Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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第二章平和の橋
「平和と人生と哲学を語る」H・A・キッシンジャー(全集102)
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多すぎる情報の中で
現代に生きるわれわれは、情報の洪水が個人の孤立化を進めるというパラドックスをかかえている
池田
今日、先進諸国は工業化社会の段階を終えて、情報化の波が洗い始め、それぞれ新しい対応を迫られています。情報化社会の最大の問題点は、すでに指摘されているように、極度の人間疎外にあります。
ご存じのように、情報化社会は、すべての知識を情報の断片に還元して問題を処理してしまう社会である。一個の人間、あるいは人類がこれまで蓄積してきた知識の体系が、連関性を失って拡散してしまう性格を強くもっています。
しかも情報というものは、その性質上、より多く集められることによって力を発揮するものです。生活次元で言っても、私たちは朝から晩まで、じつに大量の情報洪水の中で生きていると言ってよい。しかしそれをどう受けとめ、活用していくかについての訓練は、往々にしてなされていないのが現状ではないでしょうか。
大衆は一方通行の情報の流れにさらされ、主体性を喪失して、その中に埋没し、無気力化を余儀なくさせられております。その事態が、必然的に行き着くのが、情報操作による大衆操作の問題です。
いうまでもなく、情報はすべての人に平等に与えられているわけではない。この情報の偏在という問題があります。日常、情報が洪水のごとく流されているといっても、本当に重要な情報、価値ある情報は、ごく一部の層によって握られ、管理されているのが常である。まさに、情報を握る者は力を握るのです。
こうした一部の層による情報の独占・管理は、民主制社会の基盤を掘り崩す恐れを多分にはらんでいます。
私の知人であるオックスフォード大学のブライアン・ウィルソン教授は、情報化社会では、一方に情報を独占する巨大機構、他方に無気力化した大衆という二極分化が進む。その中で、その中間にあって大衆の参加意識をくみあげ、他方、巨大機構にも一定の制約、影響を与えていく点に、宗教組織の社会的意義を見いだしておられました。
また近年、日本でも職場のOA化(オフィスオートメーション化)がめざましい速度で進んでいる。従来の作業の多くの部分がコンピューター・システムに置き換えられ、これを使いこなせないと、職場に適応していくことができなくなります。中高年者が慣れないシステムに悪戦苦闘し、そのストレスで神経をすり減らしている姿は、今や決して珍しいものではありません。
キッシンジャー
今日以前のほとんどの世代においては、情報不足が問題となっておりました。
しかし現在では、一人ではだれも処理できないほどの情報があります。
池田
多すぎる。
キッシンジャー
その反面、情報の意味に対する理解は不足しております。
情報というものは、なんらかの価値観や目的観と結びついた場合に、初めてそれ自体の意味をもつものです。
したがって、現代に生きるわれわれは、情報の洪水が個人の孤立化を進めるというパラドックスをかかえております。
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いわゆる“メディアの権力”について
“時代の空気”“実態のない告発”“言論の凶器”
池田
それに関連して、マスメディアは「第四の権力」と言われるように、現代において強大な力を得ております。
しかし、司法、立法、行政の三権は、その分立関係が憲法などによって明文化され規定されているのと異なり、報道界の権力には他のような規定が明確でありません。
言論・表現の自由、「知る権利」などの一般的な規定は存在しても、明確に制度化されたものではなく、チェック・アンド・バランスの相互抑制の枠外にあります。
その運用はただただ人為的努力にゆだねられていると言えましょう。ここに報道界のありようの問題点があります。
マッカーシー反共旋風は、その一つの象徴であったと思います。すなわち、“時代の空気”に流され、長期にわたりマッカーシーの跳梁を許した弱さ、客観報道の名分のもと、結果的に彼の“実態のない告発”を喧伝しつづけることとなったもろさが、無実の被告発者に対して、“言論の凶器”とさえなったのです。
また、報道界が、民衆の知る権利に応える“公器”という、本来の目的と理想を忘れ、言論・表現の自由の名分のもとに、恣意的でかつ明らかに偏向的な報道、人権無視の報道の猛威を振るったならば、社会に与える悪影響ははなはだしいものがある、と言わざるをえません。昨今のわが国の言論界、マスコミ界をめぐる現状の中で、私はこのことを痛感してきた一人でもある。
もちろん、これは安易に他の政治権力や法規定にその掣肘役をゆだねることが、言論の自由そのものをいちじるしく制限し、失わせかねないというむずかしさを十二分に理解し、また大前提として申し上げるのです。
キッシンジャー
まずメディアについてですが、もちろん私の場合は、アメリカのメディアについて語るのが適任でしょう。他の国のメディアについては詳しく語ることができません。
最初に、アメリカのメディアは多くの優れた業績を残してきました。政治権力の濫用を抑制する役割を果たし、多くの社会悪を摘発してきました。
メディアの活躍がなかったら、そうした社会悪が暴露されることはなかったでしょう。その点では、わが国のメディアは十分信頼に値します。
池田
そうでしょうね。
キッシンジャー
しかしまたメディアは、アメリカ社会の中で〈抑制と均衡〉の対象とならない唯一の制度であります。メディア同士が互いに批判しあうということは絶対にありません。
したがって、あるメディアが不当な行為をしたとしても、他のメディアがそれを指摘することはありません。むしろその行為を支持する傾向があります。
池田
そのとおりです。
キッシンジャー
第二に、多くのジャーナリスト、とくに若い世代の人は、既存の制度に敵対的な態度をとりながら成長してきました。ゆえに彼らはきわめて批判的であり、しかもその非協調的な態度を中和する前向きの視座を欠いているのです。
このように、社会全般におよぶメディアの影響は、非常に狭い、ときには破壊的ですらある見方から出てくる傾向があります。
池田
そうですね。日本と同じだ。(笑い)
キッシンジャー
しかし私は、政府がメディアを統制すべきではないと信じております。メディアが、効果のある自粛の制度を、みずからの手でつくるべきだと思います。
池田
賛成です。とくに十五年ぐらい前から、私もそのように思っておりました。
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