Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第1回婦人部総会記念論文 創造性ある″全体人間″たれ

1969.3.1 「池田大作講演集」第1巻

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7  新世紀を拓く宗教革命
 「科学と宗教」のなかでもふれておいたが、今後とも科学は、ますます急速に進歩し、発達していくことは間違いない。それにともなって、これまでの人間の労働や、個々の技能で占められてきた分野は、どしどし機械にとってかわられるようになるであろう。そうした科学時代に要請される人間の理想像こそ、まさに″全体人間″というべきものであると私は考えている。
 また、今日すでに各方面で論議されている生活の機械化、合理化による人間疎外、主体性喪失の問題も、これから先、ますます深刻化していくことは疑いない。そのときに人々が、なによりも強く求めるものは、精神の支柱としての、力ある哲学であり、宗教である。
 物質文明、科学文明の時代にあって全民衆を納得せしめ、力強い支えとなり、ひいては、科学文明、物質文明をリードしきっていく大哲学、大宗教は、日連大聖人の三大秘法の仏法以外には、ありえないと私は訴えたい。
 したがって、この仏法を、全世界のあらゆる人々に知らしめていく戦い、すなわち、私どもの広宣流布の活動は、新しい世紀を拓く未會有の宗教革命、思想革命を意味するのである。
 いまだかつて、いつの時代、いずれの国に、これほどたくさんの婦人が、燃え上がる情熱と、清らかな団結をもって、思想革命、宗教革命のために立ち上がった例があったであろうか。
 しかも、このように、婦人が立ち上がったという事実は、人間の生活の最も基盤である家庭のなかから、この革命の波がわきおこっているということにほかならない。それはすなわち、この革命こそ、過去のいかなる革命よりも深く人間存在そのものに迫る、最も根底的な無血平和革命であることの実証と確信するのである。
8  子孫末代の福運築こう
 ある有名な大脳生理学者の説によると、人間の脳の形成において、最も大事な時期は、三歳までの赤ん坊の時代と、五歳から七歳までと、十歳前後であるが、特に三歳までの期間は両親の生活態度そのものが、赤ん坊の脳の形成を決めてしまうそうである。
 この時期の赤ん坊には、なんの理解・分別もない。だが、ちようど巨大な建造物の土台石のように、この期間に生命で感じとったものが、その人の一生を支えていくという。
 この考えは、より深く生命論からみたとき、まことに多大な示唆を含んでいると思う。両親の生活は、そのまま子供の生命の形成につながっているのであり、子供は、なにもわからずとも、無心に乳を吸うのと同じように、両親の生活態度の一切を吸収していくのである。
 したがって、特にお子さんと接触の深い婦人の皆さんが、信心強盛に、しっかり学会活動していること自体、自分自身の福運はもとより、お子さんの福運を増し、人間形成をしていることになるのである。皆さんが地涌の菩薩として生き抜いたときは、すでにお子さんもまた地涌の子である。この厳粛な生命の因果の理法に心を開いて、お子さんのため、お孫さん方のため、更に力強い日々を送っていただきたい。
9  異体同心の戦い
 生死一大事血脈抄の一節を拝し、私どもの戦いの要諦としておきたい。
 「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮しょせん是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か、剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し」と。
 「自他彼此の心なく水魚の思を成して」とは、広宣流布という偉大な目的に向かって進む、同志の完璧なる団結を意味する。私どもの団結は、利害のつながりでも、通り一遍の感情のつながりでもない。信心を根本とし、未曾有の大目的にめざめた、生命と生命、呼吸と呼吸の和合であり、それらが一個の大生命となっていることである。これ以上強い、美しい、清浄なつながりは断じてない。これを異体同心というのである。
 「生死一大事血脈」とは、異体同心の戦いのあるところ、もったいなくも、日蓮大聖人の御血が流れるということである。生死とは、我らの生命であり、一大事とは、三大秘法即日蓮大聖人の全生命である。
 したがって、今、日蓮大聖人の全生命は、創価学会という一個の生命に、そして、そこに生きる学会員の皆さん一人一人の生命に脈々と流れていることを確信されたい。異体同心の和合僧団を離れて、大聖人の血脈、信心の血脈のありえぬことは、御金言に照らし、あまりにも明白である。
 ここに、創価学会という団体が、不思議な力をもっているゆえんがある。創価学会を守ることは大聖人の仏法の血脈を守ることであり、すなわち、汝自身の生命に、妙法の血脈を流れ通わしめることに通ずる。
 しかも大聖人は「日蓮が弘通する処の所詮是なり」と、仏法の究極はこのことに尽きると仰せである。
 されば、創価学会を離れて、末法の仏法の全体も、修行の一切も、真実の悟りも、絶対にない。また、人生も、社会も、文明も、ことごとく、仏の血脈を離れた根無し草であり、かわって、魔の血脈となってしまうことを、ここに断言しておきたい。
 「若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」とは、我らの大願とは、広宣流布こそ全てであり、これを成就していく根本は、ただ異体同心の戦いしかないとの仰せである。
10  団結堅き″異体同心丸″
 私は、かつて、美しい、力強い団結で、進む創価学会を大船になぞらえ、その名を″異体同心丸″と名づけた。皆さんは、全員、その誉れある乗り組み員である。
 今、この大船は、生命の世紀に向かって、荒れ狂う怒涛も悠々と乗りきって、いよいよその速度を増しながら進んでいる。その大船を動かしている主体者は皆さんである。皆さんこそ創価学会の支えであり、創価学会それ自体であるといってもよい。その皆さんに、大聖人の血脈が流れないわけはない。絶対に幸福へのコースを、真一文字に進んでいることを確信していただきたい。
 だが、名聞名利のため、あるいは虚栄のため、見栄のため、同志を大事にせず、いじめたり、犠牲にしていく人は「城者として城を破る」との戒めにあたる人であろう。厳しい仰せではあるが、創価学会の精神は、これ以外になく、また、今日までの伝統も、現在の戦いも、未来の建設も、絶対に、異体同心の四文字に尽きることを知っていただきたい。
 この栄えある第一回婦人部総会を、新たなる建設の、戦いの第一歩として、更に清新の息吹きをたたえ、世界一の婦人、世界一の幸福な家庭、世界一の清らかな婦人団体として、見事なる人間革命、家庭革命、社会革命の前進を開始されんことを心より祈ってやまない。

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