Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第29巻 「源流」 源流

小説「新・人間革命」

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67  源流(67)
 十五日の午後三時半、訪印団一行は、カルカッタにあるインド博物館を訪問した。
 館内では、紀元前三世紀、マウリヤ朝のアショーカ王によって建立された石柱頭である四頭獅子像が目を引いた。
 獅子像の台座の部分には、車輪のかたちをした模様が描かれている。これは「法輪」といい、釈尊の説いた教え、すなわち教法が、悪を砕き、人から人へと次々に伝わることを意味している。それを、自ら前進して外敵を破り四方を制するという転輪聖王の輪宝に譬え、図案化したものである。仏教の真理と正義に基づいて世を治めるアショーカを象徴しており、後に「法輪」はインドの国旗に用いられることになる。
 展示は、先史文明から始まり、インドの豊かな諸文明を、壮大な規模で紹介していた。
 見学のあと一行は、同博物館の事務所へ案内された。一般には非公開の紀元前四世紀ごろの仏舎利の壺を、特別に見せてもらった。仏舎利が入っていることを表す古代インドの文字が刻まれた唯一の壺であるという。
 博物館の展示品を鑑賞した山本伸一は、仏教盛衰の歴史を思った。
 “釈尊の説いた永遠なる生命の法は、アショーカ王の治世に安らかな月光を投げかけ、慈悲を根底とした社会の園を開いた。しかし、時は過ぎ、末法濁世の暗雲に月は没した。
 その時、日本に日蓮仏法の太陽出でて、末法の闇を払う黎明の光を放った。そして今、創価の同志の奮闘によって、「七つの鐘」は高らかに鳴り渡り、東天に日輪は赫々と躍り出たのだ。世界広宣流布の新生の朝だ! 立正安国を世界に実現し、人類のあらゆる危機を乗り越え、恒久の平和と繁栄の道を築く仏法新時代が到来したのだ!”
 伸一は、その出発のために、さらに世界各地に新しき広布の源流を開かねばならぬと決意していた。今回の訪問では、仏教発祥の地であるインドに一筋の流れをつくることができた。その宝の一滴一滴を大切にし、全力で守り抜こうと、彼は深く心に誓っていた。
68  源流(68)
 インドを出発する十六日、山本伸一はカルカッタから日本へ電報を打った。離島の沖縄県・久米島や長崎県・五島列島、愛媛県・中島、広島県・厳島をはじめ、各地で苦闘し、広布の道を切り開いてきた同志に対してである。
 「アジアの広布の道は開かれた。島の皆さまによろしく。カルカッタ。山本伸一」
 広宣流布の舞台は、世界に広がった。しかし、それは、地球のどこかに、広布の理想郷を追い求めることではない。皆が、わが町、わが村、わが島、わが集落で、地道に仏法対話を重ね、信頼を広げ、広布を拡大していってこその世界広宣流布なのである。
 日々、人びとの幸せと地域の繁栄を願い、激励に、弘教に、黙々と奮闘している人こそが、世界広布の先駆者である。伸一は、そうした同志を心から励ましたかったのだ。
 この日午後四時、訪印団一行は帰国の途に就くため、ICCRの関係者らに見送られ、カルカッタの空港を発ち、香港へ向かった。
 飛び立った搭乗機から外を見ると、ガンジスの支流が悠揚と緑の大地を潤しながら、ベンガル湾に注いでいた。
 一滴一滴の水が集まり、源流となってほとばしり、それが悠久の大河を創る。
 伸一は、インドの同志が、新しい世界広宣流布の大源流となっていくことを祈り、懸命に心で題目を送り続けた。
 その後、インド創価学会(BSG)は、一九八六年(昭和六十一年)に法人登録された。八九年(平成元年)にはインド文化会館がオープン。九三年(同五年)には創価菩提樹園が開園し、仏法西還の深い意義をとどめた。
 伸一も、九二年(同四年)と九七年(同九年)にインドを訪問し、激励を重ねた。
 そのなかでメンバーは、一貫して、発展の盤石な礎を築くことに力を注いできた。一人ひとりが信心の勇者となり、社会の信頼の柱になるとともに、模範の人間共和の組織をつくりながら、二十一世紀をめざしていった。
 堅固な基盤の建設なくしては、永遠なる創価の大城を築くことはできないからだ。
69  源流(69)
 インド創価学会が念願のメンバー一万人に達し、盤石な広布の礎を築き上げたのは、二十一世紀の新しい行進を開始した二〇〇二年(平成十四年)八月のことであった。以来、破竹の勢いで広宣流布は進み始めた。十二年後の一四年(同二十六年)三月には、メンバーは七倍の七万人を突破したのである。
 広宣流布をわが使命とし、自ら弘教に取り組んできた同志の胸中には、汲めども尽きぬ喜びがあふれ、生命は躍動し、師子の闘魂が燃え盛っていた。全インドのどの地区にも、歓喜の大波がうねり、功徳の体験が万朶と咲き薫った。
 それは、さらに新たな広布への挑戦の始まりであった。メンバー十万人の達成を掲げ、怒濤の大前進を開始したのだ。弘教は弘教を広げ、歓喜は歓喜を呼び、翌一五年(同二十七年)の八月一日、見事に十万の地涌の菩薩が仏教発祥の国に誕生したのである。地涌の大行進はとどまるところを知らなかった。三カ月半後、創価学会創立八十五周年の記念日である十一月十八日には、十一万千百十一人という金字塔を打ち立てたのだ。
 そして、十万人達成から一年後の今年八月一日、なんと十五万人の陣列が整う。しかも、その約半数が、次代のリーダーたる青年部と未来部である。
 この八月、代表二百人が日本を訪れ、信濃町の広宣流布大誓堂に集った。世界広布を誓願する唱題の声が高らかに響いた。インドの地から、世界広布新時代の大源流が、凱歌を轟かせながら、ほとばしり流れたのだ。
 いや、アジアの各地で、アフリカで、北米、南米で、ヨーロッパで、オセアニアで、新しき源流が生まれ、躍動のしぶきをあげて谷を削り、一瀉千里に走り始めた。われら創価の同志は、日蓮大聖人が仰せの「地涌の義」を証明したのだ。
 流れの彼方、世界広布の大河は広がり、枯渇した人類の大地は幸の花薫る平和の沃野となり、民衆の歓喜の交響楽は天に舞い、友情のスクラムは揺れる。

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