Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第24巻 「人間教育」 人間教育

小説「新・人間革命」

前後
52  人間教育(52)
 山本伸一は、キリスト教は苦悩する民衆のなかに入って、戦いを開始していったがゆえに、権力からの迫害を宿命的に背負っていったことを述べた。
 「だが、注目すべきは、キリスト教は迫害を受けるたびに、大きく民衆のなかに広がっていったという歴史的事実であります。
 翻って、創価学会の広宣流布の伸展も、迫害と殉教の崇高な歴史とともにありました。初代会長の牧口先生は獄死され、第二代会長の戸田先生も、二年間の獄中生活を送り、学会は壊滅状態になった。しかし、戸田先生のもとに、本当の弟子が集い、学会は大発展しました。そこに、″宗教の信念″ともいうべき不屈の栄光の精神があります。
 苦難の烈風に向かい、決してたじろぐことなく、高らかに飛翔を遂げていく――これこそが、学会精神です。その心意気を忘れぬところに、発展と勝利がある。
 また、裏返せば、障害があるからこそ、本当の力を出すことができるし、勝利への大飛躍ができるんです」
 さらに、伸一は、キリスト教は世界宗教へと発展したが、中世になると、教会の勢力が増大し、結果的に教会主義に陥り、民衆を権力に隷属させてしまった側面があることに言及していった。
 「教会は常に民衆の側に立つべきであり、神と人間の間に立ちふさがる障壁であってはならない。マルチン・ルターの宗教改革の原点も、まさに、そこにあったといえます。
 また、真実の教会と人間の在り方というものは、集まっては、また、民衆のなかへ飛び込み、あくまでも民衆のため、社会のために貢献しゆく、動的な関係に貫かれていなければならない。この″集合離散″ともいうべき方程式こそが、信仰を触発し、精神を高まらしめ、宗教を発展させゆく根本の原理であることを、銘記してほしいのであります」
 民衆のなかへ、ひたすら民衆のなかへ、そして、その生命のなかへ――この粘り強い戦いがあってこそ、勝利があるのだ。
53  人間教育(53)
 山本伸一は、創価学会が永遠に発展し続けていくためには、″仏法の根本は何か″を見失うことなく、大聖人の御精神という原点に回帰し、″人類のために″″民衆のなかへ″と、弛まざる流れを開いていくことが、必要不可欠であると訴えた。
 そして、創価学会は、本源からの宗教改革、人間革命の運動を展開しており、一人ひとりが、その運動の主役として、社会に大きく貢献していってほしいと呼びかけた。
 最後に彼は、こう語って話を結んだ。
 「先師・牧口初代会長、恩師・戸田前会長をはじめ、学会の草創期を築き上げた先輩の多くは、教育者でありました。
 したがって、第二章の広宣流布、すなわち、世界の平和と文化の本格的な興隆の時代にあっても、教育部は、その先駆者であっていただきたい。その誇りを胸に、一騎当千の光り輝く主柱へと成長しゆくことを、心から祈っております」
 賛同と決意の大拍手が轟いた。
 文豪トルストイは、「宗教は教育の基礎である」と記している。それは、教育の場に宗教を持ち込むことではない。
 教育には、確たる人間観と幸福確立のための哲学が必要である。それを説いているのが仏法である。また、子どもの可能性を信じ、その幸せのために、どこまでも献身し、奉仕しゆく強靱な意志と情熱が必要である。この強き一念の源泉は、断じて子どもたちの幸せを築こうとする宗教的使命感である。
 ゆえに、伸一は、教育部員が強盛なる信仰の人となるよう、自身の生命を削る思いで、激励したのである。
 山本伸一は、三月三十日、静岡県の牧口園で行われた、第三東京本部(大田・品川区)婦人・女子部の、教育部研修会に出席した。
 ″未来のために、今、なすべきことは、すべてなすのだ。時は待ってはくれない。全力を振り絞らずしては、終生、禍根を残す!″ 伸一は、必死で戦い抜いていたのだ。
54  人間教育(54)
 第三東京本部の婦人・女子部の代表が集った教育部研修会で、山本伸一は、人間教育実践の場について語った。
 「御書には、『法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し』とあります。持つ法が最高に優れていれば、それを持つ人も貴い。持つ人が貴ければ、その人のいる場所も尊いとの意味です。
 大聖人の仏法は、生命尊厳の法理であり、最高の人間革命の教え、すなわち、人間教育の大法であります。その法を実践する皆さんは、最高の人間教育の教師であります。そして、皆さんのいるその場所は、学校であれ、家庭であれ、地域であれ、すべて最高の人間教育の現場となるのであります」
 教育部員に限らず、自分に連なる一切の人に、生命の触発を、希望を、勇気を与え、一人ひとりの秘めたる力を引き出し、幸福の道へと共に歩むことが、学会員の尊き使命であると、伸一は考えていた。
 つまり、わが同志のいるところは、ことごとく人間教育の教室とならねばならない。そして、その先駆者こそが、教育部員であることを、伸一は訴えたかったのである。
 研修会の最後に、彼は呼びかけた。
 「皆さんが出した本のタイトル『体あたり先生奮戦記』のように、何事も″体当たり″で進まなければ、事態は開けません。″体当たり″とは勇気の行動です。必死であり、真剣勝負ということです。その時に、自分の殻を打ち破り、人生のドラマが生まれる。やりましょう! 人間革命の大ドラマを、共々につくろうではありませんか!」
 伸一の励ましによって、教育部は、新時代の大空に、雄々しく飛翔していった。全国津々浦々に、「平和の世紀」「生命の世紀」を開く人間教育の潮流が広がっていったのだ。
 自らが教職を終えたあとも、地域の信頼の柱となって貢献する教育部の友も多い。
 人類の闇を破り、未来を照らし出すことができる光は、「教育」という太陽である。

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