Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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日蓮が一門 (第12・13回)

2009.4.22 「御書と師弟」

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1  御聖訓「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ、過去遠遠劫より已来日蓮がごとく身命をすてて強敵のとがを顕せ・師子は値いがたかるべし
2  立宗の大精神は学会に燦然
 ある時、戸田城聖先生は学生たちに語られました。
 「一緒に仏法の真の探究者になるというのならば、私の本当の弟子になれ!よそから来て聴いているような態度は、実によくない」
 師匠の教えを、まっすぐに実行してこそ真の弟子です。
 御本仏・日蓮大聖人の仏法を、現代に勇敢に実践し、世界に広げゆく仏意仏勅の正義の教団──それが創価学会であります。
3  末法万年の大法戦
 四月二十八日は、日蓮大聖人の「立宗の日」です。
 建長五年(一二五三年)のこの日、大聖人は安房国(現・千葉県)の清澄寺で南無妙法蓮華経と唱え出され、末法万年の一切衆生を救いゆく広宣流布の大法戦を開始されました。
 その時から即座に、諸宗の僧俗や権力者らが怨嫉と迫害の牙をいてきたのです。
 大聖人は諸御抄で、御自身とともに戦う弟子たちによる和合を「日蓮が一門」と呼ばれております。
 立宗以来、大聖人の大慈悲と正義の御人格をお慕いする門下が、各地で立ち上がりました。
 妙法を護持した師弟は、四条金吾ら鎌倉の門下、富木常忍ら千葉方面の門下、さらに日興上人に有縁の富士一帯の門下の広がりとなり、遠く佐渡の地にも使命の人材が育っていったのです。
 「一門」とは、師匠のもと、大勢の同志がともに励まし合い、守り合い、信心を根本に戦う広布の大連帯であります。現代的に言えば、妙法流布の「教団」であり「組織」でありましょう。
 今日、創価の師弟によって、百九十二力国・地域に広がった「日蓮が一門」の大海原を御覧になったならば、大聖人はどれほどお喜びになられることでしょうか。
4  大聖人門下の精神
 今回、拝読するのは「閻浮提中御書」の一節です。
 「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ、過去遠遠劫より已来日蓮がごとく身命をすてて強敵のとがを顕せ・師子は値いがたかるべし
 本抄は断簡(部分的に残された文書)であるため、対告衆などの詳細は不明ですが、この御聖訓は、大聖人門下としての根本精神を示されています。
 「師子王」とは仏のことです。大聖人御自身の王者の御境涯を表現されています。
 師匠は「師子王」である。ゆえに弟子たちも「師子王の子」となって戦え! 群れなす狐らなどに、断して笑われてはならぬ、との御遺誠であります。群れなす狐とは、ずる賢く正法を妬み誹謗し、広宣流布を阻もうとする者たちです。
 人生は戦闘。仕事も戦闘です。大聖人は”仏法は勝負”と言われています。どう勝つか。青年は勝ち抜く力を持たなけれぱいけない。誰にも馬鹿にされない常勝の実力をつけることです。その根本が絶対勝利の信心です。
 戸田先生は言われました。
 「大聖人の一門は師子王の子だ。師子王の子であるならば、鍛えれば鍛えるほど、たくましくなる」
 そのためには、どんな小さな事でも、油断せず、一つ一つ勝ち切っていくことが大事です。
 師子王は「ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり」と仰せの通りであります。
 敗北は不幸、勝利は幸福です。途中はどうあれ、最後は断じて勝つことです。
