然、考えられます。
 遠藤 「一心欲見仏」の修行のなかで、そういう不可思議な体験をする。それは必ずあったと思います。
 斉藤 否定する学者もいるかもしれませんが、こういう「観仏(見仏)」体験を否定したのでは、仏教史、宗教史はわかりません。
 遠藤 「音痴が音楽史を書く」ようなものですね(笑い)。
 池田 「大乗非仏説」は、「仏といえば(生身の)釈尊以外ない」という大前提に立っているようだ。
 しかし、それでは釈尊が何のために仏法を説いたのか、わからなくなってしまう。自分と同じ「不死の境地」を教えるために、仏法を説いたのだから。
 釈尊と同じ悟りを得た人は必ずいるはずです。
 斉藤 その人も「仏」ですね。
 池田 そうです。
 須田 法華経を編纂した人も「仏」でしょうか。
 名着金長そう言ってよいでしょう。
 遠藤 ではなぜ、「(歴史的)釈尊が霊鷲山で説いた」という形式になっているのでしょうか。
 池田 そういう伝承があったのかもしれないし、何よりも「これこそが釈尊の真意である」という確証を実感していたからでしょう。
 須田 大乗の運動が、紀元前後の数百年をピークとしますと、釈尊滅後、五百年ぐらいでしょうか。「五五百歳」説で言えば、ちょうど「禅定堅固」のころに当たります。
 斉藤 「禅定」の体験の中で、「常住此説法」している「久遠の釈尊」にまみえたと考えられますね。
 遠藤 戸田先生の獄中の悟りも、「霊山の一会、儼然とて未だ散らず」を体験されたわけです。
 池田 きょうは仏教史のような話になってしまったが、現代人が法華経を理解するにあたっては、こういう考察も必要だろうね。
 遠藤 これまで「法華経の説法」は、『事実』そのものではなくても生命の『真実』なのだ」ということで納得していたのですが、より鮮明になりました。
16  「仏とは人間」への大転換点
 池田 話は、まだ終わらないんだ(笑い)。
 読者も大変だけれども、むずかしいところは、飛ばして読んでもいいから──。
 仏教史の流れを、ごく大づかみに言うと、こう言えるでしょう。
 いわゆる「原始仏教」は、生身の人間・釈尊が出家者に遺した戒法を持つことに、力を注いだ。いわば「保守」です。その結果、かえって、釈尊の真意──みずからの「仏因」を示して、皆を仏にしたいという──を見失いがちであった。
 一方、大乗仏教は、釈尊の「仏因」を探究し、「永遠性の仏」を追究した。いわば「革新」勢力です。その結果、阿弥陀仏とか盧舎那仏とか、真言の大日如来とか、多くの「長遠の寿命をもつ仏」が説かれた。
 これらは、法華経の眼から見るならば、「無始無終の無作三身如来(南無妙法蓮華経如来)」の一面、一面を説いているとも言えるでしょう。
 しかし、「永遠性の仏」を追究するあまり、原点の「人間・釈尊」と切り離されてしまった。否、「人間」そのものから離れてしまった。
 須田 たしかに、阿弥陀仏はこの娑婆世界にいない「他土」の仏だし、大日如来は法身仏であり、身相をもたない仏です。人間とは隔絶しています。盧舎那仏も、広大な智慧身(他受用報身)として説かれ、凡夫とは、はるかにかけ離れた存在になっています。
 池田 小乗と大乗には、それぞれ、こういう限界があった。この両者を統合し、両方の限界を打ち破ったのが「法華経」です。
 すなわち「人間・釈尊」が、その「本地」を「久遠実成の仏」であると明かす。そのことによって、″身近でありながら、永遠性にして偉大な仏″を示す道を開いたのです。それは、釈尊その人の原点に戻ったとも言える。
 須田 「発迹顕本」は「人間・釈尊に返れ」という意義があるということは、以前にも語っていただきました。
 池田 「人間・釈尊に返れ」とは、「人間に返れ」ということです。「人間の尊貴さに目覚めよ」ということです。
 斉藤 法華経は、小乗と大乗の両方を「統合」した経典ですね。
 池田 そうです。発迩顧本によって、すべての諸仏を「久遠実成の釈尊が教化してきた仏」として統一した。これが本門です。諸大乗経を統一している。
 迹門では、小乗の担い手であった二乗の成仏を説いた。その根拠は、一切の諸法を「実相」の一理のもとに統一したからです。
 遠藤 諸法実相です。
 池田 しかも、逆門の「諸法の統一」と、本門の「諸仏の統一」は対応している。
 どちらも「妙法」のもとに統一されたのです。
 斉藤 それまでの仏教史の進歩の「頂点」にあります。まさに「経王」ですね。
 池田 その進歩はしかし、まだ止まらない。それが法華経の「文底」の仏法です。
 いよいよ、次回は「なぜ文底仏法が必要なのか」を論じよう。
 「凡夫こそ本仏」──仏教史を画する、根本的な転機(ターニング・ポイント)は、文底仏法によって、初めて現実となるのです。

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