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日蓮大聖人・池田大作

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人権って何? 人権は「勝ちとる」もの 人間愛の「勇気」で勝ちとれ

「青春対話」(池田大作全集第64巻)

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8  差別社会は独裁の横暴や衆愚政治を生む
 池田 病苦と経済苦に疲れ切った人。人間関係に押しつぶされ、人生に絶望した人。家族がバラバラで、すさんだ心の荒野をさまよう人。光の当たらない、あらゆる苦悩をかかえた民衆に手を差し伸べ、ともに同苦し、ともに立ち上がってきたのが創価学会です。
 諸君のお父さん、お母さんは、そういう「人間のための闘争」に生きてきた。名誉もいらない、地位もいらない、ただ「人間として」人間愛に生き抜いた。泥沼のような醜い社会のなかで、ひとすじに大いなる理想に生き抜いてこられた。最高に尊い方々なのです。その「心」を諸君は受け継いでほしいのです。その「人間愛」を世界に広げてほしいのです。
 ―― 人権が「ひとりの人を大切にする」ことだとすると、それは民主主義そのものだと思います。民主主義も、人権がなければ崩れていきますね。
 池田 人権思想が薄れれば、独裁者の横暴を許すことになるし、衆愚政治になる。社会の繁栄はない。ゆえに日本人は人権闘争をしなくてはならない。思想の自由、信教の自由を守り、人権に深く光を当てて――。
 人権と民主主義と平和は一体です。ひとつを崩せば、すべてを崩すことになる。それを、社会のあらゆる分野の指導者が胸に刻まなければならない。名誉も権威も、この人権思想を打ち立てていなければ、砂上の楼閣です。要は、「人を愛する心」が燃えているかどうかです。
 三十年以上前(一九六二年)、「部落解放同盟」の代表の方が中国を訪問した。周恩来総理と会見できて、団長さんは、多忙な総理が時間をさいてくれたことに感謝した。すると周総理は、こう言われたという。「何をいいますか。日本の中でいちばん虐げられ、いちばん苦しんでいる人たちが中国に来てるのに、その人たちと会わない総理だったら、中国の総理ではありませんよ」(上杉佐一郎対談集『人権は世界を動かす』解放出版社)
 周総理の眼には、日本の人民も中国の人民も、平等に大切であった。世界のいずこであろうとも、苦しむ民衆がいれば、その人たちと連帯する――こういう心で「新しい中国」をつくられたのです。
 仏法でも「平等大慧」と説く。平等です。一切衆生は平等であり、仏と衆生も一体です。どんな人にも「仏界」という最高に聖なる生命があるのです。ゆえに、すべてが「人間のために」、すべてが「人間から」始まる。その本質は、人権の一点にしぼられる。
 教育・文化・政治・経済・科学等々、ありとあらゆる社会の現象は、人権という思想を確立しなければ、必ず行き詰まる。「生徒のための学校」のはずが、「学校のための生徒」になってしまうように。それらの行き詰まりを、全部、いっぺん、「人間のため」の原点に戻して、そこから再出発しなければならない。それが人権の確立です。
9  毅然たる「誇り」を! その「強さ」が人権
 ―― 高校生から質問がありました。
 「私は障害があります。そのため、道や学校で笑われてしまいます。どうしたらいいか、自分にはわかりません」
 池田 結論から言えば、自分が強くなるしかない。それも人権闘争です。人に同情されるのは、決して人権ではない。
 「障害者も立派な人間だ」という誇りをもつことです。「自分としての使命があるのだ」との誇りをもつことだ。
 それをあざけり笑うのは、笑う人が悪人なのであり、人権無視の悪の罪業を積んでいるのです。それに負ければ、人権は崩れる。その強さが人権なのです。
 ―― 前に、「優しさとは強さのことだ」と教えていただきましたが、人権にも強さが必要ですね。自分の人権を守るにも、人の人権を守るのにも。
10  「黒人は″二流市民″ではない!」
 池田 私は世界の「人権の闘士」と語り合ってきました。アメリカのポーリング博士、ブラジルのアタイデ博士、アルゼンチンのエスキベル博士、インドのパンディ博士、南アフリカのマンデラ大統領、インドのパンディ博士など数多くの方々と対談もしてきた。
 だれもが「優しい」人でした。そして「強い」人でした。獄中での迫害にも屈しない一方で、会っただけで、″人の心に敏感″な温かさが伝わってくる。その一人、アメリカのローザ・パークスさんは、人種差別と戦った闘士ですが、「優しく、そして強い人」です。
 差別が横行していたころも、彼女は「黒人用」と書かれたエレベーターには乗らなかった。差別と妥協せず、あえて階段を使った。そして黒人の席を白人の席から「隔離」したバスには乗らず、遠い道も苦労して歩いた。
 暑い日に、のどがカラカラに渇いていても、「黒人用」という札のついた水飲み場では水を飲まなかった。
 「私は、二流市民として扱われることに妥協したことがありません。ほかの人に敬意を払ってほしかったら、まず、自分自身を大切にすることです」(ローザ・パークス『勇気と希望』高橋朋子訳、サイマル出版会)
 毅然として生きることです。その「人格」が人権の根本です。人格は、お金とは違う次元のいちばん重要な問題です。
 物質的な幸福を追うだけでは、本当の平和はない。
 二十一世紀は、どうしても「人権の世紀」にしなくてはならない。目先の利害にとらわれない社会にしなくてはならない。それには、まず自分が自分を大切にし、誇りをもって毅然と生きることです。その人が、他の人も大切にできるのです。
 大河も最初の一滴から始まり、大海へと注ぐ。「人権の世紀」への流れは今、始まったばかりです。
 ―― 身近なことでいうと、どうなるでしょうか。
 池田 たとえば良書を読むこと。そこには、多くの人権問題が含まれている。
 また、人の良い所を認め合う。人の個性を認め合うのは、人権の第一歩です。違いがあっても、「同じ人間なのだ」という、しっかりした人間観をもつことです。
 ある大脳生理学者によると、何かの「違い」を見つけるのは脳の浅いところの働きであり、「同じ」面を見つけるのは、脳の深いところで行われる高度な情報処理なのだという。
 つまり、だれに対しても「同じ人間として」つき合える人こそ、「優秀な人」であり、本当の教養がある人です。自分の人間性が豊かな分だけ、他人の中にも人間性を発見できる。人を、いじめたり、いばったりする人間は、その分、自分の人間性を壊しているのです。
 こんな詩があります。
  「夜には千の目がある
   昼には一つの目しかない
   けれど明るい世界は消えるのだ
   太陽が沈むときに
  
   知性には千の目がある
   心には一つの目しかない
   けれど人生の光は消えるのだ
   愛が消えるときに」(F・W・ブーディロン「光」)
 世界を照らす「太陽」は「人権」です。人間愛です。思いやりです。優しさです。その太陽の光によって、社会に「桜梅桃李」の万花が絢爛と咲き誇っていくのです。
 人権という太陽を二十一世紀に昇らせるのが、諸君の使命です。そのために、まず自分自身の胸中に、人間愛という「勇気の太陽」を昇らせてほしいのです。

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