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日蓮大聖人・池田大作
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創価女子会館・開館3周年記念協議会
2009.6.4 スピーチ(聖教新聞2009年下)
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12
「女子部永遠の五指針」の第2項目は、「世界一の生命哲学を学ぶ」である。
日蓮大聖人は明確に、「持たれる法さえ第一ならば、持つ人も同じく第一なのである」(御書465㌻、通解)と仰せであられる。
人間の本当の偉さは、何で決まるか。
財産や名声、美貌などでは、決まらない。
有名になって、一時的に脚光を浴びたとしても、長い一生にあって、不幸な流転をたどってしまう人生模様も少なくない。
人間の究極の偉さは、いかなる法を持ち、いかなる哲学を学び、実践し抜いたかで決まる。
「世界一の生命哲学」を持った皆さん方は、「世界一の充実した高貴な青春」を、そして「世界一の価値ある勝利の人生」を歩みゆく方々なのである。
13
最高の宝は自分 宝を磨きゆけ!
19世紀に生を受け、善なる民衆の勇気を鼓舞し、社会の変革のために戦った言論の闘士がいる。フランスの女性作家、ジョルジュ・サンドである。
彼女は、小説の主人公の歌姫に、こう語らせている。
「身分の高い人たちを見れば見るほど、哀れみを感じます」「あの人たちは目立ちたがり支配したがります。そこが狂気の沙汰で惨めなところです」(持田明子・大野一道監訳、原好男・山辺雅彦訳『歌姫コンシュエロ㊦』藤原書店)
誇り高き芸術家の達観といえよう。
見えっ張りな人間、威張った人間、権力の魔性に狂った人間ほど、哀れなものはない。
友のため、社会のため、気高き理想のために行動する、皆さんのほうが、ずっと偉大だ。幸福である。
人は、どうしても、きらびやかな世界に目を奪われがちだ。世間でもてはやされると、偉そうに見える。社会的地位が高いと、立派に思う。いずれも愚かな錯覚にすぎない。
自分以上の宝はないのだ。自分を離れて幸福はない。本来、自分ほど素晴らしいものはないのである。
これが仏法である。自分という最高の宝を輝かせるのだ。これが真実の哲学である。
大抵、人を見ると、自分と比べてしまう。
もちろん、人から優れた点を学ぼうという気持ちは大事だ。
しかし、「あの人はいいな。幸福そうだ。立派そうだ」と、うらやんでも、つまらない。何にもならない。
自分自身を磨いて、自分自身が生きがいを感じて、生きていくのが勝利の人なのだ。
これを深く心に刻んでいただきたい。
14
全人類の平等と尊厳と幸福の道
法華経は、「女人成仏」を通して、全人類の平等と尊厳と幸福の道を開き切った、世界史を画する生命哲学である。
御書には、「この法華経は、女人成仏を手本として、一切衆生の成仏が説かれている」「法華経の中では、女人成仏が第一である」(1311㌻、通解)等と記されている。
皆さん方の尊き先輩たちの真剣な祈りと、粘り強い努力によって、いよいよ「女性の世紀」が開かれてきた。
皆さん方が躍り出る晴れ舞台は、世界中に広がっている。
「
行学の二道をはげみ候べし、行学
たへ
絶
なば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりとも
かた
談
らせ給うべし
」とは、「諸法実相抄」の重大な一節である。
この仰せ通り、「行学の二道」に励んだ青春が、いかに崇高であるかを、皆さん自身が体験し、そして証明していっていただきたい。
15
御聖訓には、こうも記されている。
「法華経を、他の人が読むのは、口でばかり、言葉ばかりでは読むけれども、心では読まない。心では読んでも、身では読まない。(あなたはこのように難にあって)身と心とで共に読まれたことは、じつに貴いことである」(同1213㌻、通解)
大聖人の御心に寸分違わず、正義を師子吼したゆえに、命にも及ぶ難を受け、ありとあらゆる障魔と戦い切ってきた。これが、創価の師弟である。
女子部の皆さんは、栄光輝くこの道を、真っすぐに受け継いでいっていただきたい。
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生命の奥深さを知る喜び!
