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日蓮大聖人・池田大作

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第15巻 「蘇生」 蘇生

小説「新・人間革命」

前後
51  蘇生(51)
 翌二十六日、山本伸一は、第一会場のテイネオリンピアで、マスゲームなどの演技を観賞した。
 実は、この日、彼は発熱していたのである。
 昨年来、体調の本格的な回復をみないまま年を越したうえに、北海道の寒さが、いたく体にこたえたのだ。朝、熱を測ると、三九度近かった。
 しかし、皆が待っていると思うと、行かぬわけにはいかなかった。
 ゲレンデには、「'71北海道 雪の文化祭」「若人の広場」の文字が浮かび上がっていた。午後一時半、ファンファーレが高らかに鳴り響いた。
 ゲレンデの下から頂上へ、リレーで運ばれた火が聖火台にともされた。そして、花火が打ち上げられ、色とりどりの風船が空に舞い上がった。
 文化祭の開幕である。
 ゲレンデ頂上から、黄色のスキーウエアの一群が、鮮やかなシュプールを描いた。威勢のいいエンジン音を響かせて、麓からスノーモービルの一隊が頂上へ一気にかけ上がった。
 女子部百七十五人のマスゲーム。ジャンプ台を使った″飛翔″の演技。フィギュアスキー。徒手体操……。趣向を凝らした演技の数々に、終始、どよめきが起こっていた。技術指導に当たった一人の青年は、役員席で、興奮を抑えることができなかった。出演者のなかには、最初はスキー靴の履き方さえ知らない人もいた。それが短期間の練習で技術を修得し、見違えるように、堂々とマスゲームを演じているのである。彼は、一つ一つ演技が決まるたびに、自然に「ヨシッ!」と叫び、拳を握り締めていた。
 たとえ、自分は檜舞台に立つことはなくとも、苦労し、力を尽くした分だけ、感動があり、充実があり、歓喜がある。それが、生命の因果の法則といってよい。
 圧巻は、三十人のメンバーによる″組み体操″であった。
 四人のスキーヤーが、肩の上に、スキーを履いた人を乗せ、まるで騎馬を組むようにして滑降してきた。途中で、上の一人も、パッと着地し、一緒に滑り出す。
 大歓声があがり、拍手がこだました。
52  蘇生(52)
 青年たちの演技は、来賓が、プロスキーヤーによるものと勘違いするほど見事なものであった。
 次いで、白銀のゲレンデに、スキーヤーによって、絵が描かれ始めた。
 斜面いっぱいに、青い服のメンバーが富士の輪郭を、黄色い服のメンバーが山頂部分を描き、そして、オレンジと緑の旗をもった女子部が裾野をかたどった。やがて、全出演者から「北海健児の歌」がわき起こり、フィナーレを迎えた。
 山本伸一も歌った。熱のために悪寒が彼を苛み続けたが、北海道の友への賞讃と共戦の思いを込めて熱唱した。
 「見事な″雪の文化祭″だった。みんな、勝ったね。歴史を開いたね」
 彼は、側にいた幹部に語ると、両手を高く掲げて成功を祝福した。
 文化祭の終了後、地元幹部が言った。
 「スノーモービルを用意してありますので、ぜひ、お乗りください」
 伸一は、皆の気持ちを大切にしたかった。
 彼は、スノーモービルに乗せてもらい、スキー場の上に向かった。
 バリバリバリバリッ!
 猛烈なエンジン音であった。車体は起伏を越えるたびに激しく弾んだ。
 スノーモービルを降りると、そこには、雄大な眺望が広がっていた。
 白銀の稜線の間に、街並みが見え、その先には海が光っていた。石狩湾である。
 「先生。厚田村は、こちらの方向です」青年が、石狩湾の右手の方角を示した。
 このテイネオリンピアのある手稲山は、北海道師範学校の教諭だった初代会長の牧口常三郎も、生徒を引率して登った山である。
 そして、伸一の恩師である戸田城聖は、石狩湾に臨む厚田村から雄飛していった。
 伸一は、海を見ながら心で語りかけた。
 ″牧口先生! 戸田先生! 両先生の故郷に、今、人間文化の旗は、堂々と翻りました″
 頭上を仰ぐと、やや西に傾いた太陽を囲むように、七彩の虹の環が美しく輝いていた。
 伸一は、初代、二代の会長が、この″雪の文化祭″を見守り、新しき民衆文化の潮流を、讃え、喜んでくれているように思えてならなかった。

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