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日蓮大聖人・池田大作

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法師功徳品(第十九章) 「法師=弘教の…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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15  リ−ダーは太陽の如く!
 斉藤 経文では、次に「身の功徳」を説いています。「清浄の身、浄瑠璃の如くにして、衆生の見ると喜ぶを得ん」(法華経五四六ページ)。誰もが見たがるような、気品のある姿になると言うのです。
 須田 浄瑠璃というのは、磨き抜かれた透明な瑠璃のことです。瑠璃は七宝の一つで、べリル(緑柱石)のこととも、またガラスの類ともいいます。
 池田 明鏡のように、「生命が輝いている」ということでしょう。そういう人が一人いると、周囲まで明るくなるし、さわやかになっていく。「太陽」のような存在になれるということです。
 リーダーは、顔色もよく、太陽が昇るような生命力でなければいけない。
 斉藤 「身の功徳」のもう一つは、清浄な身であるゆえに、″浄らかな鏡に一切が映るように、十界のあらゆるものが、その身に映じる″という功徳です。
 池田 ばっと会っただけで、生命の傾向性がわかるということです。
 自分が妙法に生ききっていれば、相手の生命が、明鏡に映すようにわかってくる。それは慈悲があるからです。決して、威張って「自分は人を見抜く力がある」などと言っては絶対にならない。お互いに凡夫です。また御本仏の家族であり、創価家族です。
 悪人は見抜かなければいけないが、同志は、どこまでも励まし合い、守り合っていくのです。
16  「戦う心」がある限り!
 斉藤 最後に「意根清浄」です。経文の「一偈、一句」を聞いただけで、「無量無辺の義」をわかるようになるとあります。また、その一偈、一句の意義を一カ月でも、四カ月、一年でも、自在に説いていけるし、説くところの法は「皆実相と相違背せじ」(法華経五四九ページ)とあります。
 池田 話す内容が全部、宇宙の真理に、きちっとかなっている。
 斉藤 はい。「若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん」(法華経五四九ページ)とあります。世俗の思想や、政治・経済・産業・生活等のことについて語っても、すべて正法にかなっている──それが「意根清浄の功徳」です。
 須田 池田先生の広大な言論活動は、まさにこの通りだと思います。
 池田 「意根清浄」だから、頭だって、よくなっていく。生々世々、大学者、大智慧者にもなっていく。
 要するに、六根清浄とは「全身これ広宣流布の武器たれ」ということです。要領でなく、計算でなく、不惜身命で広布へ働いていく時、限りのない生命力が全身にしみわたってくる。智慧もわく。元気もわく。慈愛もわく。
 たとえば、年をとって目が悪くなっても、手はまだ動く。手紙も書ける。口は動く。電話もできる。無理をするということではなく、胸中に「戦う心」が燃えていることが大事です。その「信心」があれば、六根精浄です。
 どんな悩みがあっても、全部、「価値」に変えていける。「功徳」に変えていける。その大生命力を「法師功徳」と言うのです。
 結論すれば、仏勅の創価学会とともに、広宣流布ひとすじに生きた人は必ず、「これ以上はない」という無上道の軌道に入っていくということです。
 前進しきった人が、必ず勝つ。
 題目を唱えきった人が、必ず最後は勝つのです。

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