「女子部は教学で立て」これは、戸田先生の不滅の指針である。
この日蓮仏法が、どれほど偉大な人類究極の幸福と平和の大哲学であるか。
人間自身を革命し、民衆の心を結び、世界の運命をも転換していく。その根本的方途は、仏法の英知によるしかない。
戸田先生は、鋭く喝破された。
「外界がいかに究め尽くされても、生命自体の幸福の世界へは手のつけようがない」
「日蓮大聖人は、いかにすれば人類が幸福になれるかを探究なされた。
この大聖人の生命哲学を、我々が学び、実践し切った時に、絶対に幸福になれる、最高の哲学が輝いていくのです」
また哲学の意義について、先生は、こうも述べておられた。
「何のために、哲学は人間に必要なのか。何のために、仏法は人生に必要なのか。
ただ自由勝手でよいならば、学校に行く必要もない。勉強する必要もない。信仰をする必要もない。しかし、それでは、必ず後悔が残る。
哲学を学び、仏法を学び、生命の奥深さを見出していく。そして広々とした心で、深く感涙し、感動しながら、永遠の喜び、真実の幸福を探求し、体得することが、どれだけ大いなる歓喜であるか。
人生の深き不思議さとともに、無限の喜びに充ち満ちる自己の生命を知ることの嬉しさは、いかばかりであろうか」
さらに先生は、こう断言なされた。
「創価学会は御本尊を根本として、広宣流布という崇高なる目的をもって進んでいる。そして、世界最高の東洋仏法の真髄であり、全世界最高の大哲学である教学をもって、実践しているのである」
創価とともに、広宣流布に生きる皆さん方の宿縁の深さは、計り知れないのである。
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戸田先生は、女子部に教えられた。
「人生をよく見つめ、自分観、人生観、社会観、宇宙観、この4つを、きちっとまとめているのが仏法なのです」
「もっと御書をよく拝するのだ。なんでも御書に、ちゃんと書かれている」
「どんな問題が起ころうとも、御書を根本とすれば、決して紛動されることはない」
「妙法という最高の価値観に立てば、何事も、どう進めばよいかがわかるのだ」
信心の眼で見れば、進むべき道が見えてくる。虚栄や偽善に惑わされてはならない。
女子部教学室の友も、真剣に歴史を創ってきてくれた。
揺れ動く多感な青春の心に、教学という揺るがぬ柱を打ち立てる意義は、実に大きい。
大切な女子部の皆さん方に、先生の大確信の指導を捧げたい。
「まず“私は、こうするのだ。こう戦うのだ”と決め切ってごらん。それが哲学だよ」
「南無妙法蓮華経の哲学を実践しているのは、創価の師弟以外にいない。女子部は、この哲学をしっかり身につけて、広宣流布を成し遂げていただきたい。頼みます!」
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学びの青春を
「幸福論」で有名なフランスの哲学者アランは論じている。
「幸福はいつも逃げ去る、と言われる。これはもらいものの幸福についてなら正しい」「だが自分で得る幸福は本物だ。それは学ぶことだ」(橋田和道訳『アラン教育随筆』論創社)
学ぶ青春は、幸福の道である。
きょうは、女子学生部の代表も参加されている。どうか、皆さんは、生き生きと学び、世界で光る教養と実力をつけていっていただきたい。
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不動の信心たれ
ロシアの文豪トルストイは、釈尊の思想から学んだ信念として、次のような言葉を残している。
「もし人が善き思想によって語ったり行動したりすれば、影の形に添うごとく、喜びが彼につきまとうであろう」(北御門二郎訳『文読む月日』ちくま文庫)
またトルストイが、100年前に綴った日記がある。先日、わが創価学園出身の女子部の文学博士が翻訳し、届けてくれた。
「現在を大切に生きれば、それだけ、永遠の人生、不動の人生を生きることができる」
その通りである。
現在の女子部の時代に、永遠の大福運を積みゆけ! 不動の信心を築きゆけ!