 師子王に続け! 断固勝ち抜け! 邪悪に負けるな! 勝って勝って勝ちまくれ! これが大聖人の御心であられます。
 そして御文の後半では、大聖人の。正義の一門”として歩む弟子たちの生き方を、端的に教えてくださっています。
5  師と共に師の如く
 その生き方とは──
 第一に、「日蓮がごとく」すなわち「師弟不二」の信心です。大聖人の広宣流布の御闘争に連なり、妙法を唱えに唱え、弘めに弘め抜く姿勢です。
 別の御書でも、大聖人は強調されています。
 「日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ
 「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり
 このほか、「日蓮が弟子等」「我が弟子等」「日蓮が一類」「各各我が弟子」等と、繰り返し門下に呼びかけておられます。
 一人ももれなく、恐れなく師弟不二の大道を歩み抜くように、強く打ち込んでくださっているのです。
 大聖人ほど、御自身の御名を高らかに叫ばれ、「私と共に!」「私の如く!」と弟子たちを高めていかれた薫陶は、古今東西の宗教史にあっても希有ではないでしょうか。
 それは、御自身が矢面に立たれ、三類の敵に心による怨嫉と迫害の嵐を一身に受けられるという御覚悟の上から、あえて師子吼された正義のが音声でもあられました。
 そのことによって、弟子たちを、強く賢く鍛え上げ、正義と勝利の人生を飾らせてあげたいとの大慈悲であられたと拝されます。
 譬えて言えば、師は”針”です。弟子は”糸”です。針に続いた糸によって、完全なる総仕上げができるのです。師弟の栄光を、厳然と後世に残しゆくことは、弟子の使命であり、責任なのです。
 師匠と共に! 師匠の如く!
 この一点こそ、広宣流布を成し遂げる根本であります。この「師弟不二」の精神を失えば、正義が勝ち栄えていくことはできない。また、未来への継承も成し得ません。
 師の御構想を、どう実現していくか。常に祈り、求め、思索し、師匠の心をわが心として戦っていく信心こそ、まことの師弟不二であります。
6  全生命を捧げて
 第二に、「身命をすてて」つまり「不惜身命」の勇気です。
 正法のために、命も惜しまず戦い抜く決然たる覚悟こそ、真正の弟子の証しです。永遠不滅の妙法に生き切れば、わが生命も永遠不滅に輝きわたる。
 大聖人御自身が「死身弘法」「忍難弘通」を貫かれました。師匠とは、常に弟子の模範となって先頭を走ってくださる存在です。
 その師匠に、無我夢中でつき切っていこうと精進するのが、弟子の道であります。
 格好主義ではいけない。たとえ自分が傷を受けても、師匠だけは絶対に傷をつけてはならない。自分が難を受けて立ち、師匠を厳護しよう。師匠が命がけで創ってくださった「一門」を栄えさせる礎になろう。この弟子の決定けつじょうした祈りと行動にこそ、厳粛な師弟の血脈が流れ通うのです。
 逆に、恩知らずに踏みにじったならば、仏法の報いは峻厳です。
 戸田先生は、「広宣流布は一人の青年が命を捨てれば必ずできる」と叫ばれました。ゆえに、私はその「一人の青年」になりました。
 昭和二十五年の夏八月、戸田先生の会社の業務が停止する危機の中、私は日記に記した。
 「万難来るとも恐るること勿れ 地涌の菩薩なれば 汝よ」
 「吹かば吹け 起つならたてよ 荒波よ 汝の力と吾れと試さん」
 戸田先生ほどの偉大な師匠にお仕えできた私の喜びと誇りは、言葉には尽くせません。私はやりました。それはそれは、全生命・全財産を捧げる思いで尽くし抜きました。自分のことも、わが家のことも、すべてを犠牲にする決心でした。その一念で、今日の世界的な大創価学会とすることができたのです。
7  世の深層に潜む敵
 第三に、「強敵の科を顕せ」とは「破邪顕正」の闘争です。仏法と民衆の怨敵に対して、敢然と破折する言論闘争です。
