るに非ず法華経の御力の殊勝なるに依るなり、身を挙ぐれば慢ずと想い身を下せば経を蔑る松高ければ藤長く源深ければ流れ遠し、幸なるかな楽しいかな穢土に於て喜楽を受くるは但日蓮一人なる而已。
富木尼御前御返事
建治二年 五十五歳御作
鵞目一貫並びにつつひとつ給い候い了んぬやのはしる事は弓のちから・くものゆくことはりうのちから、をとこのしわざはめのちからなり、いまときどののこれへ御わたりある事尼ごぜんの御力なり、けぶりをみれば火をみるあめをみればりうをみる、をとこをみればめをみる、今ときどのにけさんつかまつれば尼ごぜんをみたてまつるとをぼう、ときどのの御物がたり候はこのはわのなげきのなかにりんずうのよくをはせしと尼がよくあたりかんびやうせし事のうれしさいつのよにわするべしともをぼえずと・よろこばれ候なり、なによりもおぼつかなき事は御所労なり、かまえてさもと三年はじめのごとくにきうじせさせ給へ、病なき人も無常まぬかれがたし但しとしのはてにはあらず、法華経の行者なり非業の死にはあるべからずよも業病にては候はじ、設い業病なりとも法華経の御力たのもし、阿闍世王は法華経を持ちて四十年の命をのべ陳臣は十五年の命をのべたり、尼ごぜん又法華経の行者なり御信心月のまさるがごとく・しをのみつがごとし、いかでか病も失せ寿ものびざるべきと強盛にをぼしめし身を持し心に物をなげかざれ、なげき出来る時はゆきつしまの事だざひふの事かまくらの人人の天の楽・のごとにありしが、当時つくしへむかへばとどまるめこゆくをとこ、はなるるときはかわをはぐがごとくかをと・かをとをとりあわせ目と目とをあわせてなげきしが、次第にはなれてゆいのはま・いなぶらこしごえさかわはこねさか一日二日すぐるほどに、あゆみあゆみとをざかるあゆみをかわも山もへだて雲もへだつればうちそ
うものはなみだなりともなうものはなげきなり、いかにかなしかるらむかくなげかんほどに・もうこのつわものせめきたらば山か海もいけとりか、ふねの内か・かうらいかにて・うきめにあはん、これ・ひとへに失もなくて日本国の一切衆生の父母となる法華経の行者日蓮をゆへもなく或はのり或は打ち或はこうじをわたし、ものにくるいしが十羅刹のせめをかほりてなれる事なり、又又これより百千万億倍たへがたき事どもいで来るべし、不思議を目の前に御らんあるぞかし、我れ等は仏に疑いなしとをぼせば・なにのなげきか有るべき、きさきになりても・なにかせん天に生れても・ようしなし、竜女があとをつぎ摩訶波舎波提比丘尼のれちにつらなるべし、あらうれし・あらうれし、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱えさせ給へ、恐恐謹言。
三月二十七日 日蓮花押
尼ごぜんへ
忘持経事
建治二年 五十五歳御作
与 富木常忍
忘れ給う所の御持経追て修行者に持たせ之を遣わす。
魯の哀公云く人好く忘る者有り移宅に乃ち其の妻を忘れたり云云、孔子云く又好く忘るること此れより甚しき者有り桀紂の君は乃ち其の身を忘れたり等云云、夫れ槃特尊者は名を忘る此れ閻浮第一の好く忘るる者なり今常忍上人は持経を忘る日本第一の好く忘るるの仁か、大通結縁の輩は衣珠を忘れ三千塵劫を経て貧路に踟蹰し久遠下種の人は良薬を忘れ五百塵点を送りて三途の嶮地に顛倒せり、今真言宗・念仏宗・禅宗・律宗等の学者等は仏陀の本意を忘失し未来無数劫を経歴して阿鼻の火坑に沈淪せん、此れより第一の好く忘るる者あり所謂今の世の
天台宗の学者等と持経者等との日蓮を誹謗し念仏者等を扶助する是れなり、親に背いて敵に付き刀を持ちて自を破る此等は且く之を置く。
夫れ常啼菩薩は東に向つて般若を求め善財童子は南に向いて華厳を得る雪山の小児は半偈に身を投げ楽法梵志は一偈に皮を剥ぐ、此等は皆上聖大人なり其の迹を撿うるに地・住に居し其の本を尋ぬれば等妙なるのみ・身は八熱に入つて火坑三昧を得・心は八寒に入つて清涼三昧を証し身心共に苦無し、譬えば矢を放つて虚空を射石を握つて水に投ずるが如し。
今常忍貴辺は末代の愚者にして見思未断の凡夫なり、身は俗に非ず道に非ず禿居士心は善に非ず悪に非ず羝羊のみ、然りと雖も一人の悲母堂に有り朝に出で主君に詣で夕に入て私宅に返り営む所は悲母の為め存する所は孝心のみ、而るに去月下旬の比・生死の理を示さんが為に黄泉の道に趣く此に貴辺と歎いて言く齢既に九旬に及び子を留めて親の去ること次第たりと雖も倩事の心を案ずるに去つて後来る可からず何れの月日をか期せん二母国に無し今より後誰をか拝す可き、離別忍び難きの間舎利を頸に懸け足に任せて大道に出で下州より甲州に至る其の中間往復千里に及ぶ国国皆飢饉し山野に盗賊充満し宿宿粮米乏少なり我身贏弱・所従亡きが若く牛馬合期せず峨峨たる大山重重として漫漫たる大河多多なり高山に登れば頭を天に捽ち幽谷へ下れば足雲を踏む鳥に非れば渡り難く鹿に非れば越え難し眼眩き足冷ゆ、羅什三蔵の葱嶺・役の優婆塞の大峰も只今なりと云云、然る後深洞に尋ね入りて一菴室を見る法華読誦の音青天に響き一乗談義の言山中に聞ゆ、案内を触れて室に入り教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し五躰を地に投げ合掌して両眼を開き尊容を拝し歓喜身に余り心の苦み忽ち息む、我が頭は父母の頭・我が足は父母の足・我が十指は父母の十指・我が口は父母の口なり、譬えば種子と菓子と身と影との如し教主釈尊の成道は浄飯・摩耶の得道・吉占師子・青提女・目犍尊者は同時の成仏なり、是の如く観ずる時・無