Nichiren・Ikeda
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47 早春(47)
山本伸一は、笑みをたたえて、朱千尋(チュー・チェンシュン)に語った。
「飛行機を降りたら、ここで、『先生、先生』と呼んでいる人たちがいてね。そうしたら、ウチの人たちだった。でも、なぜ、みんなが、私の来ることを知っていたんだろう」
「私たちは、先生が台湾にお寄りくださるように、皆で、ずっと、お題目を唱えてきました。そして、必ず、先生はおいでになると確信し、空港に集まるようにしておりました」
「そうか。台湾に来る予定はなかったんだが、乗ることになっていた飛行機が遅れて、便を変えたんだ。ところが、私たちは、この便が、ここに降りることも知らなかったんです。
不思議だな。唱題に引かれて来てしまったんだね」
「先生、しばらく、お待ちいただけますか」
朱はこう言うと、空港ビルに向かった。彼は、空港の係官に、自分たちを空港のなかに入れてほしいと頼み込んだ。
彼の懇願に、係官は、三人だけ、空港内に入ることを許してくれた。
今度は、フェンスの内側での語らいとなった。
伸一は、台湾の活動の状況を尋ねていった。
――台湾では、憲法で信教の自由も、集会・結社の自由も認められていたが、戒厳令下では、それも厳しく制限され、団体として活動を行うには、人民団体の登録が必要であった。
朱千尋は、学会本部の海外局と連絡を取り、内政部に台湾の創価学会の登録を申請していたが、許可は下りずにいた。
当時は、まだ反日感情も強い時代であり、日本で誕生した創価学会を、当局は警戒していたのであろう。座談会に、警察が踏み込んできたこともあった。
伸一は、その話を聞くと言った。
「すると、内政部が登録を許可しないと、組織的な活動は難しいわけだね。
どこまでも、定められた法律を守っていくことが大事です。しかし、個人の信仰は認められているのだから、状況が厳しいからといって、臆病になり、信心そのものが後退するようなことがあってはならない。勇気をもつことです。
また、何があっても、どんなに辛くとも、台湾の人びとの幸福のために、絶対に仏法の火を消してはならない。本当の勝負は、三十年、四十年先です。最後は必ず勝ちます」
朱は、静かに、しかし、力強く頷いた。
「わかりました。頑張ります」
空港には、メンバーが次々と詰めかけ、五十人ほどの人になっていた。
48 早春(48)
朱千尋(チュー・チェンシュン)は、空港に来ているすべてのメンバーを、山本会長に激励してもらいたかった。
彼は再び係官に、山本伸一を、皆が入れる空港のロビーまで出してほしいと、必死に懇願した。
人の良さそうな係官も、いささか困惑した様子であったが、空港に大勢の人が詰めかけて、伸一と会いたがっていることを知ると、許可してくれた。
伸一がロビーに姿を見せると、歓声があがった。
「皆さん、わざわざありがとう!」
彼は、一人ひとりに、じっと視線を注ぎながら、力強い口調で語り始めた。
「今、台湾は、信心をするうえで、何かと大変なことが多いと思います。
しかし、冬は必ず春となります。台湾にも、御本尊を持った、たくさんのメンバーが誕生したこと自体が、既に春の到来を告げているといえます。
しかし、春はまだ浅い。早春です。風も冷たい。日本ならば、霜が降り、雪が降ることもあります。
だが、花が香り、鳥が歌い、平和のそよ風が吹く、本格的な春はきっと来る。
時代は変わります。また皆さんの祈りで変えていくんです。そして、春たけなわの日が来るまで、忍耐強く、生命の大地に深く信心の根を張り巡らせていってください。
皆さんの大健闘を祈ります。皆さんのご健康と、ご一家のご多幸を祈っております」
それから伸一は、皆と記念のカメラに納まった。写真撮影の間も、彼は「生涯、御本尊を離さないことです」「絶対に負けてはいけません」と、一人ひとりに声をかけ続けた。
彼は、何があろうが、一人たりとも、退転などさせまいと、必死になって、台湾の友を励ました。
やがて、出発の時刻となった。
「今度は日本でお会いしましょう。お元気で!」
彼は、搭乗機に向かったが、途中、何度も、何度も振り返っては手を振った。
愛する台湾の同志に見送られ、伸一の乗ったジェット機は、轟音を響かせ、雲のなかに消えていった。
アジアの春は浅く、暗雲が低く垂れこめていることを、伸一はひしひしと感じていた。
しかし、雲を突き抜ければ、空には、春の太陽が燦々と輝いている。
″友よ、飛び立て! 雄々しく、使命の空高く″
伸一は心で、こう祈り念じながら、一路、東京に向かった。
(この章終わり)