Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第29巻 「清新」 清新

小説「新・人間革命」

前後
65  清新(65)
 「東洋広布の歌」に続いて、インド訪問団の壮途を祝して、インド国歌「ジャナ・ガナ・マナ」(インドの朝)が合唱団によって披露された。
 この歌は、詩聖タゴールが作詞・作曲し、イギリスによる植民地支配の闇を破り、独立の新しい朝を迎えた、インドの不屈なる魂の勝利を歌ったものだ。独立後の一九五〇年(昭和二十五年)に、インド共和国の国歌として採用されている。
 合唱が始まった。荘重な歌であった。
 きみこそ インドの運命担う 心の支配者。
 きみの名は 眠れる国の 心をめざます。
 ヒマラヤの 山にこだまし ガンジス川は歌う。
 きみのさち祝い きみをたたえて歌う 救えよ わが国。(中略)
 きみに 勝利、勝利、勝利、勝利、勝利、きみに。(高田三九三訳詞)
 山本伸一は言った。
 「いい歌だね。私たちも、この心意気でいこうよ! 『きみこそ 学会の運命担う 心の支配者』だよ。私たちは人類の柱であり、眼目であり、大船じゃないか。まさに、『眠れる世界の心をめざます』使命がある。
 『きみに 勝利、勝利、勝利……』だ!
 何があろうが、勇敢に、堂々と、わが正義の道を、わが信念の道を、魂の自由の道を、人類平和の道を進もうじゃないか!」
66  清新(66)
 「インド独立の父」「マハトマ」(偉大な魂)と仰がれ、慕われたガンジーは、インド国歌が制定される二年前の一九四八年(昭和二十三年)一月三十日に暗殺され、世を去っている。しかし、大国の横暴と圧政に抗して、非暴力、不服従を貫き、独立を勝ち取った魂は、国歌とともに、インドの人びとの心に脈打ち続けるにちがいない。
 インド初代首相のネルーは、ガンジーの希望は「あらゆる人の目からいっさいの涙をぬぐい去ることであった」(坂本徳松著『ガンジー』旺文社)と語っている。
 それは、この世から悲惨の二字をなくすと宣言した、恩師・戸田城聖の心でもあり、また、山本伸一の決意でもあった。
 伸一は、戸田が逝去直前、病床にあって語った言葉が忘れられなかった。
 「伸一、世界が相手だ。君の本当の舞台は世界だよ」「生きろ。うんと生きるんだぞ。そして、世界に征くんだ」
 この遺言を心に刻み、彼は第三代会長として立った。会長就任式が行われた六〇年(同三十五年)五月三日、会場となった日大講堂には戸田の遺影が掲げられ、向かって右側には、戸田の和歌が墨痕鮮やかに大書されていた。
 「いざ往かん 月氏の果まで 妙法を
    拡むる旅に 心勇みて」
 会員七十五万世帯の達成へ本格的な弘教の火ぶたを切った五二年(同二十七年)正月の歌である。伸一は、広宣流布への師の一念を生命に刻印する思いで遺影に誓った。
 “生死を超えて、月氏の果てまで、世界広布の旅路を征きます”
 今、その会長就任から二十年目となる五月三日が近づきつつあった。恩師が詠んだ、あの月氏の大地にも、多くの若き地涌の菩薩が誕生している。
 伸一は、インドに思いを馳せた。
 ──悠久なるガンジスの川面に、「七つの鐘」が鳴り響き、新しき時の到来を告げる清新の風が吹き渡ってゆく。そして、燦然と燃え輝く仏法西還の勝利の太陽が、彼の瞼いっぱいに広がった。

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