こう私は、声を大にして叫びたい。
私の妻も、女子部の時代に、揺るがぬ信心の土台を築き上げた。
折伏、個人指導、人材育成にと走り、広布の大闘争を貫いた。恩師のために、人生のすべてを捧げてきた。その心は、今も昔も全く変わらない。
師匠のため、同志のため、広布のために、わが身をなげうって戦い抜く。
これこそ、真実の学会精神である。
20
「女子部永遠の五指針」の第3は、「何があっても負けない青春」である。
日蓮大聖人は厳然と記しておられる。
「法華経を持つ女性は、他の一切の女性にすぐれるだけでなく、一切の男性にも超えている」(1134㌻、通解)
皆様が、どれほど尊貴な存在であるか。
また、大聖人は「法華経の師子王を持つ女性は、一切の地獄・餓鬼・畜生などの百獣に恐れることはない」(1316㌻、通解)等と、繰り返し、女性の弟子を励まされている。
この妙法を持ったということ自体、「何があっても負けない」ということなのである。
さらに大聖人は、こうも仰せである。
「たとえ太陽と月が地に落ち、須弥山が崩れたとしても、(妙法に尽くす)あの女性が仏になられることは疑いない」(1390㌻、通解)
「たとえ、どんな煩わしいことがあっても、夢だと思って、ただ法華経のことだけを考えていきなさい」(1088㌻、通解)
不確かな現実に一喜一憂したり、翻弄されるのは愚かである。
「何があっても私は広宣流布に生き抜く」と決め切って、平然と、悠然と、使命の青春を走り抜いていくことだ。
幸福の花は、忍耐と努力の根がありてこそ、美しく咲くことを、決して忘れてはならない。
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「無事故第一」で聡明な前進を
戸田先生は指導された。
「御本尊を受持し、強盛に信行学に励めば、いつまでも、悩める凡夫でいるわけがない」
また、こうも言われた。
「どんな辛いことも、あとになってみれば、全部、夢のように、消え去ってしまうものだ。だからこそ、長い目で、時を待つ忍耐を忘れてはならない」
「辛抱強くなることだ。御書に“忍辱の鎧を着て”という言葉があるではないか。
その実践が本当の仏道修行だと思ってもらいたい」
戸田先生は、“勝つこと以上に、断じて負けない青春を”と幾たびとなく呼びかけられた。
私の妻も、その指導のままに「負けない青春」「負けない人生」を歩み通してきた。そして、勝った。
皆さん方は、その後に続いていっていただきたい。
また、濁世の社会にあって、事故などに巻き込まれないことも大切である。帰宅も夜遅くならないよう、細心の注意を払って、どうか「無事故第一」「健康第一」の聡明な前進をお願いしたい。
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正義を叫び抜け
大事なのは「勇気」である。
ポーランド出身の女性革命家ローザ・ルクセンブルクは同志に呼びかけた。
「何も怖れることなし」(伊藤成彦・米川和夫・阪東宏訳『ヨギヘスへの手紙』河出書房新社)
「勇気をだして」「勇気を!」(同)
かつて、女子学生の有志が、夏季講習会で、このローザ・ルクセンブルクにちなんだ歌を、元気いっぱいに歌ってくれたことがあった。
早いもので、それから、もう40年になろうか。その時の「青春勇舞会」の友も、婦人部のリーダーとして、今も変わらぬ大情熱で活躍してくれており、うれしい限りだ。
アメリカの女性詩人であるエミリ・ディキンスンは綴った。
「波乱と難局にあって、巨大な円柱のごとき自分自身を頼りにすることは、なんと心強きことか。
自分という確かなものを持つことは、なんと素晴らしいことか」
永遠に、何があっても揺るがない自分自身の生命をつくり上げていく──これが信心である。これが青春の学会活動である。
イタリア・ルネサンスの巨匠であるレオナルド・ダ・ヴィンチは、「青春は再びかえらず」と述べている(カール・ヤスパース著・藤田赤二訳『リオナルド・ダ・ヴィンチ』理想社)。
レオナルド・ダ・ヴィンチといえば、かつて、世界最古の総合大学であるイタリアのボローニャ大学で、「レオナルドの眼と人類の議会──国連の未来についての考察」と題して講演を行ったことが懐かしい。〈1994年6月。名誉会長はこれまで、海外の大学・学術機関で32回の講演を行っている〉
ダ・ヴィンチが言うように、青春は二度とやってこない。
今、女子部の皆様は尊き青春の時代を生きている。
だからこそ、思い切って戦っていくことだ。創価の正義を叫び抜いていくことだ。
23
私がやります!