 「強敵」とは本抄では天台密教等を指すと拝されますが、広く大聖人一門を妬み、迫害を企てていた諸宗や権力者ととらえてよいでありましょう。
 大聖人は、「此れをせめずば大日経・法華経の勝劣やぶれなんと存じていのちまとに・かけてせめ候なり」とも仰せです。
 何と甚深の御心でしょうか。当時の宗教界の誤った権威に対して、御自身の御命を”的”に懸けて責め抜かれました。
 そして、世の中の深層に潜んで民衆の心を支配し狂わせていた強敵たちの科(とが・罪悪)を鋭く暴き出され、打ち破っていかれたのです。
 戸田先生は語られました。
 「大事なときに、強敵を打ち倒す歴史を築いていくのだ。そのために、責任ある闘争をしていかなければいけない。邪悪をただして正義の師匠をお護りする
 とは、すごい福運がつくんだよ。そこに、次の学会の発展の因が刻まれるのだ」と。
 広宣流布を妨げる、いかなる悪も断じて放置しない。「まぎらはしくば実教より之を責む可し」とも仰せです。この勇気ある破邪顕正の戦いによってこそ、真実の味方が広がっていくのです。このたゆみなき進歩と前進なくして、立正安国はできません。
8  不思議なる宿縁
 第四に「師子は値いがたかるべし」。これは「報恩感謝」への指標と拝されます。
 「師子」とは、すなわち日蓮大聖人の御事にほかなりません。
 何ものごも負けない、何ものをも勝ち越えていく師子王の真髄の境智を、全人類に示してくださったのが大聖人であられます。
 この大聖人の仰せ通りに、創価の父・牧口先生と戸田先生は立ち上がられました。これが我らの師匠です。
 偉大な師匠と同じ時代に生まれ、同じ理想を目指し、同じ祈りで邁進しゆく人生ほど、素晴らしいものはない。ありがたいものはありません。私は、戸田先生にめぐり会い、心からそう感じました。
 師匠との不思議なる宿縁に対する「報恩感謝」は、今もって尽きることはないのであります。
 ──以上の四つが、一閻浮提第一の妙法を広宣流布しゆく「日蓮が一門」の誉れある大精神です。「過去遠遠劫より已来」の我らの正道であります
9  民衆の屋根となり
 大聖人は、御自らの身命を賭して、正義の師弟の一門を守りに護り通されました。門下に宛てた御手紙の数々には、大聖人の深い慈悲の御心があふれております。師匠が、弟子たちの健康・長寿・成長・幸福・勝利を、どれほど深く祈ってくださっているか。一人一人の性格、長所と短所、健康や生活の状態……弟子たちが思っている以上に深く見通されている。そして、すべてを一念に納め、絶対勝利の道を開かせるよう祈り励まし、導いていかれるのです。それこそが仏法の「師の徳」です。
 戸田先生はよく、佐渡流罪の折の大聖人の御心を偲ばれておりました。
 「必ず門下を勝たせなければならない。一人も残らず弟子を幸福にしなければならない」──この炎のように燃え立つ御心であられたと拝察されていたのです。
 師匠の大恩は、弟子たちの想像も及びません。
 「日蓮が一門」には、御本仏の慈悲と正義の大生命が、すみずみにまでみなぎっている。その和合僧団そのものが、主師親の三徳を具えた御本仏の人法一箇の大生命なのです。
 広宣流布を実現しゆく「日蓮が一門」──その正統中の正統こそが、学会であります。
 この尊極の学会を守り、同志を護るため、私は生命をたたきつける思いで、一心不乱に戦ってまいりました。
 恩師が「戸田の命よりも大事」と言われた学会の組織を厳護し抜いてきました。一千万の民衆の屋根となり傘となって、私は創価の大城を守りに護り抜いてきました。
  「師弟不二」の分身として!
  「不惜身命」の闘士として!
  「破邪顕正」の旗手として!
  「報恩感謝」の弟子として!
 今回の「閻浮提中御書」の御金言に寸分も違わず、創価の師弟は日蓮仏法を行じ抜き、世界に広宣流布してきたのです。これからも、我らは「師子王の心」で勝ち進みましょう!
