Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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第6章 親と子が向き合う時
「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)
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子どもに対して受け身ではいけない
三井
以前(一九九〇年)、創価学会の「青年文化訪問団」の一員としてインドを訪れたことがありました。その時に出会った、子どもたちの生き生きとした表情が忘れられません。
釈尊が在世に活躍した“花の都”パトナの駅では、六、七歳ぐらいかの靴磨きの少年たちを見かけました。子どもたちが働かなければ食べていけない社会には、たしかに問題があるでしょう。
でも、そのなかで懸命に生き抜こうとする姿には、「力強さ」さえ感じました。目の輝きが、どうしてこんなに違うのか、と。
この点、日本は経済的に豊かになった分、子どもたちは恵まれた環境に置かれて、“生きる力”そのものが弱まってきている気もします。
蓬田
とても難しい問題ですね。
親としては、子どもにできるだけ苦労させたくないと考えますし、子どものほうも、むだな苦労はしたくないという気持ちが強いでしょうから……。
また、互いのことをあまり干渉し合わない親子もふえてきています。普段の生活からしてそうですから、何か問題が起こった時に、徹底的に子どもと向き合うことができないのです。
注意をしても、「何だよ。うるさいな」と反論されれば、「じゃ、勝手にすれば」と、すぐ親子の会話が終わってしまう、と。
「ちゃんと注意をしたのに、子どもが言うことをきかない」という親の言い分も、自分の経験から理解できるのですが(笑い)、そこであきらめて終わってしまえば、子どもにとって、親も“他人”とあまり変わらない存在になってしまいかねません。
池田
そうだね。親は子どもに対して、けっして“受け身”であってはならない。
もちろん、すべて先回りして手を出すような“過干渉”でもいけないが、子どもが「正しい人生」を歩めるよう、また、何かあった時は、いっしょに問題に向き合い、心を砕いていけるよう、普段から行動で示していくのが親の責務なのです。
牧口先生も、こう、おっしゃっている。
「子どもがふとんをはいで寝ているのを見て、かけてあげないのは善いことをしないのである。その結果は、寝びえをしたり風邪をひいたりする。かけてあるふとんをはぐのは悪であるが、それと同じ結果になる。不善と悪は、結果は同じである」と。
今、世間では、他人に対する「無関心」や「非干渉」の風潮が強まっていますが、心配なことです。
3
まず母親を励まし勇気づけること
蓬田
子どもというのは、大人以上に、ちょっとしたことでも迷い、悩みます。ですから、何かあった時に、道を示し、そっと後押ししてあげることが、親として大切ですね。
この前、こんなことがありました。
関西創価高校に通っていた息子が、突然、仙台の家に電話をかけてきました。
電話に出た夫は、息子の様子がいつもと違うと感じ、話を聞き出してみました。
息子は、“何でもやろう”という性格なのか、合唱団のクラブ活動や生徒会の役割を引き受けてしまったものの、なかなか皆をまとめられなくて、行き詰まってしまっていることが分かったのです。
その時、息子は「よく、お母さんは、東北婦人部長なんか、やってるよね」と(笑い)、なかば感心ぎみに話していたと、夫から後で聞きました。
三井
いざ自分が、おおぜいの人たちをまとめようという立場になってみて、母親が毎日していることの大変さを、実感したのかもしれませんね。(笑い)
蓬田
そうかもしれません。(笑い)
それで、息子に何かしてあげられないか、と考えていると、池田先生が『法華経の智慧』の中で紹介してくださった「妙音菩薩」の話を教えてあげようと思いついたのです。
そこでは、サンスクリット語で「どもる人」の意味をもつ妙音菩薩が、どうして人びとの心をつかみ、感動させる力をもつようになったのか、という話が展開されています。
先生は、その根底には、妙音菩薩が、ありとあらゆる苦労を重ねながら、すべてを勝ち越えてきた「人間革命」のドラマがあったのではないか、と述べられていました。
私も、電話の向こうで、苦しんでいる息子の様子が分かりました。そこで、『大白蓮華』の「法華経の智慧」のページだけを引き抜いて(笑い)、どうか勇気を出してほしいと、手紙を添えて大阪にいる息子のもとに送りました。
息子も、読んで感じるところがあったのでしょう。
数日して電話がありました。「本当に、これで救われたよ」との声を聞いた時は、安心する以上に、とてもうれしい気持ちになりました。
自分で励ますことも大事ですが、こうしたすばらしい先生の思想、仏法の哲学を親子で学び合えることは、ありがたいことだなと感じました。