若いということが、どれほど大きな力を秘めているか。
私も、青春時代、戦って戦って、戦い抜いた。
戦後、戸田先生の事業は破綻し、膨大な負債を抱えた。
先生のことを「馬鹿野郎!」と罵り、去っていった人もいた。先生は、学会の理事長を辞めざるを得なくなった。
その中で、私は「私がやります! 私が働いて、先生をお護りいたします!」とお誓い申し上げた。
当時、私は20代。若かった。師匠のために働き抜いた。
やがて事業は苦境を乗り越え、戸田先生が第二代会長に就任された。
しかし、今度は折伏がなかなか進まない。
先生は「このままでは、広宣流布に5万年かかってしまう」と嘆かれた。
この時も私は「断じて私がやります!」と立ち上がった。
私は蒲田支部の2月闘争で折伏の壁を破り、75万世帯達成への突破口を開いた。
猛然と、うねるような勢いで拡大の歴史を築き、新しい学会の発展の流れをつくっていったのである。
24
職場で「なくてはならない存在」に
戦争が終わった後、私は昭文堂という小さな印刷会社に勤めていた。
昭文堂の主人は、私の仕事を全面的に信頼してくださっていた。できるだけ長く自分の会社で働いてもらいたいと考えておられたようだが、肺病を患っていた私は会社を辞めざるを得なくなり、自宅から近い蒲田工業会に勤めることになった。
やがて戸田先生の会社で働くことが決まり、蒲田工業会を辞めることになった時も、上司や同僚が「どうしても辞めなければいけないのか」と別れを惜しみ、心のこもった送別会を開いてくれた。
職場で信頼を勝ち取り、なくてはならない存在になる。それでこそ、学会の青年部だ。
“あなたがいると会社がどんどん発展する”──そう言われる存在になっていただきたい。
また、真剣に信心をし、誠実に努力を重ねていけば、必ずそうなっていけるのである。
25
へこたれず前へ
皆さんが、友のために懸命に題目を唱え、行動する。学会活動に励む。これほど尊いことはない。
日蓮大聖人が御賞讃くださることは、絶対に間違いない。また現実の生活の上にも、厳然たる功徳の実証が現れる。
他人が見ていようが見ていまいが、そんなことは小さなことである。
広布に生き抜く人生には、何の悔いも残らない。すべての苦労が生かされていく。勝利の因となる。
堂々と、誉れの学会員として、私と一緒に戦っていこう!〈「ハイ!」と元気な返事〉
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米(アメリカ)ハーバード大学の女性の文化人類学者であるベイトソン博士は述べている。
「失敗するたびに『そらみろ』といった目で見られるために、『やっぱり』と簡単にあきらめていては、伸びる芽も伸びない」(桜内篤子訳『女性として、人間として』TBSブリタニカ)
失敗を恐れない──女子部は、これでいこう! 何があってもへこたれずに、前へ、前へと進むことだ。そして最後に勝てばいい。
このベイトソン博士は、私がハーバード大学での2度目の講演で語った「生も歓喜、死も歓喜」の哲学に、深い共感を寄せてくださっている。〈名誉会長は1991年9月、93年9月の2回、同大学で講演を行った〉
世界最高峰の大学や、フランス学士院などの学術機関から招聘を受け、講演を行う──それ自体が、大変な名誉である。講演が終わった後、万雷の拍手が鳴りやまなかったことも、忘れ得ぬ思い出である。
アンデルセン 「あなたには若さがある すぐに痛手を いやして 明るい幸せな日が来ます」
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永遠に若き心で
デンマークの作家であり、「童話王」として世界的に有名なアンデルセン。その小説の中で、登場人物がこう語る。
「明るい、幸せな日が来るわ。あなたには若さがあるんですもの。若さというのはすぐに痛手をいやして、心身ともに健やかにしてくれるものよ」(デンマーク王立国語国文学会編集・鈴木徹郎訳『アンデルセン小説・紀行文学全集3』東京書籍)
悩みに断じて負けず、乗り越える。それが青春の戦いであり、青春の力である。
「健康的な、朗らかな青春であれ!」と申し上げたい。
もちろん、年を取ったからといって、元気をなくしてしまってはいけない。
妙法に生き抜く人は、生涯「青春」である。生き生きと活躍する婦人部の大先輩たちのように、永遠に“女子部の心”で進んでいただきたい。
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女子部の皆さんの中には、結婚について悩む人がいるかもしれない。
