Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第13巻 「楽土」 楽土

小説「新・人間革命」

前後
51  楽土(51)
 メンバーは、伸一の周りに座った。
 「国頭からだと、車で何時間ぐらいですか」
 「休まずに走れば、三時間です」
 「運転手の方は?」
 何人かの男性が手をあげた。
 「おなかがすいて、事故を起こしてはいけないので、おソバを用意しますから、運転手の方は、食べていってください」
 メンバーが、語り始めた。
 「今日は、先生が来られるのではないかと思って、みんなでお待ちしていたんです。今度は、ぜひ、国頭にいらしてください」
 「そうか、待っていてくれたのか……。かわいそうなことをしたな。何人ぐらいの人が待っていたの?」
 「全部含めると、百人ほどです」
 「その方々に、くれぐれもよろしくとお伝えください。皆さんに袱紗を差し上げましょう」
 すぐに、側近の幹部が袱紗を用意した。
 「先生、これを!」
 婦人が携えてきた荷をほどき、沖縄のミカンを差し出した。
 伸一は「ありがとう」と言って、ミカンを一つ取り、皆にも勧めた。
 メンバーは、芭蕉布や貝細工の置物など、持参した品々を、次々と伸一の前に広げた。
 「私は、物はいただかないようにしていますが、皆様方の尊い真心なので頂戴いたします。御宝前にお供えします。私も、お土産を差し上げましょう」
 さらに、一人の少女が、自分の身の丈ほどもあろうかと思われる、濃いピンク色の花びらを広げた緋寒桜の枝を持って、前に出てきた。
 少女は、この桜は、自分が山本会長に渡したいと、持ち続けていたのである。
 伸一は、その桜を受け取ると、少女を傍らに座らせた。
 「ありがとう。きれいだね。沖縄はもう桜が咲いているんだね」
 少女は頷いた。
 「幾つになったの?」
 だが、少女は黙っていた。涙があふれて、返事ができなかったのだ。
 彼女は、幼少期に父親を亡くし、母親の手で育てられた。母親から、よく伸一の話を聞かされてきた彼女は、「私も先生にお会いしたい」と、祈り続けてきたのである。
52  楽土(52)
 少女は、肩を震わせて泣き始めた。
 沖縄の幹部が、少女の父親は、既に他界していることを、伸一に伝えた。
 「そうですか。寂しかっただろうね。今日から、私が父親になりましょう。だから、もう泣くのはやめようね。あなたは、何が好きなの?」
 包み込むような、優しく、温かい声であった。
 少女は、ますます泣きじゃくるのであった。一緒に来ていた母親が、代わって答えた。
 「娘は、ピアノが好きなんです」
 「うーん、ピアノか。ピアノは重くて持ってこられないな」
 皆の笑いがこぼれた。
 伸一は少女に語った。
 「あなたのことは、生涯、見守っています。
 もし、苦しいこと、辛いことがあったら、手紙を書くんだよ。元気な時や調子のよい時はいいから、大変な時こそ、遠慮せずに、私の胸に飛び込んでいらっしゃい。
 これから先、何があったとしても、負けてはいけないよ。転んでも、転んでも、信心で立ち上がって、前へ、前へと進むんだ。きっと、きっと幸せになるんだよ」
 それから、伸一は、側近の幹部に、新しいノートを持ってくるように頼んだ。
 手渡されたノートを広げると、彼はペンを走らせた。
 「国頭の友の栄光を 永遠に記しておくため 茲に氏名を留める 伸一」
 そして、それぞれの名前と年齢を記載するように言って、ノートを回した。
 全員が書いて、伸一のもとにノートが戻った。
 メンバーのなかには、生活苦と懸命に戦っている人も少なくなかった。しかし、その顔には、清らかな信心の、黄金の輝きがあった。
 伸一は、合掌する思いで、記された名前に、じっと視線を注いだ。
 「このノートは、尊き広宣流布の記録として、沖縄の会館に永久保管いたします。また、皆さんが無事に帰られますよう、一緒にお題目を唱えましょう」
 伸一は、御本尊に向かった。
 国頭の友は、喜びに震えながら、彼の朗々たる声に唱和した。
53  楽土(53)
 山本伸一の沖縄滞在は、三泊四日にすぎなかった。
 しかし、その訪問は、沖縄の同志に無限の勇気を与え、楽土建設への、不撓不屈の闘魂を燃え上がらせたのである。
 東京に戻ってから八日後の二月二十六日、千代田区の日本武道館で、二月度本部幹部会が開催された。
 山本伸一の堂々たる声が響いた。
 「学会の国内合計世帯数は、この二月をもちまして、待望の七百万世帯を達成いたしました。大変にご苦労様でございました!」
 その瞬間、雷鳴のような大歓声と大拍手が、武道館を揺るがした。
 一九六六年(昭和四十一年)十一月に六百万世帯を達成して以来、わずか二年三カ月で百万世帯の拡大である。まさに破竹の勢いで、広宣流布は進み、幸福と歓喜の大波が、日本列島を包もうとしていた。
 伸一は言葉をついだ。
 「大聖人は、『いくさには大将軍を魂とす大将軍をくしぬれば歩兵つわもの臆病なり』と仰せであります。この七百万世帯は、皆さんが大将軍となって、勇気をもって戦い抜いた証であります。
 大聖人も、また、牧口先生、戸田先生も、この壮挙を喜ばれ、諸手をあげて、ご賞讃くださることは間違いありません。
 勇気は、希望を呼び、力をわかせます。勇気こそ、自分の殻を破り、わが境涯を高めゆく原動力であります。
 大将軍の皆さん! 遂に、新しき建設の幕は開かれ、創価の勇者の陣列は整いました。新時代が到来しました。わが胸中に、いや増して勇気の太陽を輝かせながら、いよいよ、歴史の大舞台に躍り出ようではありませんか!」
 大勝利の獅子吼がこだました。同志の顔に決意が光った。
 「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」――それが創価の精神である。この広宣流布の拡大のなかにこそ、師弟の直道があり、人類の幸福と平和の、確かなる大道があるのだ。

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