三井
そこに、学会婦人部の強さがあり、喜びがあるのですね。
私も、若いお母さん方から相談を受けることがあります。そんななかで、時々、ドキッとする言葉に出合うことがあります。
「この子さえ、いなかったら」とか、「子どもが生まれてから、自由がなくなった」という言葉です。
何気ない拍子で出てしまうようですが、慣れない環境の変化に戸惑ったりして、子どもたちに向ける心の余裕がなくなってしまっているのですね。
核家族化が進み、子どもに関する悩みを身近で相談できる相手も少なくなっています。それだけに、若いお母さん方を励まし、優しくつつみこんでいく、創価学会のような“人間家族”の絆が、大切になってきていると感じます。
「子どものことで何か問題をかかえている家庭では、まず母親を励まし、勇気づけることから、すべては始まる」――これは、婦人部の先輩から聞いたアドバイスの一つです。重要なポイントだなと思います。
4
「希望こそ私の秘密兵器」
池田
母親は、一家の太陽です。母親が、心に「信心」という希望の灯火を赤々と燃やせば、どんな悩みや苦しみにも負けず、悠然と立ち向かっていくことができる。
どんなに雲が覆っていようとも、どんなに雨が降り続き、嵐が吹き荒れようとも、太陽が厳然と輝いていれば、やがて空は青々と晴れてくる――同じ原理です。母親には、それほど偉大な力が備わっている。
人間、ひとたび心が決まれば、すべて、そちらに力が向かっていくものです。仏法では、その心の不思議を「一念三千」と説きます。
以前、私の友人であった、アメリカの故ノーマン・カズンズ博士は、五十代で膠原病と闘い、六十代半ばで心筋梗塞に打ち勝った方です。博士は、医師から「回復は不可能」との宣告を聞いた瞬間、かえって「さあ、やるぞ」という猛烈なエネルギーがわき立ったと語っておられた。
博士は、その体験を著書にも紹介し、「希望こそ私の秘密兵器」と強調されている。
ため息を数えるよりも、自分にできることを数えることに、いつも心が向いている――カズンズ博士は、そういう方でした。博士の人生はいわば、人間の一念がどれだけの力をもっているかを証明したものでもあったのです。
蓬田
今のお話を聞いていて、昔、先輩から聞いた話を思い出しました。
池田先生が一九六五年、パリを訪問された時の話です。先生は、ヨーロッパ広布のために戦おうと決意した一人のフランス青年を、次のように激励された、と。
「小さな一本のマッチでも、パリ中を燃やす力があります。同じように、一人の人間にも偉大な力が備わっているのです。
一人立った人が、強盛な信心を貫いていけば、道は必ず開けます。初めは、だれでも一人です。君がその一人となるのです。
私も、一人で道を切り開いてきました。安心して頑張ってください」
私は立った! 君も立て!――との先生の勇気と慈愛あふれる言葉に、その場にいた全員が奮い立ったとうかがいました。
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子どもを救う親や教師の燃える一念
池田
そんなこともあったね。あの時は、外は木枯らしが吹いていて、とくに寒い日だった。皆の心が少しでも暖まればと思い、マッチに譬えて、お話ししたのです。
人間の一念の力がどれほどすごいか。どれだけ周囲の人びとを守っていけるか――。
御書には、湿った木から火を起こすような思いで、門下の無事を祈っていると、日蓮大聖人が仰せになっている御文があります。
「
何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり
」
大聖人は、不可能を可能にする祈りがどれほど深いものかを、分かりやすい譬喩を用いて私たちに教えてくださっているのです。
三井
有名な一節ですね。
池田
そう。大聖人がこの御文を認められた文永十年(一二七三年)当時は、前年に「二月騒動」という内乱が起こり、また元(蒙古)の使者が九州に到来するなど、内外で騒乱が巻き起こっていた時代でした。
こうしたなかで大聖人は、御自身が佐渡流罪という身動きのとれない逆境にありながらも、弟子たちの無事を強盛に祈られたのです。
何があろうと、断じて弟子たちを守りたい。何としてでも無事に助けたい、遠く離れていようとも、わが一念で全部、救い切ってみせる――そうした大聖人の大慈大悲が、私の胸に強く迫ってきます。
次元は異なりますが、母が子を思う気持ち、教師が生徒を思う気持ちも、こうあるべきではないだろうか。
「私が何かしたところで」といったあきらめや、「何とかなるだろう」といった甘い気持ちでは、子どもがかわいそうです。
どんなに状況が厳しくても、「何としてでも、この子を救ってみせる」「何があろうと、この子に正しい人生を歩ませるのだ!」という慈愛と責任と情熱が、親や教師の心に燃えていれば、たとえ時間はかかったとしても、問題は必ず解決の方向へと向かっていくものなのです。
6