具体的なことは、ご両親や、婦人部をはじめ信頼できる先輩などに、よく相談していただきたい。
その上で大事なのは、しっかりと御本尊に祈っていくことだ。
焦る必要はない。早く結婚したから幸福かといえば、そうとも限らない。素晴らしい相手と出会えるように、また、自分にとって、最高の形で結婚できるように、祈っていけばいいのである。
そして、信心でわが生命を磨きながら、自分らしく輝いていっていただきたい。
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アンデルセンはこうも綴っている。
「わらいはどんなかなしみをもやわらげる/信じたまえ、わたしたちのほめたたえる人は/たいていわらったことで幸福をえたのだ!」「わらいは敵をもたおす」(山室静訳世界の詩73 アンデルセン詩集』彌生書房)
戸田先生の弟子として、女子部時代から薫陶を受けた私の妻は、どんな大変な時でも笑顔を絶やさなかった。
皆様もまた、何があっても、快活に進んでいただきたい。題目をあげ抜き、強き生命力を湧き出して進んでもらいたい。
女子部に信心の歓喜の笑顔が輝く限り、学会は強くなり、発展していける。私は、そう強く申し上げたい。
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「一人」の真心が、どれほど偉大か。「一人」の信心の波動が、どれほど大きいものか。
日蓮大聖人は、さじき女房という女性門下に宛てた御手紙のなかで、法華経に供養する深い意義について、次のように仰せである。
「たとえば、春の野が千里ほどにも広がって草が生い茂っている所に、豆粒ほどの小さな火を一つの草に放てば、それはたちまちに燃え広がって無量無辺の火となります」(御書1231㌻、通解)
鮮やかな譬えである。そして、一人の供養から生じた功徳は、その父母や祖父母にも、家族にも、さらに多くの衆生の生命にまで広がっていくというのである。
“一つの行動”から、すべては始まる。“一言の励まし”から、勇気が生まれる──この大原則をわが身に体現し、広宣流布の舞台を広げてきたのが、皆さんの先輩である婦人部の方々だ。偉大なる婦人部は今月10日、結成58周年を迎える。おめでとう!
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「変革できない分野などない」
世界人権宣言の起草に尽くした、「アメリカの人権の母」エレノア・ルーズベルト大統領夫人は、最晩年の著書に綴っている。
「私たちが本当に強く願い、その願いに対して確信を持ち、その実現のために誠心誠意、行動するならば、人生において、願いどおりに変革できない分野など、何ひとつないと確信しています」
創価の女性の決心と通じ合う言葉である。いわんや私たちは、無上の妙法を持ち、広宣流布の大道を歩んでいる。不可能に思える困難が立ちはだかったとしても、すべてをよりよく変えていく力の源は、この信心である。
また、エレノア・ルーズベルトは訴えた。
「私が深く確信すること。それは“私たちの歴史は、私たちが創っている”ということです。
歴史がどのような方向に進むかは、私たちの選択によって決まります。その選択は、人々の持つ思想、信念、価値観、そして夢から生まれてくるのです」
戦争から平和へ、対立から共生へ、あきらめから希望へ──新しい歴史を創っているのが、創価の民衆運動である。
私たちは、広宣流布という壮大な夢に生きましょう! ともどもに!
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声を惜しまず
さて、女子部への新指針の第4は、「正義と友情の華の対話を」である。
私たちの世界において、対話の意義はまことに大きい。
大聖人は「この娑婆世界は{耳根}(にこん)得道の国(仏法を耳で聞くことによって成仏する国土)である」(御書415㌻、通解)と明言されている。
ゆえに、妙法を相手の耳に入れ、仏縁を結ぶことが、どれほど尊い仏の仕事であるか。皆様方の対話こそ、何ものにも勝る幸福と正義の拡大なのである。
大聖人は「仏になる法華経を耳に触れるならば、これを種として必ず仏になる」「とにもかくにも法華経を強いて説き聞かせるべきである」(同552㌻、通解)等々、明快におっしゃっている。
最極の正法正義を、多くの友に、声を借しまず語り切っていくことである。
語った分だけ、永遠の幸福の仏縁が結ばれる。語った分だけ、わが生命に、永遠の福運の歴史が刻まれる。
「
須
すべから
く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき
