Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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第4章 父と母妻と夫
「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)
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欠点を責めず、長所を認め、讃え合う
藤野
一つひとつが「なるほど」ということばかりですね。
とくに「互譲」「互諒」――「譲り合う」ことと、「許し合う」ことが難しいというのは、実感としてよく分かります。
ささいなことでけんかになり、お互いに「我」を張っているうちに、いつのまにか根深いしこりになってしまう、ということがありますね。どちらかが譲れば、そんな大きな問題にならないのに……。
平川
「自分は悪くない! 悪いのはあっちのほうだ!」と思っているんですよね。(笑い)
向こうが先に「ごめんね。自分が悪かったよ」と言ってくれれば、「私も悪かったわ」と、素直に言えるのですが。
池田
お互いに、そう思っていてはしょうがないね。(笑い)
周総理夫妻の「八互原則」でいえば、先に譲り、許したほうが境涯が高いのです。
相手が、怒っていても、「これだけ元気なら、当分、倒れないな」(笑い)というぐらいの大らかな気持ちで、賢明に家庭を操縦していくのです。
人間、だれしも欠点はある。その欠点をあげつらって、責め合っていたのでは、お互いにいやになってしまう。
たとえ、それが「正しい」としても、いや、「正しい」からこそ、耐え難い批判というのもあるのです。家庭においては、とくにそうです。
少しくらいの欠点や誤りは、大きな心でつつみこんで、長所を認め、讃え合っていくという、心豊かな励まし合いの家庭を築いていってほしい。
父と母が、いつもいがみ合い、争っているようでは、子どもの心に暗い影を落としてしまう。また、どちらかのいないところで、子どもに片方の親の悪口を言うようなことも、あってはならない。
藤野
わが家では、夫と、娘二人の仲がとてもいいんです。
娘たちは、もう二十歳をすぎましたが、夫はいまだに帰ってくると、おみやげを娘たちに渡しています。ボールペンやケーキ、時には小さなブローチなど、それほど大したものではないのですが、それでももらうと、とても喜んでいます。
娘たちは、「お父さんのような人と結婚したい」と言うので、私が「お父さんみたいな人は、二人といないわよ」と言うと、夫は、なんとも言えず、うれしそうな顔でした。(笑い)
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夫の活躍も妻の力によって決まる
池田
微笑ましいね。明るい家庭をつくっていくうえで、やはり重要なのは、女性の役割だと思う。
日蓮大聖人の有名な御文だが、「
や
箭
のはしる事は弓のちから・くものゆくことは
りう
竜
のちから、
をとこ
夫
のしわざは
め
婦
のちからなり
」という一節があります。
つまり、矢が走るのは、弓の力であり、雲がゆくのは、竜の力である 同じように、夫の活躍も妻の力によって決まる――ということです。
当時の社会の文化、習慣をふまえての御言葉ですが、夫婦の一つの理想的なあり方を、言い当てておられます。
平川
富木常忍の妻である尼御前に宛てたお手紙だったでしょうか。
池田
そう。当時、尼御前は病気でした。彼女は、常忍の母をずっと看病し続けてきた。今で言えば、「介護」です。常忍のお母さんは、寿命を全うして亡くなるが、こんどは、尼御前が病気になってしまう。その原因は、介護疲れもあったかもしれない。
大聖人は、ただちに筆を執られ、尼御前への激励のお手紙を富木常忍に託す――。
先ほどの言葉の後、「今、富木殿が、こうしてここに来ているのは、尼御前のお力ですよ。富木殿にお会いしていると、尼御前にお会いしているようですよ」と、真心こもる言葉を続けておられる。
さらに、「“このたび母上が亡くなったことは悲しい。しかし、その臨終の姿がよかったことと、尼御前が手厚く看病してくれたことのうれしさは、いつの世までも忘れられない”と、富木殿が大変に喜んでおりました」と、常忍に代わって、尼御前に感謝し、讃えておられるのです。
男であり、武士であった富木常忍が、なかなか感謝の心を奥さんに言えないでいるのを、大聖人が代わりに言ってあげたのかもしれない。
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子どもたちが未来の事業を引き継ぐ
藤野
尼御前は、本当にうれしかったでしょうね。
以前、私も、実母が手術することになった時、池田先生に報告のお手紙を出しました。すると、すぐさま先生から伝言をいただきました。
「二人のお母さんの面倒を見たのだから、あなたは生々世々、子どもに守られます。