10  「正義」の30年の大勝利宣言
 「正義」──。「われ一人正義の旗持つ也」
 昭和五十四年(一九七九年)の五月五日。世界に開かれた横浜港を望む神奈川文化会館の一室で、私はこう認めました。
 当時、東京、神奈川はもとより、関西、四国をはじめ全国各地から幾多の同志が”一目でも”と、横浜の私のもとへ駆けつけてくれました。
 以来三十年。私は今、全国そして世界の同志とともに、「正義の大勝利宣言」を高らかに響かせたいのであります。我らは勝ちました。
11  正義の人への嫉妬
 日蓮大聖人が立宗されてより、「日蓮が一門」の旭日の大興隆を目の当たりにした、鎌倉幕府を中心とする日本社会の反応はどうだったでしょうか。
 法華経は尊い経典だ。かりにそう認めても、大聖人は妬ましい!当時諸宗の邪僧らは、こう怨嫉しました。
 法華経第一という「正義の法」には敵わない。それならぱ、大聖人という「正義の大師匠」を陰謀によって陥れ、抑え込もう。これが当時の日本の宗教界と幕府権力の結託のどす黒い心理だったのです。
 戸田先生もよく慨嘆されていました。
 「人間は嫉妬で狂う動物だ。歴史上、嫉妬の讒言ざんげんが、いかに多くの正義の人を苦しめ抜いてきたことか。これが現実だ」
 大聖人は、正法迫害の構図を鋭く見抜かれ、達観されていました。
 ますます大難が競い起こることを覚悟された上で、あえて御自身の名を高々と名乗られながら、「権門をかつぱと破り」、「諸宗の人法共に折伏して」、邪義に染まった日本社会の精神土壌を揺り動かしていかれたのです。
12  弟子の「聞法下種」
 この大聖人の御名を語り広げることは、そのまま南無妙法蓮華経の大白法を広げる「聞法下種」の拡大となる。師匠の名を叫び切っていくことこそ、弟子の誉れある闘争なのです。
 師匠の烈々たる慈悲の炎にふれて、四条金吾や富木常忍、南条時光をはじめ、求道の血潮に燃える門下たちは「私は日蓮大聖人の弟子である!」と力強く叫びながら、正義の法戦に奮い立っていきました。
 反対に、師匠の名を叫び切れない弱い姿は、弟子としての敗北です。いな、師弟の魂を失った姿です。
 「日蓮が一門」においても、大聖人滅後、臆病にも師匠の名を叫び切れない堕落の弟子たちが正体を現しました。日興上人以外の五老僧は、師匠が亡くなると、たちまちに惰弱な本性をさらけ出した。
 「天台沙門」(天台の弟子)と名乗り、大聖人の御書をすきかえしにして、大事な教えを捨て去っていった。「日蓮が一門」の命脈を自ら断ち切り、師弟の道から転落していったのです。
 戸田先生は喝破されました。
 「五老僧も、大聖人が生きておられた時には南無妙法蓮華経を弘めなければならないと思っていたけれども、大聖人滅後においての大圧迫の時には、おっかなくなってしまった。そして『われわれは天台沙門だ』といったのだ」
 その中で、日興上人ただお一人が「日蓮聖人の弟子日興」(武家や公家への申状)と高らかに宣言し、堂々と師匠の正義を訴え抜かれました。そして、師匠に違背した「強敵の科」を猛然と呵責されたのです。
 この日興上人の大闘争こそ、真正の弟子の鑑であります。
 どこまでも師匠を求め抜き、師匠の名を叫び、師匠の真実を訴え抜いていく以外に、仏法正義の命脈を広げゆくことはできない。
 師匠に打ち込んでいただいた折伏精神を失い、世間に迎合して、広宣流布の和合を破壊するような五老僧の末流とは、断固として戦い抜くのです。
13  「分身」として戦う
 この日蓮大聖人・日興上人の師弟の血脈を、現代にまっすぐ継承し、世界へ広げてきたのが創価三代の師弟であります。
 『創価教育学体系』の初版本の表紙には、題字とともに、牧口常三郎先生の御名前が燦然と輝く金文字で刻印されておりました。これも、発刊の一切を支え抜いた戸田先生の赤誠の発露だったのです。