」と説かれている通りである。
33
臆せずに語れ
とくに、正義を語るに当たっては、臆してはならない。遠慮してはならない。大聖人は「少しもへつらわずに振る舞い、語っていきなさい」(同1164㌻、通解)と励まされている。
真実をありのままに、毅然と言い切っていく強さが、折伏精神である。学会精神である。広宣流布の精神である。この誇り高き強さがあったから、今日の学会があるのだ。
戸田先生は対話のポイントを指摘された。
「相手に真面目に真実を語る。そして心にあるものを訴えていく。
これが創価学会の発祥の原理であり、発展の原動力である」
「心と心の交流、友情の拡大、異なる文化の理解を育む“人間主義の対話”が大事である」
そして戸田先生は次のように教えられた。
──仏法の難解な法理をいきなり説いても、理解されるものではない。
時には、文学に話題を広げ、また、音楽を論じ、絵画について語り合いながら、心広々と、心豊かに、この大法を弘めていくのである──
恩師の教えを胸に、私も、あらゆる壁を乗り越える対話を心がけてきた。妻と一緒に、あの国にも、この大陸にも、世界中に対話の道を開き、友情の橋をかけてきた。
すべて、女子部の皆さんたちに託していく宝である。どうか、創価の哲学者として、思う存分に、楽しく伸び伸びと、対話の華を広げていっていただきたい。
34
誠実の人たれ
人間性をめぐる世界の箴言を、さらに幾つか紹介しておきたい。
ドイツの文豪ゲーテは「誠実なのが やはり一番」(生野幸吉訳「西東詩集」、『ゲーテ全集2」所収、潮出版社)と記した。
この言葉は、むしろ男性が心すべきであろう。
仏法を根本に生きる誠実の人を、諸天が護らないわけがない。
「偉い人間ほど気取らないものです」(村岡花子訳『スウ姉さん』角川文庫)──これは、アメリカの作家エレナ・ポーターの言葉である。
リーダーは、同志に真心をもって尽くすためにいる。断じて偉ぶるためではない。皆さんも、この点を忘れてはならない。
アメリカの思想家エマソンは論じている。
「一人対一人のこの法則は、対話にとっては欠くべからざるもので、而かもその対話なるものは、友情の実行であり、成就であるのである」(平田禿木訳『エマアソン論文集 上巻』国民文庫刊行会、現代表記に改めた)
一対一の対話を積み重ね、友情を拡大しゆく人生が最も尊い。
また、対話を通して最高峰の思想、哲学を語っていけるということは、世界市民としての誉れでもある。
御書には「常に語り合って生死の迷苦を離れ、同心に霊山浄土においてうなずき合って話しなさい」(900㌻、通解)とある。
永遠の常楽我浄の境涯を、同志とともに勝ち開いていけるのが妙法である。
35
目・耳・口の三重苦を乗り越えて、社会福祉事業家として貢献した、あのヘレン・ケラーは語っている。
「思想は、炎や剣よりも強いものです。それは、国から国へと、音もなく広がり、人類は、その豊穣なる実りを求め、それを収穫するのです」
今、皆さんは、来る日も来る日も「一人」の友と誠実な対話を重ねている。こうして草の根の対話を地道に繰り広げていることが、やがて世界広宣流布の大輪の華と咲き薫っていくのだ。
ゲーテの詩に、通りすがりの小さな花との出あいをうたったものがある。
これまでにない、かわいい花。折ろうとすると、花が言う。
「私にゃ根がある/人の知らない
地面にふかく/根ざしているので/それで私の花はきれいだ」(三浦吉兵衛訳『ゲーテ全集第1巻』大東出版社、現代表記に改めた)
人知れず、努力を重ね、妙法の大地に深く根を張ってこそ、自分にしかない使命の花を咲かすことができる。
そしてその花は、世界に、未来に、限りなく希望の種を広げていくのである。
36
女子部の「永遠の五指針」の第5は、「永遠に師弟勝利の門を開く」である。
有名な御聖訓には、「
女子
おなご
は門を
ひら
開
く
」と仰せである。
一人の乙女から、どれほど大きな幸福と繁栄の門が開かれていくことか。
「門を開く」──この短い一言から、女性に寄せられる、日蓮大聖人の甚深の御期待が拝されてならない。
思えば、法華経に登場する若き竜女は、偏見や差別が渦巻くなか、それまでの価値観を打ち破って、「女人成仏」を身をもって示した。
自身の成仏を通して、一切衆生が成仏できることを証明したのである。
その姿に、娑婆世界の衆生は「心大歓喜」──心は大いに歓喜して、竜女に敬礼を捧げたと説かれている。
私は、「心大歓喜」の経文を認めた和紙を、広宣流布の「希望の門」を開く女子部の皆さんの活躍を祈り、ここ創価女子会館の誕生を記念して贈らせていただいた。
37
師と共に!
