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日蓮大聖人・池田大作

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法師功徳品(第十九章) 「法師=弘教の…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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14  遠藤 東京・台東区のある婦人部の方は、聖教新聞啓蒙の「達人」として有名です。一九九六年は一人で一〇五八ポイント、九七年は一六一二ポイントの啓蒙をされ、九八年も三年連続千ポイントの目標を掲げて、昨年以上の勢いで啓蒙を進めておられます。東京・秋葉原のお店に勤めている勤労婦人です。
 池田 こういう方々が学会を支えてくださっている。申し訳ないことだ。英雄です。女王です。心から賛嘆し、感謝していかなければならない。皆は偉そうなことを言っているけれども、足元にも及ばない。
 遠藤 彼女が勤めている八階建てのビルには四十ものお店や会社が入っています。そこでビルに出入りする人に誰にでも明るく挨拶し、話のできる関係になっているそうです。もちろん、そうなるまでには、ごみの片付けを手伝ってあげるなど、困っている人がいれば、すすんで手助けをし、信頼を築く努力を長年重ねてこられました。多くの人が「あなたが勧めてくれるなら」といって購読してくださるそうです。
 須田 これだけの戦いをされている背景には深い決意があったのでしょうね。
 遠藤 この方はご両親の顔も知らず、おじいさんに育てられたそうです。ご両親が亡くなっていることを聞いたのは四歳の時でした。そのおじいさんも、寺沢さんが小学四年生の時に亡くなり、近所の家に年季奉公に出されました。満足に学校にも行けず、本当に「おしん」(NHKの連続テレビドラマ)のような生活だったそうです。
 それからお手伝いさんや店員やウエートレスなどの仕事をしてこられました。そしてご主人と知り合い、十年前、五十三歳の時に結婚されました。同時にご主人の紹介で創価学会に入会されたのです。ご主人に巡り会い、また妙法に出合って彼女の人生が変わりました。それまで一人ぼっちで心細い思いで生きてきたのが、精神的にも生活のうえでも、何の心配もない人生になった。″考えられないような境涯にさせていただいた″という感謝の思いが原動力だそうです。″今、私にできることは聖教新聞を啓蒙し、学会理解の輪を広げることだ″と決意して立ち上がられたのです。
 斉藤 実際にどういう努力、工夫をされているのでしょうか。もちろん単なる「方法」でできることではありませんが──。
 遠藤 「決意してからは寝ても覚めても頭の中は聖教新聞のことばかり」と言われていました。真剣さに胸を打たれます。体験談や「名字の言」など、それぞれの人に合った記事の切り抜きをこまめに贈呈されています。″この人には、この体験がぴったりだな。読ませてあげたいな″という思いが自然にわいてくるそうです。「声」を聞けば、その人の生命状態がわかるともいいます。たとえば、元気そうに話をしていても、どことなくカラ元気みたいだな、と(笑い)。そして、その人の心に響く話が自在にできる。
 池田 まさに耳根清浄──「其の耳聡利なるが故に悉く能く分別して知らん」(法華経五三四ページ)の境地ですね。人間通であり、対話の名人です。
 また舌根清浄──「若し舌根を以って、大衆の中に於いて演説する所有らんに、深妙の声を出して、能く其の心に入れて、皆歓喜し快楽せしめん」(法華経五四三ページ)のお姿です。これまでのご苦労が全部、生きてきたのでしょう。
15  リ−ダーは太陽の如く!
 斉藤 経文では、次に「身の功徳」を説いています。「清浄の身、浄瑠璃の如くにして、衆生の見ると喜ぶを得ん」(法華経五四六ページ)。誰もが見たがるような、気品のある姿になると言うのです。
 須田 浄瑠璃というのは、磨き抜かれた透明な瑠璃のことです。瑠璃は七宝の一つで、べリル(緑柱石)のこととも、またガラスの類ともいいます。
 池田 明鏡のように、「生命が輝いている」ということでしょう。そういう人が一人いると、周囲まで明るくなるし、さわやかになっていく。「太陽」のような存在になれるということです。
 リーダーは、顔色もよく、太陽が昇るような生命力でなければいけない。
 斉藤 「身の功徳」のもう一つは、清浄な身であるゆえに、″浄らかな鏡に一切が映るように、十界のあらゆるものが、その身に映じる″という功徳です。
 池田 ばっと会っただけで、生命の傾向性がわかるということです。
 自分が妙法に生ききっていれば、相手の生命が、明鏡に映すようにわかってくる。それは慈悲があるからです。決して、威張って「自分は人を見抜く力がある」などと言っては絶対にならない。お互いに凡夫です。また御本仏の家族であり、創価家族です。
 悪人は見抜かなければいけないが、同志は、どこまでも励まし合い、守り合っていくのです。
16  「戦う心」がある限り!
 斉藤 最後に「意根清浄」です。経文の「一偈、一句」を聞いただけで、「無量無辺の義」をわかるようになるとあります。また、その一偈、一句の意義を一カ月でも、四カ月、一年でも、自在に説いていけるし、説くところの法は「皆実相と相違背せじ」(法華経五四九ページ)とあります。
 池田 話す内容が全部、宇宙の真理に、きちっとかなっている。
 斉藤 はい。「若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん」(法華経五四九ページ)とあります。世俗の思想や、政治・経済・産業・生活等のことについて語っても、すべて正法にかなっている──それが「意根清浄の功徳」です。
 須田 池田先生の広大な言論活動は、まさにこの通りだと思います。
 池田 「意根清浄」だから、頭だって、よくなっていく。生々世々、大学者、大智慧者にもなっていく。
 要するに、六根清浄とは「全身これ広宣流布の武器たれ」ということです。要領でなく、計算でなく、不惜身命で広布へ働いていく時、限りのない生命力が全身にしみわたってくる。智慧もわく。元気もわく。慈愛もわく。
 たとえば、年をとって目が悪くなっても、手はまだ動く。手紙も書ける。口は動く。電話もできる。無理をするということではなく、胸中に「戦う心」が燃えていることが大事です。その「信心」があれば、六根精浄です。
 どんな悩みがあっても、全部、「価値」に変えていける。「功徳」に変えていける。その大生命力を「法師功徳」と言うのです。
 結論すれば、仏勅の創価学会とともに、広宣流布ひとすじに生きた人は必ず、「これ以上はない」という無上道の軌道に入っていくということです。
 前進しきった人が、必ず勝つ。
 題目を唱えきった人が、必ず最後は勝つのです。

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