Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第24巻 「灯台」 灯台

小説「新・人間革命」

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55  灯台(55)
 ″異なった生活を営む多様な人びとが、一つの団地という世界で、共に生きる。まさに団地は、「小さな合衆国」といえる。その団地の人びとを、友情と信頼の固い絆で結び、人間共和の礎をつくらねばならない″――それが、山本伸一の団地部への期待であった。
 彼は、一九九五年(平成七年)十一月、団地を、心と心が通い合う、理想の人間共同体とするための具体的な実践を、十項目の指針にまとめ、団地部のメンバーに贈った。
 一、「小さな合衆国(団地)」の無事・安穏を日々ご祈念。
 二、笑顔のあいさつで明るい団地。
 三、良き住民として、常識豊かに模範の生活。
 四、近隣を大切に、広く、大きな心で、皆と仲良く。
 五、友情の花を咲かせて、心豊かな人生。
 六、地域貢献活動には、率先垂範で積極的に取り組む。
 七、自然保護で緑あふれる希望の団地。
 八、お年寄りを大切に、励ましの一声かけて今日も安心。
 九、青少年の健全な育成に協力。
 十、冠婚葬祭は、思想・信条を超えて相互扶助。
 この指針は、地域の繁栄と幸福をめざす団地部の友の、大切な規範となっていった。
 今や人間関係の断絶は、団地に限らず、社会全体に蔓延し、「無縁社会」などと評される事態に至っている。そのなかにあって、団地部の友をはじめ、わが同志は、それぞれの地域で、友情の連帯を築こうと、対話の花園を広げている。この善のスクラムは、希望を育む精神のセーフティーネット(安全網)となって輝きを放っている。
 日蓮大聖人は「一切衆生の異の苦を受くるはことごとく是れ日蓮一人の苦なるべし」と言われ、あらゆる人びとのすべての苦しみを、わが苦とされた。われらは、この大慈大悲の御精神を受け継ぎ、わが地域に、人間讃歌の時代を創造するのだ。
56  灯台(56)
 東北の詩人・宮澤賢治は友に書き送った。
 「もしあなたがほんたうに成功ができるなら、それはあなたの誠意と人を信ずる正しい性質、あなたの巨きな努力によるのです」
 第一回「農村・団地部勤行集会」を契機に、農業復興の決意を新たにした農村部員の活躍は目覚ましかった。
 羊蹄山の麓の北海道・真狩村から参加した本岡明雄は、ユリ根の有機農法栽培に着手した。消費者の安全を第一に考えた農業に取り組もうと思ったのである。
 ユリ根は、小指の先ほどの種球根から食卓に上るまで、六年を要する。彼は、忍耐強く、創意工夫を重ねて栽培に成功。ユリ根の生産量日本一の真狩村から、品質第一位の表彰を何度となく受けることになる。また、北海道社会貢献賞も受賞する。
 兵庫県・但東町(当時)で畜産業を営む森江正義は、以前は、大阪の自動車整備工場で働いていたUターン青年であった。家業の農業を継いだものの、当初、周囲の目は冷たく、″都会の敗残兵″と言われもした。
 但東町は、優れた品質の和牛として有名な但馬牛で知られる。森江は、一念発起し、但馬牛の飼育に取り組んだ。
 積極的に講習会に参加し、勉強を重ねた。さらに、若手の後継者たちに呼びかけ、「自営者学校」を立ち上げ、畜産の基礎から、血統や肉質の見分け方なども学び合った。但馬牛の伝統を守りつつ、新しい道を開きたいと考えたからだ。また、家畜人工授精師の免許の取得などにも挑んだ。″牛より先に食事はしない″と心に決めて、仕事に励んだ。
 勉強、勉強、また勉強の日々だった。
 畜産を始めて三年、育てた子牛が町の品評会で、最優秀の一等賞一席になった。その喜びのなか、勤行集会に参加したのである。
 彼の牛は、品評会で五年連続して、一等賞一席を獲得するのである。後年、森江の飼育した牛は、県指定の種牛として登録されるなど、彼は、但馬牛の第一人者として、地域に実証を示していくことになる。
57  灯台(57)
 山梨県・勝沼町から勤行集会に参加した果樹農家の坂守太郎は、ブドウ畑の一部を整備し、観光ブドウ狩り園を営んでいた。
 観光客が足を運び、ブドウ狩りを体験してもらうことで、生産者と消費者の交流も生まれ、それがブドウの販売促進にもつながると考えたのである。
 勤行集会で″地域の灯台″になろうと決意した坂守は、地域活性化の方法を、真剣に模索し始めた。そして、果実の栽培と観光が一体化するなかで、勝沼の新たな道が開かれるとの確信を強くしたのである。
 そのために、自分のブドウ狩り園を成功させ、モデルケースにしようと誓った。休憩所や売店、大駐車場もつくって、施設を充実させた。また、人びとのブドウの好みも多様化していることを知ると、巨峰をはじめ、三十余種を収穫できるようにした。
 さらに、お年寄りや障がいのある人も楽しめるように、車イスに座って手が届く高さのブドウ棚を用意した。一方、高いところの好きな子どものために、ハシゴを使って収穫するブドウ棚も作った。インターネットのホームページも立ち上げ、ブドウの生育状況の情報発信や販売にも取り組んだ。
 日々工夫であった。日々挑戦であった。
 坂守のブドウ狩り園は好評を博し、地域発展の牽引力になっていったのである。
 彼は、勝沼町観光協会の副会長や、地域の果実出荷組合の組合長なども歴任し、まさに″地域の灯台″となったのだ。
 あきらめと無気力の闇に包まれた時代の閉塞を破るのは、人間の叡智と信念の光彩だ。一人ひとりが、あの地、この地で、蘇生の光を送る灯台となって、社会の航路を照らし出すのだ。そこに、創価学会の使命がある。
 「日常生活のなかでの信仰実践と、よりよい人間社会を建設していく努力を続けていくことこそ、本来の宗教の使命である」とは、英国の宗教社会学者ブライアン・ウィルソン博士の、宗教者への期待である。

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