竜女は、大師匠である釈尊に誓う。
──ただ仏のみが自分の成仏を知ってくださっています。
私は大乗の教え(法華経)を開いて、苦悩の衆生を救ってまいります──
竜女には、師匠がすべてを分かってくださっているという深く強い確信があった。
そして「師と共に」不惜身命で戦い抜くという誓願があった。
「師と共に、広宣流布に尽くそう!」
「師と共に、皆に励ましを贈ろう!」
そのように“誓う”心の発露には、立場も役職も関係ない。距離も関係ない。
池田華陽会の歌「華陽の誓い」に込められた「誓い」の二字。
今の皆さん方が、青春の、わが誓いを果たし抜いていくなかで、いかに壮大な広宣流布の勝利の劇が織り成されていくことか。
そして、皆さんの「青春のスクラム」が、未来永遠の希望の鑑として仰がれていくことは、絶対に間違いないのである。
38
妙法に生きれば自在の大境涯に
皆さんの大先輩で、「師弟勝利の門」を大きく開いた一人に、多田(旧姓=湊)時子さんがいる。
1925年(大正14年)の10月に生まれ(5歳になる前に父が他界。自身も病で苦しみ、戦争で青春を奪われた。終戦後、最愛の母まで亡くした。
生きる希望を失いかけた彼女が、入会したのは1951年(昭和26年)の8月。
御本尊を御安置する時に駆けつけたのが、当時、女子部の班長であった私の妻である。
妻のほうが年下であったが、信心の先輩として、また親友となって、妻は彼女を励まし続けていった。
不幸と貧乏のどん底にあった彼女は、信心で蘇生し、鮮やかな青春勝利の劇を綴った。
戸田先生のもと、「華陽会」の一員に選ばれ、薫陶を受けた。
人間は、出会う人によって、指導のいかんによって、大きく変わっていけるものだ。
戸田先生が逝去された直後の1958年(昭和33年)5月3日、多田さんは全国女子部長となった。
5年間で、女子部を5万5千人から40万人へ、じつに7倍以上に拡大した。
また、今や世界中で歌われる愛唱歌「今日も元気で」が誕生したのは、彼女が全国婦人部長の時代である。
女性の時代の先駆として衆議院議員も務めた。引退後、広布の最前線に舞い戻って恩返しの戦いを貫き、多くの後輩を育て上げた。
多田さんは、日本の女性リーダーの一人として、世界の名士とも堂々と語り合った。
妙法に生き抜く人生は、まさにそのように、無数の諸天善神と語り、仏菩薩と握手を交わすような、自由自在の大境涯となる。
最高の栄冠に輝く生命となる。
これを深く確信していただきたい。
〈多田さんは、2000年(平成12年)12月2日に亡くなる2週間ほど前、名誉会長夫妻に心からの感謝の書葉を残している。
「私こと、おかげさまで、入信以来、五十年。
池田先生、御奥様の無限の御慈悲に包まれまして、弟子の道の一分を、歩み抜かせていただきました。
稀有の大師匠にめぐり会えました福運により、黄金の人生を、そして望外の至福の人生を、歩ませていただきました。
この御高恩に対し、永遠に生死生死を繰り返しながら、必ずや、広布のお役に立ち、御深恩にお応え申し上げる決意でございます。
文は意を尽くさず、誠に申し訳ございませんが、一言、御礼を申し述べさせていただきました。
心より、心より、感謝申し上げ、厚く、厚く、重ねて御礼申し上げます。
池田先生、御奥様の愈々の御健康と、御長寿を衷心よりお祈り申し上げ、また創価学会の永久の御発展を、強くお祈り申し上げます」〉
39
伸びやかに
「伸びやかに生きる秘訣」は何か。
米ハーバード大学の文化人類学者、ベイトソン博士は、その一つとして「自分が他人と異なることが弱みでなく強みになりうることを認識すること」を挙げている(桜内篤子訳『女性として、人間として』TBSブリタニカ)。
急所を突いた指摘といえよう。
何より、私たちは信仰をしている。無限の希望の源泉である、大仏法を持っている。それこそが、最大の「強み」なのである。
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戸田先生は、よく語っておられた。
「創価の師弟を信じて、いかなることがあろうと、共に戦い進む同志の集まり。それが、学会の最大のあり方である」
師の心をわが心として、同志と苦楽を共にしていくのが、真実の弟子の道である。
反対に、偉大なものに嫉妬し、私利私欲に狂い、尊き同志を見下す増上慢の末路が、いかに惨めか。皆様がよくご存じの通りである。
20世紀の女性哲学者、ハンナ・アーレントは「嫉妬には傲慢と結びつく特徴がある」と書き残している(ウルズラ・ルッツ、インゲボルク・ノルトマン編、青木隆嘉訳『思索日記Ⅰ』法政大学出版局)。
どうか一人一人が、多くの後輩たちから、「あの人の生きたように!」と慕われる、輝く模範となっていただきたい。
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「白樺の心」よ世界に広がれ
女子部「白樺グループ」(看護者の集い)の結成40周年、本当におめでとう!