親の真剣の一言が子どもを変える
三井
今でも、心に強く残っている話があります。
非行に走っていた少年グループが、暴力団とトラブルを起こし、少年たちだけでなく、その親まで全員、暴力団に呼び出されて、脅されたことがあったそうです。
ほとんどの親が動転してしまい、言葉を失ってしまいました。でも、ある一人の母親だけが、「息子を殺すなら、その前に、私を殺せ」と必死に叫んだ、と。
その家庭は、母一人、子一人でした。
子を救おうと一心に叫んだ母親の言葉が、閉ざしていた息子さんの心に強く響いたのでしょう。その息子さんは、真っ先に非行グループから抜けて、更生への道を歩み始めるようになったといいます。
池田
たった一言でも、親の必死の言葉は、子どもの人生を大きく変える力をもっている。
かつて、トロイの古代遺跡を発掘したシュリーマンという人がいた。
遺跡発掘という壮大な夢に彼を駆り立てたきっかけが、少年時代に父親からもらった本にあったことは有名な話ですが、もう一つ、見逃せないエピソードがあります。
四〇年後に夢を実現するまで、何度も挫けそうになる彼の心を最後まで支えたのが、少年時代、父親が息子の熱意に打たれて語りかけた一言だったというのです。
それは、「お父さんも、お前の夢を信じるよ」との言葉だった……。
蓬田
苦しい時に心の支えとなるのは、自分のことをどこまでも思い、信じてくれる存在があるということですね。
私も女子部時代、こんな体験がありました。社会人として働き始めた頃の話です。
当時、家庭の経済状況がだんだん厳しくなり、“秋田の実家を出て、別のところで一人で働こうか”と思い悩んだことがありました。
もちろん家のことはとても心配だったのですが、自分の気持ちのほうがどうにもならないくらい沈みこんでしまい、逃げ出したいと、心が揺れ動いてしまったのです。
そんな時、胸に浮かんだのが、以前、耳にした「鼓笛隊の出身者は絶対に信頼できる」との池田先生の言葉でした。
“そうだ! こんなことで負けてはいけない。ここで逃げてしまえば、先生の信頼を裏切ることになるし、これまでいっしょに頑張ってきた鼓笛隊の仲間にも申し訳ない”と、私は迷いを振り払うことができました。
私は鼓笛隊の初の海外演奏にも、東北から加わった一人じゃないか、と。
悩みを相談した女子部の先輩からも、「人間、覚悟を決めれば何でもできる。それに、私たちには信心があるのだから、絶対に大丈夫よ。私も題目をあげて応援するから、負けないで頑張りましょう」と励まされ、勇気百倍で立ち直ることができたのです。
池田
ともに悩み、ともに励まし、ともに成長していく、麗しい人間と人間の絆を世界に広げてきたのが、創価学会です。
私たちの地道な行動が、どれほど偉大で、どれだけ尊い意義をもっているか――。それをだれにでも分かりやすく示すものが、私たちの「信仰体験」であり、一人ひとりが現実の生活の上で勝利していく「実証」の姿と言ってよいでしょう。
御書にも、心をあわせて迫害と戦った池上兄弟に対し、日蓮大聖人が「
未来までの・
ものがたり
物語
なに事か・これにすぎ候べき
」と称賛されている御文があります。
大聖人門下が苦難を乗り越えた実証の姿が、今の時代に生きる私たちにとっても、大きな励みとなっているように、私たち一人ひとりが信仰で勝ち取ってきた体験はすべて、後に続く、多くの人に勇気と希望を与える力をもっているのです。
“事実に勝る雄弁なし”です。
7
三人の子どもが次々と「不登校」に
三井
創価学会の多くの先輩方のすばらしい体験を聞くたびに、そう実感します。
現在、子育てに関する悩みで、最も多いのがお子さんの「不登校」に関するものです。そのなかで、山梨のある婦人部の方の体験で、大きな感動を広げている話があります。
その方は、三人のお子さんがいるのですが、中学に入った長男が「いじめ」を受けて「不登校」になってから、その後、長女と次女も、小学生の時、別の理由でそれぞれ「不登校」になってしまったというのです。
蓬田
一人でも悩んでしまうのに、三人の子ども全員が「不登校」になるなんて……。さぞや、思い悩まれたことでしょうね。
三井
ええ。ですから、周囲の人たちからも白い眼で見られ、“どうして、うちだけ、こんな目にあうのか”と、親のほうが自暴自棄になりかけた時もあったそうです。
しかし、題目をあげて気を取り直し、やっとの思いで夫婦で、創価学会の教育部の皆さんがボランティアで取り組まれている教育相談室を訪れました。
そこで、「世間ばかり気にして、どうするのですか。世間は決して、お子さんたちを幸せにはしてくれませんよ。三人のお子さんを幸せにできるのは、お父さん、お母さん、あなたたちだけなのです。何よりも一番苦しんでいるのは、子どもたちではありませんか」と、激励されたのです。
ハッとしたご夫婦は以来、「子どもたちの未来のために、一日一日を大事にしよう。一歩でも前に進もう」と決意され、時間を見つけては、お子さんたちとスキンシップを図るように心がけたそうです。