 獄中で殉教された牧口先生の分身として、戸田先生は「よし、いまにみよ!(牧口)先生が正しいか、正しくないか、証明してやる。もし自分が別名を使ったなら、巌窟王の名を使って、なにか大仕事をして、先生にお返ししよう」と、戦後の焼け野原にただお一人、立ち上がられました。
 牧口先生の御逝去十年を期して、先生の『価値論』を、戸田先生と御一緒に、約五十力国・四百二十を超える世界の大学・学術機関に寄贈していったことも忘れ得ぬ歴史であります。
 戸田先生は「牧口先生の御著作を世界の名著として宣揚していかねばならぬ。これでも読まぬか! これでも学ばぬか! と戦っていくのだよ」と語られていました。
14  「先生、先生」と叫び
 その戸田先生の事業が蹉跌さてつしたとき、学会は最も苦しい厳冬の時代にありました。
 昭和二十五年(一九五〇年)八月、戸田先生は突然、学会の理事長を辞任された。信用組合の業務停止命令によって、学会と学会貝に迷惑をかけられないとの御心からでした。
 私は、戸田先生の多額の負債の返済を一身に背負い、破綻した事業の清算に、一切をなげうって東奔西走しました。真剣勝負以外の何ものでもなかった。
 戸田先生に対して批判・中傷の嵐が吹き荒れるなか、私自身も「今こそ御書を色読する時である」「いよいよ、これで本物の信心ができる」と心から確信しました。
 私の師匠は戸田先生以外におられない。先生をお守りし、創価学会の会長になっていただくことが弟子の道である──。こう決めきって、文字通り、死に物狂いでした。師匠と生死をともにする覚悟でお仕え申し上げたのです。
 昨日まで先生を尊敬するように振る舞っていた者たちが、手のひらを返すように先生を罵倒し去っていきました。「いざという時に、その人間の本当の姿が如実に出る」と先生が言われていた通りでした。
 先生は、「おれには大作しかいなくなったな」とつぶやいておられました。
 この時、私はただ一人「戸田先生、戸田先生」と叫び続けた。師匠の名前を呼ぶ。叫ぶ。それが根本の大事だからです。
 やがて、一人また一人と、真実の同志が私の声に呼応し、「戸田門下生」としての自覚が会内に高まっていきました。その皆の心の高まりによって、昭和二十六年(一九五一年)五月三日、戸田先生は晴れて第二代会長に推戴されたのです。
 私は日記に綴りました。
 「先生を護ろう、力の限り。先生を護ろう、吾が生命のある限り。理由は、唯一つ、先生を護ることが、大御本尊流布を護ることに通ずるからである」(昭和二十七年十二月十八日)
 この真情のままに、私は恩師の分身として、妙法の巌窟王として戦いました。真の師弟不二でした。
 戸田先生は、「お前がいて幸せだった。素晴らしい弟子をもって嬉しい。忘れないよ。おかげで今日がある」と言われていました。
 誰が何と言おうが、学会は師弟の団体です。私は、世界中どこへ行っても、戸田先生、牧口先生のことを誇り高く宣揚してきました。それができない心は臆病です。
 卑怯です。忘恩です。
15  獅子は勝者の栄冠
 今や、北南米をはじめ世界の随所に、牧口先生、戸田先生の名を冠した通りや橋、公園なども誕生しています。両先生は、平和と人道のために戦った二十世紀の偉人いとして、市民からこよなく尊敬されております。
 これも、私と心を合わせて創価の師弟の大道を晴れやかに歩まれる敬愛するSGI(創価学会インタナショナル)各国の同志の、光り輝く社会貢献のおかげであります。
 「牧口常三郎」「戸田城聖」という創価の大師匠の名を、全世界に向かって堂々と叫び、人々の心に語り広げてきたことは、私の永遠不滅の誉れであります。
 私は盾となり、防波堤となって、恩師をお護り申し上げました。そして、この六十余年間、仏様の連帯である「創価の一門」を厳護し抜いてきました。
