Nichiren・Ikeda
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50 本陣(50)
″青年さえ育てば、未来は開かれる。青年のために、命もかけよう。すべてをなげうとう″
それが山本伸一の誓いであり、決断であった。
彼は、寸暇を惜しんで青年と会い、会合に出席しては、遺言の思いで、「広布第二章」の新たな指針を示していった。
三月十一日、日大講堂で行われた女子部総会では、成長の糧として「発心」「進歩」「連帯」「善美」「展望」の五項目の指針を贈った。
このうち、「善美」とは、人びとに希望と勇気と喜びをもたらす、崇高な生き方である。
さらに、引き続いて、同じ会場で行われた学生部総会では、「人間学の権威者に」「教学を根本に幅広く学問に挑戦を」「向上は青年の異名である」と指導している。
そして、十日後の二十一日には、初の九州青年部総会に臨み、「正信」「研鑽」「誠実」「品格」「連持」を行動の規範として提案した。五番目の「連持」は、持続といってもよい。
確かなる指針は、未来をめざす青年の、希望の灯台となる。
それらを胸に、新しき世紀の大海原へ、青年たちは勇躍、旅立っていったのである。
この一九七三年(昭和四十八年)は、言論の本陣・聖教新聞社にとっても新たな船出となった。
二月末から四月初旬にかけ、海外常駐特派員の第一陣として、香港、アメリカのシカゴとロサンゼルス、フランスのパリに、記者が派遣されていったのである。皆、青年であった。
世界広布第二章の開幕を迎え、「世界の聖教」へと飛躍するための新たなる布石であった。
伸一は、その一人ひとりに全精魂を注ぎ、厳しくも温かい励ましを重ねて送り出した。
「ひとたび行くからには、その国の土となる覚悟をもて! その国の人びとに尽くし抜け!」
海外生活は決して容易ではない。遊び半分では自身も行き詰まり、周囲も迷惑する。特派員は、皆、珠玉の人材である。ゆえに伸一は、全員を大成させたかったのだ。
彼の植えた励ましの種子は、やがて見事に花開いていく。このなかから各国の理事長などとして活躍するメンバーが誕生するのである。