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日蓮大聖人・池田大作

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第24巻 「灯台」 灯台

小説「新・人間革命」

前後
56  灯台(56)
 東北の詩人・宮澤賢治は友に書き送った。
 「もしあなたがほんたうに成功ができるなら、それはあなたの誠意と人を信ずる正しい性質、あなたの巨きな努力によるのです」
 第一回「農村・団地部勤行集会」を契機に、農業復興の決意を新たにした農村部員の活躍は目覚ましかった。
 羊蹄山の麓の北海道・真狩村から参加した本岡明雄は、ユリ根の有機農法栽培に着手した。消費者の安全を第一に考えた農業に取り組もうと思ったのである。
 ユリ根は、小指の先ほどの種球根から食卓に上るまで、六年を要する。彼は、忍耐強く、創意工夫を重ねて栽培に成功。ユリ根の生産量日本一の真狩村から、品質第一位の表彰を何度となく受けることになる。また、北海道社会貢献賞も受賞する。
 兵庫県・但東町(当時)で畜産業を営む森江正義は、以前は、大阪の自動車整備工場で働いていたUターン青年であった。家業の農業を継いだものの、当初、周囲の目は冷たく、″都会の敗残兵″と言われもした。
 但東町は、優れた品質の和牛として有名な但馬牛で知られる。森江は、一念発起し、但馬牛の飼育に取り組んだ。
 積極的に講習会に参加し、勉強を重ねた。さらに、若手の後継者たちに呼びかけ、「自営者学校」を立ち上げ、畜産の基礎から、血統や肉質の見分け方なども学び合った。但馬牛の伝統を守りつつ、新しい道を開きたいと考えたからだ。また、家畜人工授精師の免許の取得などにも挑んだ。″牛より先に食事はしない″と心に決めて、仕事に励んだ。
 勉強、勉強、また勉強の日々だった。
 畜産を始めて三年、育てた子牛が町の品評会で、最優秀の一等賞一席になった。その喜びのなか、勤行集会に参加したのである。
 彼の牛は、品評会で五年連続して、一等賞一席を獲得するのである。後年、森江の飼育した牛は、県指定の種牛として登録されるなど、彼は、但馬牛の第一人者として、地域に実証を示していくことになる。
57  灯台(57)
 山梨県・勝沼町から勤行集会に参加した果樹農家の坂守太郎は、ブドウ畑の一部を整備し、観光ブドウ狩り園を営んでいた。
 観光客が足を運び、ブドウ狩りを体験してもらうことで、生産者と消費者の交流も生まれ、それがブドウの販売促進にもつながると考えたのである。
 勤行集会で″地域の灯台″になろうと決意した坂守は、地域活性化の方法を、真剣に模索し始めた。そして、果実の栽培と観光が一体化するなかで、勝沼の新たな道が開かれるとの確信を強くしたのである。
 そのために、自分のブドウ狩り園を成功させ、モデルケースにしようと誓った。休憩所や売店、大駐車場もつくって、施設を充実させた。また、人びとのブドウの好みも多様化していることを知ると、巨峰をはじめ、三十余種を収穫できるようにした。
 さらに、お年寄りや障がいのある人も楽しめるように、車イスに座って手が届く高さのブドウ棚を用意した。一方、高いところの好きな子どものために、ハシゴを使って収穫するブドウ棚も作った。インターネットのホームページも立ち上げ、ブドウの生育状況の情報発信や販売にも取り組んだ。
 日々工夫であった。日々挑戦であった。
 坂守のブドウ狩り園は好評を博し、地域発展の牽引力になっていったのである。
 彼は、勝沼町観光協会の副会長や、地域の果実出荷組合の組合長なども歴任し、まさに″地域の灯台″となったのだ。
 あきらめと無気力の闇に包まれた時代の閉塞を破るのは、人間の叡智と信念の光彩だ。一人ひとりが、あの地、この地で、蘇生の光を送る灯台となって、社会の航路を照らし出すのだ。そこに、創価学会の使命がある。
 「日常生活のなかでの信仰実践と、よりよい人間社会を建設していく努力を続けていくことこそ、本来の宗教の使命である」とは、英国の宗教社会学者ブライアン・ウィルソン博士の、宗教者への期待である。

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