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日蓮大聖人・池田大作

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薬草喩品(第五章) 個性を伸ばす「智慧…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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11  学会は「法華経の人間主義」を実践
 遠藤 組織というと「型にはめる」というイメージがつきまといがちですが、今の時代に、そんなことで大勢の人がついてくるわけがありませんね。
 池田 その通りです。「人間主義」こそ民衆運動の根本原理です。
 須田 創価学会の発展の根底には、生き生きとした人間主義があります。子どものころから学会の庭で育ってきた私たちの偽らざる実感です。
 池田 自然にそうなったのではない。そうなるために、毎日、時々刻々、渾身の力で仏法の慈悲の精神を組織に脈動せているのです。この辛労、この責任感を、学会のリーダーは未来永劫にわたって失ってはなりません。
 須田 組織といっても、核となる「人間」を離れて実体はないということですね。
 大聖人の御書を拝しましても、弟子門下の個性、性格を、実に的確につかんだうえで、さまざまな御指南をされていることがうかがえます。四条金吾が短気な性格であったということを私たちが知っているのも、御書のおかげです(笑い)。
 池田 大聖人がどれほど弟子門下のことを思っておられたか──その証左です。
 四条金吾に対しては、″外では酒を控えるように″とか、″女性にどんな失敗があっても叱ってはいけない、まして争ってはいけない″などと、親が子どもを諭すように、こまやかな心配りをされています。
 その一方で、たとえば、池上兄弟の兄・宗仲が父親から二度目の勘当にあった時、大聖人は弟・宗長のことを心配されながらも、″今度は、殿は必ず退転してしまうだろうと思う。退転することを、とやかく言うつもりはまったくないが、ただ地獄に行って日蓮をうらんではならない″というように、一見、突き放した言い方をされている。
 こうした言い方は、相手のことによほど通じ、その心をつかんでいないと到底できるものではない。大聖人は、人生最大の岐路に立たされた宗長の心の葛藤を知り尽くされていただけではない。その性格までも手に取るように知悉されていたのでしょう。
 遠藤 とくに、遺族に対する励ましなどは、いくつか例がありますが、大聖人はお子さんがおられなかったのに、子どもに先立たれた親の心情というものを、余りにも深くつかんでおられるのに驚き、どうしようもなく感動したことがあります。
 池田 本当に偉大な仏様です。一人一人の「現実」をすべて受け止め、同苦してくださっているのです。決まりきった答えを押しつけるような観念的指導では絶対にない。
 ゆえに、ある場合は、他の人に対して言われたこととは正反対に見えることも、あえて言われている。
 病弱で苦しんでいたが医者にかかろうとしなかった富木常忍の夫人には「智者なれども夭死あれば生犬に劣る」と長寿の大切さを説かれ、治療を促された。
 しかし、鎌倉武士であり、「名は惜しむが命は惜しまない」気風の四条金吾に対しては、長寿よりも、仏法と社会の誉れが大切であると強調されています。
 須田 「百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ」と仰せです。
 池田 そう。どちらも弟子を慈しむお心から出た慈悲即智慧のご指導です。どちらも真実です。これが薬草喩品の心です。
 四条金吾に対しては、短気な性格を自覚して一日一日を賢明に振る舞いなさい、というお気持ちもあったでしょう。そうでなければ、金吾は命さえ危うい状況だったのです。
 御書を子細に拝すると、大聖人のお振る舞いにこそ法華経の人間主義が躍動していることに感動します。法華経と符合するのは、大難を忍ばれる法華経の行者としてのお振る舞いだけではないのです。
 大聖人は、民衆を苦しめる権力者たちや、権力と癒着する宗教者たちに対しては、烈火のごとく怒り、厳しく諌められた。従来、それをもって、大聖人の仏法は非寛容だとか、排他的であると言われてきたが、あまりにも偏った見方です。民衆に対する慈愛のご指導にも、権力者への厳しい諌言にも、生きた人間主義が貫かれているのです。
12  斉藤 この十年余の先生のスピーチで、多くの御書が拝されてきましたが、一貫して大聖人の人間主義に焦点が当てられています。
 池田 「一切衆生の異の苦を受くるはことごとく是れ日蓮一人の苦なるべし」と断言された大聖人の広大なるご境涯──その「最高の人間性」を、全世界に伝えたいとの思いで御書を拝し、語ってきました。
 薬草喩品の譬えでは、仏の慈悲の大雲は三千大千世界、つまり全宇宙を覆ったと説かれている。どうすれば全世界を御本仏の大慈大悲で潤すことができるか──私の一念は、いつも、そこにあります。この「如来行」こそ創価学会の使命だからです。その戦いは、これから本格化する。いよいよ本門に入るのです。
 行き詰まった現代世界を開き、蘇生させるために必要なのは「宇宙的視野」であると思う。大宇宙と一体のものとして人間を捉える見方です。大宇宙と一体であれば、自然、地球とも一体であることは言うまでもない。そういう人間観のもとに社会も国家も民族も捉え直していくのです。
 心の窓が閉ざされていては、大きな未来は見えない。窓を開け放つことです。そうすれば、行き詰まりはないのです。
 すべての人間は、全宇宙と一体です。全宇宙のあらゆる営みが、一人の人間の独自性を成り立たせている。言い換えれば、一人一人の人間は、「大宇宙」を独自の仕方で映し出す「小宇宙」です。「個人」は、本来、「全人」なのです。だから、″一人″がかけがえのない存在なのです。
 そういう生命の秘密を知る究極の智慧が、仏の一切種智であり、平等大慧です。どの人も、どの生命も、かけがえのない存在として平等と見るのです。この法華経の人間主義こそ、「次の千年」に必要な「宇宙的ヒューマニズム」であると私は確信します。
 タゴールは歌っています。
 「昼となく夜となくわたしの血管をながれる同じ生命の流れが、世界をつらぬいてながれ、律動的に鼓動をうちながら躍動している。
 その同じ生命が大地の塵のなかをかけめぐり、無数の草の葉のなかに歓びとなって萌え出で、木の葉や花々のざわめく波となってくだける。
 その同じ生命が生と死の海の揺藍(ゆりかご)のなかで、潮の満ち干につれてゆられている。
 この生命の世界に触れるとわたしの手足は輝きわたるかに思われる。そして、いまこの刹那にも、幾世代の生命の鼓動がわたしの血のなかに脈打っているという思いから、わたしの誇りは湧きおこる。」(「ギタンジャリ」森本達雄訳、『タゴール著作集第一巻詩集』1所収、第三文明社)
 我が命に宇宙の根源のリズムを鼓動させながら、にぎやかに、楽しく前進また前進していきたいものです。

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