Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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源遠流長 (第26回)

2009.9.10 「御書と師弟」

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5  君が愁いに我は泣き我が喜びに君は舞う──
 移ろいゆく人の世にあって、私たちは、変わらざる人間の心の深く強き結合をもって、威風も堂々と前進していくのです。
 仏教発祥の天地インドの大哲人であるロケッシュ・チャンドラ博士も、日蓮大聖人が提起された「主師親の三徳」を、現代に力強く展開しているのが、創価の師弟であると讃えてくださっております。
 敷衍していえば、「勇気」(主の徳)、「智慧」(師の徳)、「慈愛」(親の徳)──。この三徳を具える世界市民の登場こそ、荒れ狂う迷いの海に漂う人類の精神を目覚めさせる。その菩薩の大連帯を、博士はSGIに見出されているのです。
 創価の平和・文化・教育の運動も、この「主師親の三徳」を、社会における「価値創造」の原理として具現化したものです。
 生命の尊厳を護る「主の徳」を目指すのは、平和の貢献です。
 青年を正しく導く「師の徳」を体現するのが、人間教育です。
 人類の心を耕し、結び合う「親の徳」は、文化の交流です。
 この平和・文化・教育の大城は、いよいよ21世紀の希望とそびえ立っております。
 報恩抄には、こう仰せです。
 「極楽百年の修行は穢土えどの一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか
 万年の未来を思えば、我らはまだまだ草創期です。万代に崩れざる盤石な土台を築いているのだから、苦労も多い。悪口罵詈も猶多怨嫉の難も必然です。
 だからこそ、現在の仏道修行が、いかに時に適い、その功徳がいかに大きいか。子孫末代にわたる大福運を積む信心は、今の一日一日にあります。不思議な”時”が来ているのです。
 御書には、この世の栄耀栄華など「夢の中の栄え」「幻の楽しみ」に過ぎない、はかなく消え去ると喝破されております。
 60年前の昭和24年の9月、私は日記に綴りました。
 「正義の剣をし、戦う者は、必ず、歴史が証明することだろう。大聖人の照覧なれば、断じて恐れてはならぬ。卑屈になってはならぬ。雄々しく進め。大胆に進め」
 「今日の日に、最上を尽くすとき、未来は、必ず光明に輝く。歓喜の焔は燃えたってくる」
 広宣流布に生き抜く栄光と福徳は、不滅であります。歴史を残せるのが、人間です。そして、最も尊き歴史を永遠に残していけるのが、仏法なのです。
  我らの舞台は、世界です。
  我らの友人は、人類です。
  我らの栄光は、永遠です。
 さあ、「慈折広宣流布」の壮大なるスクラムを、愉快に勇敢に広げようではありませんか!
  君ありて
   広布の流れは
     幾重にも
   万年までも
     輝き渡らむ

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