Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第29巻 「源流」 源流

小説「新・人間革命」

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68  源流(68)
 インドを出発する十六日、山本伸一はカルカッタから日本へ電報を打った。離島の沖縄県・久米島や長崎県・五島列島、愛媛県・中島、広島県・厳島をはじめ、各地で苦闘し、広布の道を切り開いてきた同志に対してである。
 「アジアの広布の道は開かれた。島の皆さまによろしく。カルカッタ。山本伸一」
 広宣流布の舞台は、世界に広がった。しかし、それは、地球のどこかに、広布の理想郷を追い求めることではない。皆が、わが町、わが村、わが島、わが集落で、地道に仏法対話を重ね、信頼を広げ、広布を拡大していってこその世界広宣流布なのである。
 日々、人びとの幸せと地域の繁栄を願い、激励に、弘教に、黙々と奮闘している人こそが、世界広布の先駆者である。伸一は、そうした同志を心から励ましたかったのだ。
 この日午後四時、訪印団一行は帰国の途に就くため、ICCRの関係者らに見送られ、カルカッタの空港を発ち、香港へ向かった。
 飛び立った搭乗機から外を見ると、ガンジスの支流が悠揚と緑の大地を潤しながら、ベンガル湾に注いでいた。
 一滴一滴の水が集まり、源流となってほとばしり、それが悠久の大河を創る。
 伸一は、インドの同志が、新しい世界広宣流布の大源流となっていくことを祈り、懸命に心で題目を送り続けた。
 その後、インド創価学会(BSG)は、一九八六年(昭和六十一年)に法人登録された。八九年(平成元年)にはインド文化会館がオープン。九三年(同五年)には創価菩提樹園が開園し、仏法西還の深い意義をとどめた。
 伸一も、九二年(同四年)と九七年(同九年)にインドを訪問し、激励を重ねた。
 そのなかでメンバーは、一貫して、発展の盤石な礎を築くことに力を注いできた。一人ひとりが信心の勇者となり、社会の信頼の柱になるとともに、模範の人間共和の組織をつくりながら、二十一世紀をめざしていった。
 堅固な基盤の建設なくしては、永遠なる創価の大城を築くことはできないからだ。
69  源流(69)
 インド創価学会が念願のメンバー一万人に達し、盤石な広布の礎を築き上げたのは、二十一世紀の新しい行進を開始した二〇〇二年(平成十四年)八月のことであった。以来、破竹の勢いで広宣流布は進み始めた。十二年後の一四年(同二十六年)三月には、メンバーは七倍の七万人を突破したのである。
 広宣流布をわが使命とし、自ら弘教に取り組んできた同志の胸中には、汲めども尽きぬ喜びがあふれ、生命は躍動し、師子の闘魂が燃え盛っていた。全インドのどの地区にも、歓喜の大波がうねり、功徳の体験が万朶と咲き薫った。
 それは、さらに新たな広布への挑戦の始まりであった。メンバー十万人の達成を掲げ、怒濤の大前進を開始したのだ。弘教は弘教を広げ、歓喜は歓喜を呼び、翌一五年(同二十七年)の八月一日、見事に十万の地涌の菩薩が仏教発祥の国に誕生したのである。地涌の大行進はとどまるところを知らなかった。三カ月半後、創価学会創立八十五周年の記念日である十一月十八日には、十一万千百十一人という金字塔を打ち立てたのだ。
 そして、十万人達成から一年後の今年八月一日、なんと十五万人の陣列が整う。しかも、その約半数が、次代のリーダーたる青年部と未来部である。
 この八月、代表二百人が日本を訪れ、信濃町の広宣流布大誓堂に集った。世界広布を誓願する唱題の声が高らかに響いた。インドの地から、世界広布新時代の大源流が、凱歌を轟かせながら、ほとばしり流れたのだ。
 いや、アジアの各地で、アフリカで、北米、南米で、ヨーロッパで、オセアニアで、新しき源流が生まれ、躍動のしぶきをあげて谷を削り、一瀉千里に走り始めた。われら創価の同志は、日蓮大聖人が仰せの「地涌の義」を証明したのだ。
 流れの彼方、世界広布の大河は広がり、枯渇した人類の大地は幸の花薫る平和の沃野となり、民衆の歓喜の交響楽は天に舞い、友情のスクラムは揺れる。

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