婦人部「白樺会」の皆さんも、いつも大変にご苦労さまです。
日ごろから同志の健康を厳然と守ってくださっている、一番尊い方々である。
生命ほど大切な宝はない。その生命を守る白樺の方々に対して、社会は最高の勲章を贈って讃えるべきである──これが私の持論である。
生命を軽視する風潮が強い時代にあって、生命尊厳の大哲理を掲げ、「生命の世紀」を建設する白樺の皆さんこそ、まさに「慈愛の博士」であり「慈愛の天使」である。
「白樺の心よ、全世界に広がれ!」と、私たち夫婦は祈り、叫びたい。
大切な白樺の友と一緒に、「生命尊厳の21世紀」を築いてまいりたい。
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女性に最敬礼
「鉄鋼王」として名高い、アメリカの実業家、カーネギーは述懐している。
「私たちの経験からいうと、若い女性は、男子青年よりも信頼がおける」(坂西志保訳『カーネギー自伝』中公文庫)
広宣流布の世界も、事実のうえで、女性の活躍が光っている。
さらに、社会の各界のリーダーから、女子部への賞讃の声が、多数、寄せられている。
仏法は男女平等であり、妙法の女性は一人も残らず、かけがえのない使命を持った最高に尊貴な人である。
ゆえに、男性は女性に対し、「いつもありがとうございます」と最敬礼する思いで、心から尊重し、応援していくべきだ。これを、より一層、実行していけば、広布の勢いは倍加する。
もしも、威張る男性や生意気な男性がいたならば、女性が声をあげ、正していくのだ。
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戸田先生は、「広宣流布は女性の力で成し遂げられる。尊きは、女性の力である」と断言された。
さらに、先生は次のように宣言された。
──女子部員を増やし、女子部を強くすることが、広宣流布の永遠の勝利の門を開き、創価学会の永遠の繁栄の門を開く、と。
戸田先生も、今の女子部の皆さんの姿をご覧になったら、どれほど喜ばれることか。
私は、わが人生の総仕上げのこの時、「華陽の誓い」を抱いて躍り出てこられた女子部の皆さんに、不思議な縁を感じてならない。
宝の中の宝である皆さんに、広宣流布の未来の一切を託していきたい。私と妻は、そうした祈りを込めて、皆さんを見守っている。
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創価の未来は華陽会と共に
この春、私は、「戸田大学」の卒業生として、また皆さんの代表として、北欧のデンマーク・南大学から「名誉博士号」を拝受した。
〈世界の大学・学術機関から250番目の名誉学術称号。現在、名誉会長は「256」の名誉学術称号を受章している〉
その名誉博士のメダルには、「童話王」アンデルセンの肖像が刻まれていた。
アンデルセンは高らかに謳った。
「世界は若い 若者とともに 若い」(デンマーク王立国語国文学会編集・鈴木徹郎訳『アンデルセン小説・紀行文学全集5』東京書籍)
この言葉を踏まえて
「創価は若い。華陽の友と共に若い」
そして──「未来は明るい。華陽の友と共に明るい」
こう、限りない期待を込めて、私は申し上げたい。
きょうの記念として、シンガポール国立植物園が命名してくださった“香峯子蘭”(デンドロビューム・カネコ・イケダ)の写真を贈りたい。
とともに、花の池田華陽会の皆様に
気高くも
優美に薫れる
香峯子蘭
華陽の姫も
喜び続きて
と和歌を詠ませていただいた。
大東京をはじめ、日本全国、全世界の華陽の同志に、「万歳!」と叫びたい。
わが使命の舞台で、「師弟勝利の花」を、美しく咲かせていっていただきたい。
お父さんやお母さんにも、お会いできなかった同志にも、くれぐれも、よろしくお伝えください。
〈ここで、参加者が池田華陽会歌「華陽の誓い」を、誇らかに歌い上げた〉
いい歌だ! ありがとう! この歌とともに、生涯、わが「誓い」を抱きしめながら、心晴れ晴れと進んでいただきたい。
皆さん、どうか、お体を大切に。仲良く、どこまでも仲良く!
悔いのない、素晴らしい勝利の歴史をつくっていただきたい。お元気で! また、お会いしよう!
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