Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「3・16」50周年記念協議会  

2008.3.7 スピーチ(聖教新聞2008年下)

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15  難に勝って仏に
 戸田先生は言われた。
 「日蓮大聖人の御精神の根本は広宣流布である。その御精神を受け継ぎ、仰せのままに広宣流布をしてきた教団は、学会以外にない。
 その証拠には、誰が大難を受けたか。戦時中のことを考えてみよ。学会は大弾圧を受け、牧口先生は獄死されているではないか。
 皆、口ではうまいことを言う。また、立派そうなことを言う。しかし、不惜身命の精神で妙法広布に殉じようとはしない。難を受けなかったということは、本気になって広宣流布をしなかったからである。いや、できなかったのだ」
 自ら大難を受け、広布のため命がけで戦い抜かれたのが、戸田先生である。三代の創価の師弟である。
 偉大だからこそ迫害される。作家・魯迅は、「中国でも、漢晋(中国古代の王朝の名)以来、いやしくも文名のある者は、大抵みな、人の誹謗を受けている」(松枝茂夫訳『魯迅選集第5巻』岩波書店)と言った。
 また戸田先生は、こうも叫ばれた。
 「大聖人の大難に立ち向かわれる師子王の如き精神、その志を継承する者こそ、創価学会である」
 「野良犬が吠えるような、いかなる罵倒や非難があっても、決して動ずるな! そんな、つまらぬことに、決して紛動されるな! 英雄の道を歩むのだ。偉人の道を歩むのだ。私たちの信奉する大聖人の難から見れば、すべて九牛の一毛(取るに足りない事)に過ぎないのだ」
 「大聖人をいじめ抜いた、極悪の仏敵である平左衛門尉に対して、御書には“彼は、自分にとって善知識だ”と仰せになっておられる。
 敵など、断じて恐れるな! 全部、自分自身を完成させ、仏にしてくれる、闇の烈風に過ぎない」
 この先生の師子吼を、わが門下に贈りたい。
16  勇敢な心で
 今や、創価の師弟の真実を知る、わが直系の青年部が、いよいよ躍り出る時代が到来した。なかんずく第2総東京青年部、特に女子部が、見事なる模範の前進をしてくれている。
 健気な後継の女子部の皆さんに、「若草物語」で有名なアメリカの女性作家オルコットの言葉を贈りたい。
 「勇敢な心となんでもしようという手とたくさんの仕事をもっていれば、この世はどんなにたのしいところになるかみてごらんなさい」(吉田勝江訳『第四若草物語』角川書店)
 環境ではない。自分で決まる。女子部よ、勇敢であれ!
17  若者こそ希望
 50年前の3月の朝、戸田先生は、私を枕元に呼び、メキシコへ行った夢を見たと語られた。
 そして、「君の本当の舞台は世界だよ」「世界に征くんだ」と、人類の幸福と平和を実現しゆく使命を、私に託されたのである。
 今や、このメキシコでも、わが創価の友が颯爽と活躍されている。
 20世紀メキシコの大詩人レイエスは、教育革命運動に身を投じて、大学教育の刷新にも奔走した最高峰の思想家である。
 このレイエスは叫んだ。
 「40歳を過ぎて教養があるとされる人が、20代の青年に対して、愛情や親心としての心配の気持ちを抱けないなら、その人は、教養の人でもなく、人間でもなく、最も嘆かわしい道徳心を切除された存在である。どの若者にも、希望は見出されるのだ」
 深く青年を愛し、自分以上に立派に育てる。ここに真の教養人たる証しがある。
 さらに、この詩人レイムエスとともに教育の改革に戦い、教育大臣も務めた、メキシコの大思想家バスコンセロスは指摘した。
 「たとえ、一人であったとしても、真に偉大な人間であれば、その力と努力で民衆を救済していけるのです」
 大事なことは、一人立つことである。そして、具体的に、一つずつ手を打ち続けていくことだ。
 策ではなく、誠実な手を打っていくことだ。
 リーダーでありながら、具体的な行動がないのは、卑怯である。仏法は観念ではない。
 この点、バスコンセロスは、こう述べている。
 「最も愚かな『楽観主義』は、一粒の種を土に埋めることもせずに――即ち、発芽し、実りをもたらす種を蒔くこともせずに――時に身を委ねることです」
 “何とかなるだろう”という無責任は、「愚かな楽観主義」である。敗北の道である。
 また、この思想家は、こうも語っている。
 「人間のいかなる建造物も、常に新しく保ち持続させるためには、粘り強い努力が必要である。ゆえに、何もしないことは破壊への第一歩であるといえる」
