Nichiren・Ikeda
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51 光城(51)
東京芸術祭の最終公演が行われた十一月二十六日夜には、山本伸一も会場に駆けつけた。その舞台で、幸山エリカは、紺と白の衣装に身を包み、力の限り、デビュー曲を熱唱していった。
それは、可憐な妖精が舞い降りたかのようにも見えた。
彼女は、二年前の心の誓いが現実となり、今、歌手として芸術祭の舞台に立っていることが、夢のように思えてならなかった。歌い、踊る、彼女の胸に熱いものが込み上げ、目には感涙があふれた。だが、声が上擦りそうになるのを懸命にこらえて、エリカは、はつらつと歌い続けた。
エリカが歌い終えると、大拍手が日本武道館にこだました。
その躍動感あふれる歌声と踊りに、観客は、若々しい生命の息吹と力を感じた。
東京芸術祭は、やがてフィナーレへと移り、山本伸一が青年たちに贈った、詩「元初の太陽を浴びて」に曲をつけた歌の合唱となった。
新世紀の舞台か
地平線に 躍りでたのは
わが愛する 若人たち
諸君の背に かがやくのは
光彩陸離たる 栄光
とどろく その跫音は
世紀への警鐘と 救済の乱打だ……
………… …………
52 光城(52)
歌声は場内を圧した。高らかに″二十一世紀への讃歌″を歌い上げ、芸術祭は、感動のなかに幕を閉じた。
伸一は立ち上がって、芸術部員の奮闘に、惜しみない拍手を送った。そして、会場を後にする時、傍らの芸術部の幹部に声をかけた。
「本部で待っているからね。芸術部の新しい船出にしよう」
芸術祭終了後、創価文化会館で出演者の勤行会と、山本会長を囲んでの、若手女性芸術部員の指導会が予定されていたのである。
芸術部では、歌手や俳優などの、若い女性の活躍が目立っていた。彼女たちは、それぞれの分野で第一人者をめざし、芸術の創造に情熱を注ぐ一方、広宣流布の大きな推進力となっていた。
浮き沈みの激しい芸能界で生きる、彼女たちの信心への取り組みは、誰よりも真剣であり、懸命であった。甘えやいい加減さはなかった。また、それぞれが、多くの信仰体験をもち、仏法への強い確信をつかんでいた。
その存在は、全会員の希望であり、各地から、会合等に来て、体験を話してほしいなどの要請が後を絶たなかった。
彼女たちの活躍を見てきた伸一は、最大の敬意を表するとともに、未来のために、″学会の宝″として、大切に育てていかなくてはならないと思っていた。
そこに、芸術部からの要請もあり、若手の女性芸術部員の″核″となっていく、二十人ほどのメンバーを選抜し、指導会を開いていくことになったのである。
創価文化会館での出演者勤行会に出席のあと、館内の一室で、その第一回の会合が開かれたのである。
伸一は、皆を笑顔で迎えた。
「どうもご苦労様! 大成功の芸術祭でした。ありがとう!
皆さんのことは、よく知っております。広宣流布の若い力です」
メンバーには、あの幸山エリカの姿もあった。日本の新聞社が主催したカンツォーネのコンクールで優勝した歌手や、有名なジャズシンガー、テレビドラマで人気を博している女優もいた。
53 光城(53)
指導会は、懇談的に進められた。家族の死や病気の報告もあれば、仕事上の抱負を語る人もいた。また、悩み事の相談もあった。
伸一は、親身になって耳を傾け、真心を込めて激励を重ねた。
「私は、皆さんを、生涯、見守っていきます。
有名になることも、人気があることも、ある場合には、大事であるかもしれない。しかし、それが、そのまま実力ではないし、芸の深さであるとは限らない。
また、優れた芸を身につけた人が、幸福であるとは限りません。ゆえに、自身の永遠の幸福を築くために、信心が大事なんです。私の念願は、皆さんが幸福になるとともに、最高に充実した、意義ある人生を歩んでいってほしいということです。そして、それぞれが人間性を開花させ、見事な芸術の大輪を咲かせていってほしいんです。
そのために、このグループを、『ヤング・パワー』とし、互いに信心を根本に切磋琢磨していっていただきたい。
私は、これからも、何度も皆さんにお会いし、応援してまいります」
ここに、″創価文化の華″たる「ヤング・パワー」が誕生をみたのだ。
伸一は、その後も時間を捻出しては、メンバーと懇談の機会をもち、激励に激励を重ねた。一人ひとりを懸命に育て上げていった。
現代の妙音菩薩というべき「ヤング・パワー」の活躍は目覚ましかった。
第三文明の先駆けとして、新しき芸術の道を切り開きながら、人びとの心に七彩の光を注ぎ、仏法理解の輪を、幾重にも幾重にも、広げていくことになるのである。