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日蓮大聖人・池田大作

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第21回「SGIの日」記念提言 第三の千年へ 世界市民の挑戦

1996.1.26 平和提言・教育提言・環境提言・講演(池田大作全集第101巻)

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43  昨年(一九九五年)末、東南アジア非核地帯条約が調印されました。中南米のトラテロルコ条約、南太平洋のラロトンガ条約、アフリカのペリンダバ条約(二月に調印予定)という非核地帯条約に続くもので、アジアの広い一角が初めて非核地帯になる意味は、まことに大きなものがあります。こうした非核地帯を世界中に広げ、民衆による"非核の包囲網"を拡大していけば、やがては「核兵器のない世界」も夢ではない。
 昨年は中国やフランスが核実験を相次いで強行するなど時代逆行の動きがあり、これに対し、新たな反核の国際世論が高まりました。また本年は「包括的核実験禁止条約」の交渉が大詰めを迎えるといわれております。
 この条約は、核廃絶への"一里塚"という象徴的意味においても、一日も早く締結されるべきであります。こうした状況をみても、「ヒロシマ・ナガサキ五十年」を経て、いよいよ核兵器廃絶への一つの正念場の時を迎えているといって過言ではありません。
44  「不戦の世紀」へグランドデザインを
 これまで私自身、機会あるごとに、核兵器をなくすためのさまざまな具体的方策を提示してまいりました。
 私の基本的立場は明確であります。膨大な人間を瞬時に殺すことにしか役立たない核兵器は"絶対悪"であり、その使用は人類の名において断罪されねばならない。それはどんな理由によっても正当化されるものではなく、核兵器は廃絶されねばならない、というものであります。これはまた戸田先生の遺志でもあり、そのためには最終的には、核兵器の開発、生産、保有、配備等の一切を禁止する「核兵器完全禁止条約」が必要となってくるでありましょう。平和研究所は、そこに至るまでの具体的手立てを研究してほしいと思います。
 同時に、戦後五十年を経て、長期的な観点から「世界不戦」という新しい時代へのグランドデザイン(大構想)も指し示してほしい。
45  明九七年には第四回「国連軍縮特別総会」も開催される予定と聞いております。
 その意味からも、一貫して私が主張している、世界の「不戦共同体制」をどう構築していくかという課題に、同研究所が中心的な役割を担って、世界の英知を結集しながら、人類益に立ったオルターナティブ(代替案)を描き出してほしいと考えます。
 その具体的な方向性として、現在広がりをみせている「非核地帯」が同時に「不戦平和地帯」となっていけば、もはや核兵器など必要としない世界も夢ではないと考えます。逆に、それが実現できないのならば、究極的な核廃絶も難しいといえましょう。
 私は昨年末、コスタリカ共和国元大統領でノーベル平和賞受賞者の、アリアス・サンチェス博士と2度目の会談を行いました。「平和と戦争」という主題をめぐってさまざまに意見を交換しましたが、なかでも博士は"世界は軍事費を削減して教育や文化の発展に分配すべきである"との持論を強調されました。
46  また博士は、世界中のすべての軍備を撤廃せよと訴えておられる。
 戦後、ヨーロッパ復興のためにマーシャルプランが推進されました。これにならって、資源を「軍備」にではなく「人間開発」に投じる新たなグローバルなマーシャルプランが必要、と博士は考えておられるのであります。これを理想論といって片付けるのは簡単ですが、コスタリカ自体が、一九四九年に制定された現行憲法で軍隊を廃止するのに成功していることからも、博士の主張には説得力が感じられます。
 それは小さな国だから実現できたという見方も成り立ちますが、時代に合わない無用のものだと人々が判断すれば、奴隷制やアパルトヘイトが消滅したのと同様、軍備もなくすことは、全く無理な話ではないのです。
 アリアス博士は隣国パナマも説得し、九四年十月には憲法が修正され、軍隊は法的にもなくなることが決まりました。更にまだ多くの問題を抱えてはいますが、ハイチでも軍隊が解体され、軍備廃止が実現の方向へ進んでおります。
 新しい世代のために、「戦争の文化」でなく「平和の文化」を教えていきたいという博士の提案に、私は全面的に賛意を示しました。戸田記念国際平和研究所は、こうしたいわば"民の声"でもある、世界の「脱軍備」「非軍事化」をどう進めていけばよいのかを総合的に研究し、確かな道筋をたてていく必要がありましょう。
47  あと五年程で「第三の千年」が開幕するといっても、時代が自然に新しく生まれ変わるというものではありません。あくまでそれは"時代の扉"を開く「人間の意志」にかかっております。人間には本来、新しい選択を創造し、その選択を行う能力が備わっているのです。私たちの現前に挑みかかるいかなる難事も、そのすべては人間自身が作り出したものである以上、自らの手で解決していく潜在能力がないわけではないのであります。
 人々が重大な難問に立ち向かう決意を固めると、最大の歴史形成力が始動すると指摘したのはトインビー博士でありますが、人間にはもとよりその能力が備わっているのであります。思うに、現前にある危機を深刻化させている要因は人間の能力の欠如ではなく、その能力に対する認識不足なのではないでしょうか。
 私のよき友人であったノーマン・カズンズ氏は、「悲観主義は、前途の展望を否定する行為によって、展望を忌避する。それは未来への視野を狭め、必要なことと可能なこととの関係を曖昧にする」(『人間の選択』、松田銑訳、角川選書)との警句を発し、人々がさしたる努力も尽くさないまま絶望してしまうことを厳しく戒めております。
 この言葉を改めて胸に刻み、私たちは決して「楽観主義」を手放すことなく、敢然と「必要なこと」を成し遂げる挑戦を、ともどもに開始してまいろうではありませんか。

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