 創価の師弟は、あらゆる誹膀・攻撃の矢面に立ち、内外の魔性を抑えながら、功徳と友情と平和の大城を、世界百九十二力国・地域に広げてきたのです。
 この正義の大闘争と勝利の大実証こそ、「日蓮がごとく」「日蓮が一門」と叫ばれた大聖人の正統の証しであると確信しております。
 「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ」。この御聖訓を、私は我が後継の青年たちに、万感の期待をこめて贈りたい。
 仏法は「師子王の哲学」です。
 牧口先生は師子でした。戸田先生も師子でした。私も師子として戦い、勝ってきました。
 師子は絶対に負けない。小賢しく策を弄して動くのではない。師子とは、堂々たる「勝者の栄冠」なのであります。
 ゆえに若き皆さんも、畏れなく、群狐を打ち破る強力な師子と育ってほしい。
 青年らしく、正義を師子吼していくことです。創価の真実を、命の底から叫んでいくのです。「学会青年部の力を見よ!」と、信仰の偉大さを満天下に示し切っていくのです。
 「一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分に」と仰せの通り、一人が師子吼すれば、善人の励みとなり、悪人は恐れおののくのです。
 とにかく語ることである。「声仏事を為す」だからです。言論戦です。語った分だけ、言い切った分だけ、叫び抜いた分だけ、仏縁は結ばれ、正義は拡大する。
 戦った人ほど、強く聡明になれる。これが仏法です。
 まず自分自身が変わることです。師弟の正義を叫びに叫べば、その一点からすべてが変わる。日々、自分が変わり、周囲をも変えいくことができる。
 「師子は値いがたかるべし」であります。
 値い難き師子王の師匠と、不思議にも今世で巡り会い、広宣流布という人類救済の大聖業へともに進むことができる。これが、どれほど崇高な人生であることか。この学会とともに歩んでいることは、決して偶然ではありません。
 皆様方は、深い深い使命を帯びて、この娑婆世界に出現された、尊貴にして宿縁深厚なる地涌の菩薩であられます。
 「日蓮が一門は師子の吼るなり
 我らこそ、この御金言を体現した仏意仏勅の一門なのです。
16  5・3元初の誓願
 戸田先生は語られました。
 「私は、信心には自信がある。不肖な私だけれども、日蓮大聖人様のお使いとして、七百年後の今日きたのでありますから、創価学会なんてインチキだ、でたらめだというなら、言わせてやろうではありませんか。どんな結果になるか。断じて負けません」(昭和三十二年二月、東京・豊島公会堂での本部幹部会)と。
 さあ、若き君たちよ、新しい時代を開こう! 新しい人材を見つけよう! 断固勝って、正義の勝鬨かちどきを、天高く轟かせてくれ給え!
 今や、世界の超一級の知性が、我ら「創価の一門」を賞賛されております。米・アイダホ大学のガイヤ博士は、こう讃えてくださっています。
 「個人の善を社会の善へと発展させるためには、指導者の存在が不可欠です。師匠の姿に学び、自身を開き高めゆく民衆の連帯があって、はじめてそれが達成されるのです。
 これを人類が共有する価値観としていかねばなりません。この人類意識を持って私たちは”ヒューマニズム(人間主義)の文化”ともいうべき新たな文化を、未来へ創造していくことが可能となるのです。創価の師弟の交流に、その確かな開花を私は見ました」──。
 もなく、晴れやかな師弟栄光の「五月三日」。今再び「元初の誓願」を胸に燃え上がらせ、私とともに、新しき勝利の大前進を開始しようではありませんか。
  師子王の
   心と心の
     スクラムは
   三世に悠然
     恐るものなし

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