太陽のような気持ちで、暗くならずに頑張りなさい」と。
義母の介護や、さまざまな苦労もありましたが、「先生は、すべて分かってくださっている!」と思うと、心から安心し、力がわいてきました。
池田
それは、よかった。皆さんのように、子育てや介護に奮闘しながら、社会のため、人々のために働いている方々の力になれれば、これほどうれしいことはありません。
平川
若いお母さん方も、本当に忙しいなか、頑張っています。ただ、なかには、「時々、育児が煩わしく感じることがあります」と、正直に胸の内を語ってくださる方もいます。
一般的にも、「自分らしく自由に生きたいので、子どもは、ほしくない」と考えている女性もふえているようですが。
池田
なるほど。そういう傾向はあるだろうね。これからの時代は、男女共同参画社会を目指すというが、子育てを支援する社会的な態勢も整えていかねばならないでしょう。
鄧穎超さんは、ある時、「活動と育児の両立」に悩む女性から相談を受けた。
当時は、中国建国の真っただ中であり、女性も、男性と同じく新しい社会の建設に汗を流していた。
若い母親は、鄧女史のところへ来て、悩みをうち明ける。
「子供なんか産むんじゃなかった」「子供の世話は大変なんです。時には病気になったり、ケガをしたり。子供の世話のことで夫婦ゲンカも絶えません。どうしたらいいかわからなくなってしまったのです」(前掲『鄧穎超』以下同じ)
平川
その女性の悩みは、よく分かります。
子どもがいると、思わぬ苦労をすることがあります。私も、こんなことがありました。
私が講師になって、御書の勉強会をしていました。
「さあ、いよいよ大事なところ……」と思ったら、突然、向こうのほうで、泣いて騒ぎ出した子どもがいます。
近くにいる人が、困った表情で「この子のお母さん、だーれー?」。
私の子どもでした。(笑い)すっかり寝かせつけたと思ったのに、起きてしまったんですね。
おかげで御書講義も、中断せざるをえなくなりました。
これなどまだ序の口で、私のほうが泣き出したいような場面も多々ありました。
池田
それは大変だったね。でも、いいところで中断したから、かえって皆、続きが楽しみになったかもしれないよ。(笑い)
鄧女史の話ですが、若いお母さんの悩みに、じっくりと耳を傾けた女史は、さとすように、優しく、こう語りかけた。
「あなたの困難はよくわかるわ。でもね、まず精神的に負けてはだめよ」
「特に母親の負担は大きいのよね。大変だけど、だからこそ女性は強い、すばらしいと思うわ」
「私たちのこの偉大な事業は次の世代、その次の世代へと引き継いでゆかなくてはならないわ。
そのためには次の世代を担う若い人たち、そしてその次を担う子供たちが立派に育たなければならないのよ。
子供は宝よ。あなたの宝でもあるし、私の宝でもあるの」
「要するに、子供の世話、教育などは前向きに考えるべきよ。負担ではなく、光栄な任務なの。
この子たちが成長し、立派になり、私たちの未来の事業を引き継いでくれる。考えただけでわくわくするでしょう。後継者を育てない革命は途中で必ず挫折してしまうわ」
藤野
池田先生が、いつも私たちに、おっしゃってくださるのと、まったく同じですね。
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親の懸命な姿そのものが最高の“遺産”
平川
思えば私は、小学生の時に父を亡くし、母も病弱だったので、鼓笛隊をはじめ、学会家族のおかげで、育てていただいたと思っています。
家族にとっても心の支えだった祖母が亡くなったのは、私が高校二年生の時でした。
祖母はこう遺言して、亡くなっていきました。
「よっちゃんに、何も残してあげられなくて、ごめんね。だけど信心だけは残していくよ。何があっても、創価学会と池田先生についていきなさい。そうすれば、必ず、幸せになれるよ」
「学会と共に。先生と共に」――これが私にとって、つらい人生を生き抜く希望の光でした。いつも、この心で、生き抜いてきました。
おかげさまで、昔は笑わない、少し暗い子でしたが、今は「いつも笑ってばかり」の幸せな境涯になりました。(笑い)
池田
立派なおばあさんだね。
牧口先生が、「生涯で最も感銘を受けた」という言葉がある。
それは、ノーベルの「遺産は相続することが出来るが、幸福は相続する事は出来ぬ」という言葉でした。
牧口先生は、これは、「幸福と財産の不一致を喝破」したものであると意義づけられました(『創価教育学体系』第一巻「教育目的論」)。
いくら財産を残しても、それで子どもが幸福になるとは限らない。かえって、不幸にしてしまう場合だってある。
親が信念を貫き、懸命に生き抜いた姿そのものが、最高の“遺産”です。
私どもでいえば、わが子に信心を教え、広布の立派な後継者に、そして社会に貢献しゆく力ある人材に育てていくことが、永遠に尽きることのない、不滅の財宝を遺してあげることになるのです。
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