また学会の先輩からも、「三人のお子さんたちは、この体験をとおして、人のために、お役に立つ使命を持っているんですよ。今は、回り道をしているように思るかもしれませんが、最後には必ず幸せになれますから」と励まされ、勇気がわいたといいます。
池田
釈尊の言葉に、「悩める人びとのあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。悩める人びとのあいだにあって、悩み無く暮らそう」という言葉がある。
この“悩み無く”は、悩みから逃れるのではありません。「煩悩即菩提」――つまり、悩みや苦しみも人生を充実させる糧に変えていこうという、決定した一念が込められています。
仏の別名を「能忍(よく忍ぶ)」ともいうが、どんなことがあっても負けない、くじけない人が、幸福なのです。順風満帆で整った人生などからは、得るべきものは何もない。そんな人生は、からっぽです。
“あの人は大変だ”と人から言われて落ち込むのではなく、“だからこそ、私は頑張れる”と誇りに変えていけばよいのです。
一歩ずつでも前進を続けていけば、やがて、永遠に崩れない“生命の勲章”が輝いていきます。
三井
本当に、そう思います。
先ほどの婦人部の方の体験談のタイトルは、「長い暗闇のトンネルを抜けて」ですが、一つの光明が見え始めたのは、唱題に取り組むなかで“子どもたちを長い目で見守っていこう”と決意された時からでした。
もちろん、家事や活動にも全力で取り組み、大忙しでした。
そんなある日、息子さんが照れくさそうに、「お母さん、忙しかったら茶碗洗いでも手伝おうか」と、声をかけたそうで……。
もともと、その息子さんは、お母さんの家事を手伝ったりする、明るいお子さんでした。しかし、不登校になって以来、家に閉じこもり、やり場のないストレスに苦しんでいました。それだけに、この一言を聞いたとき、わが子が、一歩前に踏みだせたとの喜びで、胸がいっぱいになったそうです。
以来、親子の心が徐々に通い合うようになり、息子さんは、担任の先生の勧めを受け、高校に進学し、無事、卒業されました。
また、上の娘さんは女子部の方の励ましを受けて高校に進み、現在は創価大学で学んでおり、もう一人の娘さんも、今では元気に高校生活を送っているそうです。
その方は、しみじみと語っておられました。
「人生八○年、そのうちの、たった数年のことではないかと思い直し、心の底から子どもたちを信頼して、見守ってあげられるようになった時から、子どもたちが変わってきたように思います」
「皆さんの励ましのおかげで、乗り越えることができました。これからは、自分の体験をとおして、人びとを励ましていける一人になっていきたいと思います」と。
池田
尊いことです。勇気を出して苦難を乗り越えていけば、自分や家族の幸福だけではなく、他の人びとも守り、幸福にしていく力が備わっていくのです。だからこそ、この仏法は「無上道」であると説くのです。
大変な時こそ、「獅子王」の心を燃やして立ち向かっていくのが学会精神です。
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自分で決めるのが本当の「使命」
蓬田
昭和五十七年(一九八二年)一月、池田先生が寒い雪の中、秋田に来てくださいました。
あの時、秋田文化会館前で、先生と「人間革命の歌」をいっしょに歌ったことは、“雪の街頭座談会”とともに、秋田のメンバーにとって最高の“金の思い出”となっています。
「吹雪に胸張り いざや往け」との一節に、先生のお心が伝わってきて、涙ながらに歌ったことを覚えています。
池田
秋田の皆さま方と、一人でも多くお会いし、直接、励ましてさしあげたかった――その一心でした。
まだ嵐の渦中にあった、その年の十一月十八日、「創価学会創立記念日」の日記に、私は自らの心情を一首にしたため、戸田先生に捧げました。
仏勅の
学会守らむ
此の世をば
紅涙したたる
日々があるとも
戸田先生弟子 大作
この師弟の誓いのままに、逆風の中で私は再びの戦闘を開始し、時を創り、人を育て、すべてを上げ潮に変えていきました。
戸田先生の生誕一〇〇周年でもある、二〇〇〇年の学会創立七〇周年を、絢爛たる勝利の凱歌で飾ろうと、私は決意しています。
ともあれ、使命は果たしてこそ「使命」であり、そこに人生を賭けた勝負がある。
「使命」とは、決して人から与えられるものでもなければ、あらかじめだれかによって決められるものでもない。自分で決め、自分で定めていくものです。単なる「義務」でもなく、だれかから頼まれるような「仕事」とは、別次元のものです。
自分も子どもも、家族も、そして社会全体をも幸福にしていく――母親であるということ自体、どれだけ崇高な「使命」を担っているか、計り知れません。
その最高の誇りをもって歩んでいく人にこそ、人生の栄冠は輝いていくのです。
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