 創るのも人、壊すのも人である。たゆまぬ努力を怠ってはならない。
 バスコンセロスは断じた。
 「いかなる派閥主義にも『正統性』はありません」。
 「善の勢力は、悪を屈服させ、根絶させるときのみ、己の使命を果たすことができる」
 正義は強くあらねばならない。いかなる悪にも撹乱させてはならなない。これは、牧口先生が厳命されたことでもある。
 勇気と団結の力で、常に先手、先手を打って、新しい発展の活路を開いてまいりたい。
18  悪事を見逃すな
 戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の民政局員として、「日本国憲法」の草案の作成に携わり、「男女平等」条項の誕生に貢献したベアテ・シロタ・ゴードンさんは、アメリカのニューヨーク文化会館に来訪されるなど、SGI(創価学会インタナショナル)とも交流されている。
 ゴードンさんの言葉に、こうある。
 「『どこかおかしい、変だ』と思ったら、面倒くさがらずに自分の気持ちを声に出して表明しなくてはだめです。発言する勇気が必要なのです」(『ベアテと語る「女性の幸福」と憲法』晶文社)
 その通りだ。とくに、女性が勇気をもって発言することが大事である。
 仏法を破壊する魔性の働きは、外部よりも、内部のほうが強い。心して警戒していくのだ。
 師弟の道を乱す傲慢な輩に、麗しい創価の団結を壊されるようなことがあってはならない。
 私は、どんな細かなことも見逃さない。19歳で戸田先生と出会って以来、苦労に苦労を重ねてきた私には、人間の心の奥がわかる。苦労しなければ、大事なことは何もわからない。
 未来のために強く言っておきたい。正邪を鋭く見抜き、悪を打ち破っていくのだ。私は敵と戦った人間しか信じない。
 女性の役割は重要である。松葉ケ谷の法難の際にも、いち早く危険を知らせて大聖人をお護りした女性の門下がいたのではないかとも推察される。
 御書には、「十羅刹女の御計らいであろうか、日蓮はその難を脱れたのである」(御書1294㌻、通解)と仰せである。
 戸田先生が、婦人部・女子部を大事にされた心情が私にはよくわかる。
 私もまた、師弟の正義を護りゆく女性の存在に期待している。
19  恩を忘れるな
 古代ローマの哲人セネカは言った。
 「おお、驕慢よ、偉大な運命から生じた最も愚かな災いよ」「おまえは、思い上がれば思い上がるほど、いっそう人々に蔑まれる」(小川正廣訳「恩恵について」、『セネカ哲学全集2』所収、岩波書店)
 傲慢は、わが身を滅ぼす災いである。
 日本の新渡戸稲造博士は「恩」を知る大切さを述べている。
 「逆境時代には其受けた恩を忘れぬものであるが、順境に達し多少得意になると、以前の苦しかった記憶が段々薄らぎ、受けた恩も兎角忘れ勝ちになる」(「修養」、『新渡戸稲造全集第7巻』所収、教文館)
 「偉大なる心は常に感恩の情に満つ」(「随想録」、『新渡戸稲造全集第5巻』所収、同)
 感謝の人は成長できる。恩を忘れた時から、人間の堕落が始まる。恩を知ることが人間の道だ。
 「人間性を失った宗教は、人間がつくった最もおそまつなものである」――奴隷制度の廃止のために戦った、勇敢な米国の女性ソジャーナの言葉である。
20  第2総東京の堂々たる前進は、美しき虹のごとく、世界が見つめる「正義」と「文化」と「充実」の天地の上に輝きわたっている。
 婦人部・女子部一体の前進においても、そして未来部の育成においても、全世界の模範と光っている。
21  太陽と共に!
 世の中は変化の連続だ。曇りの日もあれば、雨の日もある。しかし、雲の向こうには、いつも太陽が輝いている。
 朝、朗々たる勤行・唱題で、わが胸中に太陽を昇らせれば、きょう一日を勝っていける。
 日蓮大聖人の「日」には、太陽の意味がある。
 太陽の光は、全人類に、平等に、燦然と降り注いでいる。地位や肩書など関係ない。
 太陽とともに生きる皆様が、不幸になるはずがない。絶対に幸せになれる。朝の太陽のごとく、強く、堂々と、すべてに勝利していけるのだ。
 創価の太陽として、世紀を照らしゆく皆さま方が、ますますご健康で、ご長寿で、晴れ晴れと、創価の希望の声、前進の声、そして勝利の声を響かせていかれることを祈りたい。
 戸田先生は言われた。
 「“強気の存在”となれ! そうでなくては、人はついてこない」
 最後に、青年部に御聖訓を贈りたい。
 「師弟相違せばなに事も成べからず
 きょうはありがとう! お元気で!

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