Nichiren・Ikeda
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66 革心(67)
答礼宴の最後に、訪中団が、心からの感謝の気持ちを込めて、日本語で「愛する中国の歌」と、中国語で「春が来た」を合唱した。
歌のあとで山本伸一は、鄧穎超に言った。
「明春、桜の満開のころ、鄧穎超先生が日本に来られることをお待ちしています」
大きな拍手が起こった。
続いて、伸一は、周志英を促した。
「あの歌を歌おうよ!」
「あの歌」とは、「敬愛する周総理」という、北京大学での交歓の折に、周志英が披露した中国の歌であった。
伸一は、鄧穎超への御礼として、ぜひ、聴いてほしかったのである。
よく通る中国語の歌声が響いた。
♪敬愛する周総理
私たちはあなたを偲びます
数十の春秋の風と雨を
あなたは人民とともに
真心は紅旗に映じ
輝きは大地を照らす
あなたは大河とともに永久にあり
あなたは泰山のようにそびえ立つ
鄧穎超は、テーブルの上の一点を、じっと見つめるようにして聴き入っていた。
視線を上方に向けている廖承志の目には、うっすらと光るものがあった。
夫人の経普椿も、あふれる涙をナプキンで拭った。
料理を運んでいた人たちも、立ち止まって耳を傾けていた。
偉大な指導者への敬慕の念
が、皆、自然にあふれ出てくるのであろう。
伸一が今回の旅で、ただ一つ残念で寂しかったことは、既に周総理がいないことであった。
彼は、日中友好の永遠なる金の橋を築き、総理との信義に生き抜こうと、強く心に誓いながら、目を閉じて静かに聴き入っていた。
歌が終わった。万雷の拍手が起こった。
席に戻ってきた周志英に、鄧穎超は、「ありがとう!」と言って、ことのほか嬉しそうに手を差し伸べるのであった。
歌は魂の発露であり、心をつなぐ懸け橋となる。
67 革心(68)
答礼宴は、感動のなかに幕を閉じた。
山本伸一は、帰途に就く一人ひとりと握手し、再会を約した。峯子も隣で、満面の笑みで御礼の言葉を述べ、見送っていた。
鄧穎超は、その峯子の手を、何度も強く握り、じっと目を見つめながら語った。
「今日は本当にありがとうございました。心に残る一夜でした。山本先生のご健康と、お仕事の成就を祈ります」
「こちらこそ、わざわざお出でいただき、本当にありがとうございました」
――続けて峯子は、「どうか、ご無理をなさらず、ご静養なさってください」と言おうとして言葉をのんだ。鄧穎超の小さな体から、″私は安穏など欲しない。命ある限り、人民のために働く!″という、無言の気迫が感じられたからだ。
峯子が、「四月のご来日をお待ちしております」と言うと、柔和な笑みと、「私も楽しみにしていますよ」との言葉が返ってきた。
翌二十日は帰国の日である。伸一たちは午後一時過ぎ、北京の空港に到着した。見送りに来てくれた人たちと対話が弾んだ。
廖会長夫人の経普椿との語らいにも花が咲いた。鄧穎超のことに話が及ぶと、彼女は言った。
「周総理が亡くなられて、どれほど寂しかったことかと思います。しかし、亡くなられた時も、涙はこぼされませんでした。
夫人の泣いたのを見たことがありません。″自分が泣いたら、皆を、さらに悲しませてしまう″と、ご自身と闘い、感情を押し殺していたんです。強い人です。人民の母です。
最愛の人を失った悲しみさえも、中国建設の力にされているように思います」
鄧穎超は、まさに″革心の人″であった。
常に自らの心と闘い、信念を貫き通してこそ、人間も、人生も、不滅の輝きを放つ。
彼女は、「恩来戦友」と書いて、夫の周恩来を追悼した。
そこには、生涯、革命精神を貫くとの万感の決意が込められていた。
眩い陽光のなか、友誼の握手を交わし、一行は機上の人となった。
新しい日中友好の希望の大空へ、機は飛び立った。 (この章終わり)